“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

G20:閉幕…アジア投資銀が陰の主役 

2015年04月19日 14時30分33秒 | 臼蔵の呟き

毎日新聞 

 日米欧と新興国の主要20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議は17日、2日間の日程を終えて閉幕した。中国が設立を主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)は正式議題ではなかったが、会議期間中、歓迎する声が新興国だけでなく、英国などからも上がった。米国に対しては「新興国への配慮が乏しい」などの批判が目立ち、経済成長を背景に影響力を増す中国と、守勢に回る米国の構図が鮮明になった。AIIB参加に慎重で米国と歩調を合わせる日本も難しい立場に追い込まれている。

 「国際通貨基金(IMF)が世界経済の安定を推進する第一の国際金融機関であることは変わらない」。ルー米財務長官はG20閉幕後に出した声明で、AIIBに対する強い対抗意識を示した。麻生太郎財務相も記者会見で「AIIBがノウハウを持っているとは言い難い」と、融資能力に疑問を表明。しかし、そうした意見は少数派だった。

 G20直前の15日に中国が発表したAIIBの創設メンバーは57カ国にのぼり、G20では英国など14カ国が名を連ねた。英国のオズボーン財務相は「新興勢力を取り込んでいく英国の良き伝統の表れだ」と胸を張った。アジアやアフリカの新興国や途上国もワシントンに乗り込み、AIIBを歓迎する声明を発表。IMFのラガルド専務理事も「協力が期待できる国際金融機関だ」と述べた。

 中国の朱光耀財政次官は「AIIBは(IMFなど既存機関の)補完的な役割を果たす」と現地での講演で語り、世界銀行など米国主導の国際金融体制に挑戦する意図はないことを強調。G20の共同声明はAIIBには直接触れず、17日の議論でも中国などが簡潔に触れただけだった。それでも中国の当局者らには余裕すら漂っていた。

 逆に、強い批判を受けたのは、米国が原因で宙に浮いたままのIMF改革。IMFの運営方針を決める投票権は、各国の出資比率に応じて割り当てられる。中国などの経済成長に伴い、新興国の出資比率を引き上げる改革案が2010年にIMFで承認されたものの、事実上の拒否権を持つ米議会の反対で頓挫したままだ。共同声明では「引き続き深い失望」と明記され、中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁は「加盟国は挫折感を味わっている」と米国の対応を批判した。

声明はIMF改革を「最優先課題」と明記し、新興国の発言権を暫定的に引き上げる「つなぎの解決策」を求めた。しかし、「有効な代替策は見当たらない」(財務省幹部)のが現状。こうした不満がAIIB設立の追い風になっている。

 日本政府内では「AIIBは運営体制が不透明なうえ、出資金の負担を考えれば参加メリットは乏しい」との見方が根強い。米国と連携しつつ、参加の是非を引き続き慎重に検討する。

 一方で、中国は日米が中心になって進めている環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉に対して、「中国抜きで貿易・投資のルール作りが進む」と警戒感を隠さない。16日には米議会に、TPP交渉合意に不可欠とされる大統領貿易促進権限(TPA)法案が提出された。大統領に通商交渉の権限を一任して、各国との交渉を加速させることが可能になる。オバマ大統領は17日、「(TPPが妥結しなければアジア市場で)中国が中国人労働者や中国企業に有利なルールを設定するだろう」と訴え、中国への対抗意識をむき出しにした。世界1、2位の経済大国がせめぎ合う中で、3位の日本は両大国の間で翻弄(ほんろう)されているようでもある。


地方選挙の投票率と民主主義

2015年04月19日 12時00分57秒 | 臼蔵の呟き

代議制民主主義が危機的な状況に落ち込んでいることは明らかです。浜のり子教授がいう1人1人の選挙民が選挙権獲得の経過を振り返り、選挙権を行使して政治を変えること自身に歴史的な意味があると論じていました。本当にそのとおりです。

自治体、選挙区によっては立候補数が定数内で、選挙自身が行われず、無帳票当選が30%近くに達しているといわれています。危機的な状況です。選挙民である国民があきらめることこそが自民党公明党政権の望みでしょうから、その彼らのたくらみを打ち砕くためにも、選挙権の行使を引き上げなければなりません。そう感じる選挙戦です。

