“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

平和と沖縄の自然環境を次世代へ

2014年01月03日 14時21分00秒 | 臼蔵の呟き

外国軍隊の基地が、これほど大きな比率を占める主権国家も稀有ではないかと思います。日本政府、安倍、自民党政権がアメリカ政府、アメリカ軍の目下であるかを示す点でも典型的な地域です。政府の重要な任務として主権の確保、自国民の安全、安心ですが、この沖縄県民はそのすべてにおいて、保障されることなく蹂躙され続けてきました。この点でも自民党政権、政治の犠牲者としての特別の地域といわざるを得ません。戦争の抑止力論が唱えられ、その対象として沖縄海兵隊の存在が、合法化されてきました。すべての犠牲は沖縄県民にかぶせました。

過去の歴史は植民地をもつ軍事国家が、植民地住民の犠牲の上に自らの繁栄、生活レベルの維持を行いました。しかし、その他国人民を犠牲にした、反映は、ほとんど清算される歴史的審判に遭遇しています。イギリスが大英帝国時代に海外の植民地を政治経済的に支配し、本国の経済的な利益を追求しました。それらの略奪を軍事的に確保し続けるために自国政治経済力以上の軍備を保持することで国家財政の疲弊に遭遇し、国力の低下と没落に見舞われました。スペイン、イギリス、そして、アメリカ合衆国もその例外とはなりえず、国力の消耗、疲弊に見舞われることは歴史の必定です。

自国の領土を他国軍事力によって守ることはありえず、駐留軍がそのようなことを使命として自覚するなどはありません。また、平和、地域の環境を守るために、アメリカ海兵隊が行動するなどはあるはずがありません。米軍組織が最大使命とする他国侵略、戦闘行為、軍事支配、威圧のための軍事演習、軍事力は、平時においても戦闘状態(非常に異常な精神状態、戦時殺人行為など)を維持するために、平時における犯罪は免罪することを引き換えに容認しています(そうしない限り機能が維持できない)。その被害をすべて基地周辺、住民に強要します。沖縄が念願とする基地被害絶滅は米軍の撤退、米軍基地の撤去なくして実現は絶対に出来ません。

<琉球新報社説:平和と環境を次世代へ>人間の安全こそ最優先に2014年1月1日

 新年を迎えた。年の瀬に「知事、辺野古埋め立て承認」の衝撃的な決断に直面し、心を痛めて正月を迎えた県民も多かろう。だが、県民世論調査で米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去、県外・国外移設を望む民意が強いことも明確になった。
 わたしたちは「命どぅ宝」の心、豊かな自然など先達が残した有形無形の遺産に支えられ「生かされている」との謙虚さを大切にしたい。来年の戦後70年も見据え、あらためて持続可能な平和と環境、経済を次世代に引き継ぐ覚悟、責任をかみしめよう。

<不平等の構造化>

 普天間飛行場返還問題をめぐる自民党県連と国会議員、仲井真弘多知事の「県外移設」公約の事実上の撤回で混乱が続くだろう。だが県民は悲観も楽観もすることはない。「危険なオスプレイを飛ばすな」「民意は辺野古移設ノー」との主張には民主的手続きを踏んだ正当性がある。「沖縄に民主主義を適用せよ」との訴えも正論だ。
 沖縄とこの国の未来のために、三つの「原点」を見詰め直したい。

