「今こそ正義を取り戻す時だ。辺野古新基地反対運動は非暴力に徹している。18年以上も続く抵抗は、マンデラ元大統領にも比すべき忍耐強さだ。人権と自由の尊重、民主主義という普遍的価値を体現しているのは、日米両政府よりむしろ沖縄の方であろう。両首脳はその事実を直視すべきだ。」
米軍による沖縄駐留と基地の占拠は正当性を持ちません。無条件で返還するのが筋です。抑止力だからという屁理屈も、歴史的な経過から見れば、なんらの正当性も持っていません。
<琉球新報社説>日米首脳会談 正義への責任果たせ 辺野古中止で民意尊重を
安倍晋三首相とオバマ米大統領が28日会談する。辺野古新基地の今後も話し合う見込みだ。
現在、日米両政府が沖縄で進めていることは巨大な不正義、不公正、民主主義の否定である。
両国が国際社会で発信すべきことは何か。言うまでもなく自由と平和と人権の擁護、民主主義の持つ普遍的価値であろう。
それら全てを否定する野蛮な行為を両国は沖縄で進めている。沖縄の民意を尊重するのが民主国家の取るべき道だ。両首脳は新基地の強引な建設を中止し、正義への責任を果たしてもらいたい。
岩国から移転
忘れてはならないのは、普天間飛行場を含め沖縄の米軍基地に沖縄側が自ら提供したものは一つもないという事実である。基地の接収は第2次世界大戦中の沖縄戦直後もあれば1950年代もある。それら全てが住民の意思に反して強引に、暴力的に奪取された。すなわちハーグ陸戦条約(戦時国際法)46条が禁ずる「占領下の私有財産没収」である。
今は21世紀だ。だが米国はその国際法違反の状態を大戦から70年たった今も続けている。普天間飛行場は危険だから返還してほしいと求められたら、同じ沖縄の辺野古に新基地を造らなければ返さないというのである。これが巨大な不正義でなくて何であろうか。
50年代に本土で米軍基地反対運動が起きると、本土の米軍基地は沖縄へ移転された。沖縄は米軍の強権的な占領統治下にあり、住民は抵抗の意思表示すら許されなかった。その時に移転してきたのが海兵隊である。それ以前、沖縄に海兵隊は駐留していなかった。沖縄の海兵隊は沖縄の人権を踏みにじる形で出発しているのだ。
沖縄への不公正な扱いは日本政府も同様である。普天間基地をめぐり政府は「辺野古移転が唯一の方策」と強調する。県外移設は不可能という意味だ。だが普天間をホームベースとする第1海兵航空団は本土復帰後の76年に安倍首相の地元山口県の岩国基地から普天間へ移転してきた。本土から沖縄へは簡単に移転させるのに、逆は不可能というのである。
政府は、16年前に沖縄も辺野古移転に合意したと言うが、それは「15年間だけ代替基地の存在を認める」というものだ。恒久的な基地に同意したことは一度もない。
大統領も沖縄への民主主義適用を支持すべきだ。辺野古移転案が浮上して以降、沖縄の世論調査で反対は常に半数を大幅に超える。当事者の市長も市議会も、知事も県議会も反対派が勝利した。米国内の州で同じことが起きたら新基地建設などできないはずだ。
普遍的価値の体現
戦後70年、沖縄は苦痛に耐えてきた。自己決定権の喪失、性暴力、人権抑圧、爆音、環境汚染など広範囲にわたる。米軍機の墜落は復帰後の43年で45回に及ぶ。部品落下や着陸失敗なども含めると事故は約600件もある。同じ沖縄に部隊を置き、飛行場を移すのは、この状態を今後も続けるということだ。これが何の解決にもならないのは誰の目にも明らかだ。
今こそ正義を取り戻す時だ。辺野古新基地反対運動はガンジーにも似た非暴力に徹している。18年以上も続く抵抗は、マンデラ元大統領にも比すべき忍耐強さだ。人権と自由の尊重、民主主義という普遍的価値を体現しているのは、日米両政府よりむしろ沖縄の方であろう。両首脳はその事実を直視すべきだ。
米軍駐留は表向きは日本防衛のためだが、日本のせいで戦争に巻き込まれていいとは思っているまい。まして尖閣という東シナ海の無人島のために中国と戦争するなどあり得ない。海兵隊駐留は一義的には在外米国人救出のためだ。
そして武器弾薬・軍需物資を在外米軍で消費し、軍産複合体を潤すのが真の目的のはずだ。そんな既得権益のために巨大な不正義を放置していいのか。両首脳に問われるのはそのことだ。