<毎日新聞> 

余録:「津軽選挙」と言えば、青森県津軽地方で繰り広げられる…

 「津軽(つがる)選挙」と言えば、青森県津軽地方で繰り広げられる、奇想天外な選挙違反の代名詞だった。太宰治(だざいおさむ)の生まれ故郷、金木(かなぎ)町(現五所川原(ごしょがわら)市)で1958年4月にあった町長選が原点と言われる▲落選が決定的になった陣営が町の選挙管理委員会と結託し、9日後に強引に当落を逆転させた。不正は3年半後の最高裁判決で確定するが、「選管を制する者が選挙を制す」が津軽選挙の奥義(おうぎ)とされた。別の町では開票立会人がライバルの票を口に押し込んで逃走を図る事件も起きている▲かつては首長や議会を牛耳れば、役場の人事から出入り業者まで差配できていた。同時に選挙自体がムラ社会の活力源でもあった。87年の本紙青森版には「勝ちは勝ち。負けは負け。4年経(た)ったらまた会いましょうって、オリンピックのようなもんだ」という住民の声が紹介されている▲そんな時代が懐かしく思い出されるのは、このところ選挙の空洞化があまりに著しいためだ。統一地方選の前半戦で41道府県議選の平均投票率は過去最低を更新し、無投票当選は総定数の2割強に上った。津軽選挙の本場だった地域も同様だ▲今や地方政治家が配分できる利益は細り、逆に負担のお願い係になる場面が増えた。平成の大合併で市区町村議の定数は約5万7000から約3万に激減したというのに、なり手の層が薄いから、関心も湿りがちになる▲統一選はきょうから市区町村単位の後半戦に移る。私たちの地方自治が「みずから治める」ではなく、他人任せの「おのずから治まる」になっていないか。自治の底が抜けてしまわないよう、ここは踏ん張りどころだ。


首相と沖縄 痛みを理解しているのか

2015年04月19日 10時05分27秒 | 臼蔵の呟き

 アメリカ、アメリカ軍、歴代自民党政権は、「自ら土地を奪っておきながら、(普天間が)老朽化したとか、世界一危険だからとか、(移設が)嫌なら代替案を出せ」。翁長県知事の日米両政府への無神経な姿勢を痛烈に批判したことこそが正当性を持つ。


<信濃毎日社説>首相と沖縄 痛みを理解しているか

 日米両政府が進める米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、安倍晋三首相と沖縄県の翁長雄志知事が初めて会談した。

 首相は辺野古移設が「唯一の解決策」とし、知事は「知事選、衆院選で移設反対の圧倒的な民意が示された」と訴えた。菅義偉官房長官との会談同様、平行線となった。

 市街地にある普天間の危険除去を急ぐのは当然としても、辺野古移設が唯一の解決策なのか。日米両政府から納得いく説明は聞かれない。双方の政府に欠けるのは、戦後長きにわたって過重な基地負担を強いられてきた沖縄の歴史に対する理解である。移設ありきでなく、他の選択肢がないかも含め、柔軟な姿勢で議論をし直すべきだ。

 翁長氏が求めた直談判を首相側が突然受け入れたのは、丁寧に移設に取り組んでいることをアピールする狙いがありそうだ。今月下旬に首相の訪米が控えていることとも関係する。首相は会談で移設に関し、「丁寧に説明し、理解を得るべく努力を続けたい」と述べた。

 対話姿勢を演出したものの、実態は違う。政府は反対する住民を力で排除し、環境への配慮は二の次で移設に向けた作業を進めている。国家権力をかざす政権の体質が表れている。

 沖縄の日米両政府への不信感は根深い。菅官房長官と会談した際、翁長氏は政府の姿勢を、米占領下の強権的な統治責任者になぞらえ「問答無用という姿勢が感じられる」と批判した。

 先の戦争では本土防衛の「捨て石」とされた。戦後は、「銃剣とブルドーザー」と例えられる米軍の強制的な土地収用によって基地が建設されていった。こうした歴史や体験は、平和教育などで今に引き継がれている。

 沖縄の人々にとって辺野古移設は、つらい過去と重なる部分があるのではないか。

 翁長氏は首相に、「自ら土地を奪っておきながら、(普天間が)老朽化したとか、世界一危険だからとか、(移設が)嫌なら代替案を出せと言うのは理不尽」と語った。日米両政府の無神経な姿勢を痛烈に批判している。

 安倍政権の対話姿勢がポーズだとしたら、不信感はさらに募るだろう。翁長氏は訪米して民意を伝える準備も進めている。

 基地問題に関しては、沖縄の痛みにどれだけ寄り添えるかが問われている。日米の首脳は肝に銘じてもらいたい。


「こんなはずでは」が恐い

2015年04月19日 05時52分01秒 | 臼蔵の呟き

<毎日新聞> 20危機の真相:統一地方選 後半戦へ 「こんなはずでは」が恐い=浜矩子

 統一地方選が後半戦に入っている。前半戦は、10道県知事選全てで与党支援の現職候補が勝利。道府県議選では、無投票当選が2割を超えた。28府県で投票率が5割を下回った。

 前半戦の投票日当日、筆者は東京の新国立劇場で「ウィンズロウ・ボーイ」という芝居をみた。英国有数の劇作家、テレンス・ラティガンの代表作の一つだ。第一次大戦前夜が、その時代的背景。登場人物の中に、婦人参政権運動の若き闘士が登場する。主人公のお姉さんである。

 英国で、女性の参政権が全面的に確立したのは、1928年である。男性についても、資産保有額による厳しい制限がはずれたのは、18年のことだった。貧困者や女性たちによる根強い闘争の成果だ。この成果を勝ち取るために、労働者も女性も、決死の闘争を繰り広げた。街灯やポストを打ち壊した。投獄された。獄中では、ハンストをした。

 時は移って2015年3月28、29日、ナイジェリアで大統領選が行われた。同国の北東部は、過激派組織ボコ・ハラムの活動拠点だ。彼らは、民主主義的な選挙の意味を認めない。全力を挙げて大統領選を阻止する構えを示した。投票所を爆撃し、有権者を射殺すると宣言した。

 実際に、有権者たちは銃弾をかいくぐって投票所に駆け込まなければならなかった。現に、死者も出ている。そこまで生々しい命の危険にさらされながらも、彼らは果敢に投票に出向いた。

 我々が選挙に参加するという行為の背後には、選挙権を手に入れるための歴史的闘争の記録がある。命がけで、選挙権を行使する他国の同胞たちの現実がある。それらを考えれば、我々はあらゆる機会において選挙権を確実に行使していかなければならない。

 お天気が悪いから選挙に行かない。忙しいから選挙に行かない。よく分からないから選挙に行かない。どうせ何も変わらないから選挙に行かない。これではいけない。

 現状は変わる。現状は変えられる。それを信じて、ナイジェリア人たちは危険を冒して投票に行った。それを信じて、20世紀初頭の労働者と女性たちは立ち上がった。そして、いずれの場合にも、現状をみごとに変えてみせた。

 政治への無関心は実に怖い。政治家たちの行動からあまり目を離してばかりいると、とんでもないことが起こりかねない。総選挙であれ、地方選であれ、折あるごとに、有権者たちが気合を入れて意思表示をしておかないといけない。さもなくば、彼らは何をしても大丈夫だという気分に浸る。安易に現状維持を選択したり、選択すること自体を忌避したりしてしまうと、とんでもないことはすぐ身近に迫ってくる。

 とんでもないことなんて起きるわけがない。そんなことばかりいうのはオオカミ少年のやることだ。そういいたくなるのは分かる。だが、そう高をくくっていると、あれよあれよという間に事態は動く。

 「そんなはずはない」。この言い方は結構、危険だ。人々が「まさか」と思うことは、往々にして起こる。そして、起きてしまった時に、人々は「こんなはずじゃなかった」と慨嘆する。だが、そうなってからでは、もう遅い。「こんなはずじゃなかった」。これは、自分たちの選択、あるいは選択を拒否したことの帰結について、有権者が発する言葉の中で最も悲しい。

 とんでもないことなんて起こらない。そう考えて政治の成り行きを放置しておくと、最後には「こんなはずじゃなかった」の悲鳴を上げることになる。だが、時既に遅し。

 「そんなはずはない」と「こんなはずじゃなかった」の間の距離は思いのほか近い。「そんなはずはない」は、実にあっという間に「こんなはずじゃなかった」に変身してしまう。「ベルリンの壁なんてできるはずはない」「ヒトラーなんて政権を取るはずはない」。このいずれもが、どれほど悲惨な「こんなはずじゃなかった」をもたらしたことか。その記憶は消えない。

 英国の小説家、ジョージ・オーウェルの作品「1984年」を皆さんはご存じだろう。重苦しい独裁体制の世界を描いている。その下に置かれた人々は、「こんなはずじゃなかった」日々を生きている。幸い、現実の1984年は、我々にそのような日々をもたらさなかった。だが、「そんなはずはない」と思っていると、どうなるか分からない。

 小説「1984年」の中に、次のくだりがある。「過去を制する者は未来を制する。今を制する者は過去を制する」。これがまた怖い。確かに、今、権力を手中にしている者は、過去を自分に都合のいいように改ざんしようと思うかもしれない。そして、それができてしまうかもしれない。

 今の日本の現状の中で、これらの言葉が不気味なリアル感を持つ。今を制する者たちが、過去に関する歴史認識を塗り替えようとする。もし、それが奏功してしまえば、その新たな歴史認識が未来を変える。誰が今を制するかは、実に重大な問題だ。やっぱり、選挙には行かないと。

 ■人物略歴

 ◇はま・のりこ   同志社大教授。