 一つは、1972年の日本復帰だ。米軍統治下で人権を蹂躙(じゅうりん)されてきた沖縄住民は「平和憲法」に救いを求めた。しかし、今なお過密な米軍基地が事件・事故、爆音、米兵犯罪の温床になっている。法の下の不平等が構造化している。もはや我慢の限界だ。米識者から駐留の軍事的合理性に疑義が出ている在沖米海兵隊の全面撤退を真剣に検討し、不平等と日米関係そのものを劇的に改善するときだ。
 二つ目は、昨年始動した「沖縄21世紀ビジョン基本計画」だ。知事は年末に首相が示した基地負担軽減策を評価し「沖縄の基地問題は日本全体の安全保障に寄与している」と述べた。首相を激励し、自らを政権の「応援団」とも言い放った。普天間飛行場の5年以内運用停止が口約束であり、オスプレイの配備中止要請に全く言及がないなど、核心部分で実質「ゼロ回答」だったにもかかわらずだ。
 21世紀ビジョンの基軸的な考えは、「潤いと活力をもたらす沖縄らしい優しい社会の構築」「日本と世界の架け橋となる強くしなやかな自立的経済の構築」の二つだ。会談での知事の「安保に寄与」発言には、沖縄の文化力や経済力、市民交流などソフトパワーで日本と世界の懸け橋になるとの発想がすっぽり抜け落ちている。沖縄の夢が詰め込まれた21世紀ビジョンを後退させてはならない。
 三つ目は、戦後日本の原点だ。「戦争放棄」をうたった日本国憲法の下で平和国家、民主国家として歩み、戦後一度も戦争をしなかったことは世界に誇れることだ。

<ソフトパワー>

 ところが、安倍政権は「積極的平和主義」を掲げ、集団的自衛権の行使容認や武器輸出三原則緩和、自衛隊増強など、軍事拡大路線をひた走っている。軍事力を過信せず、非軍事的な国力を駆使し、戦略的互恵関係の構築により安全を実現するのが、平和国家のあるべき姿だ。国民は戦争をする軍事国家への回帰など望んでいない。
 「人間の安全保障」の提唱者の一人で、ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・セン氏は「テロや大量虐殺と戦うことは大切だが、私たちは人間の安全を脅かすものが、暴力だけでなく、さまざまなかたちで現れることにも気づかなければならない」と指摘する。これは、人々や社会の安全を脅かす貧困、抑圧、差別などの社会的不正義を「構造的暴力」と定義し、その解消を「積極的平和」と位置づける平和学の概念とも通底する。
 首相は軍事偏重の「積極的平和主義」ではなく「積極的平和」こそ追求し、沖縄で普天間撤去などを通じ構造的暴力を解消すべきだ。
 わたしたちは、琉球王国時代の万国津梁の精神に倣い多国間の懸け橋となりたい。沖縄は東アジアの緊張を沈静化し、「軍事の要石」から「平和の要石」へ転換する構想を描くべきだろう。沖縄の尊厳と安全を守るために、ソフトパワーに磨きをかけていこう。


東北の再生に歴史的意義

2014年01月03日 12時04分35秒 | 臼蔵の呟き

あけましておめでとうございます。年末年始は風邪を引き、布団の中でじっとしていました。札幌は強風と大雪で、家の一階は半分ほどが雪に埋まっています。積雪になって半月足らずですが、雪の投げ場がなくて大変です。

2011年「3.11」以後、3年目に入ろうとしています。復旧、復興は遅々として進まず、被災地以外での報道もほとんどされず、忘れ去られようとしているのには驚くばかりです。東北の震災が日本社会にもたらした、危機と警告は、時間が立てば忘れ去られるような問題ではないはずです。企業利益至上主義、そのために、あらゆる仕組みを再編する。労働組合運動を攻撃し、弱体化させる。その目的は労働条件の改変を企業にとってたやすくすること。また、社会保障の解体をするためにその中心に位置する民主勢力、労働運動を破壊すること。その結果、企業が負担すべき社会保障費用は最小化することが目的でした。しかも、景気の悪化を逆手に取り、ベースアップの中止、正規労働者の削減と、非正規労働への転換により、生産における人件費比率を最小化することを徹底して追及しました。これがこれまでの自民党が政治経済の結果と、目指しているものではないかと思います。しかし、これらのむき出しの利益追求、企業行動は獰猛さ、時代の進歩との落差などから「オブラート」にくるむように政治権力をして要求する側面もありました。1%富裕層と99%低所得者問題、ウール街の占拠活動はそのような日本、アメリカ、先進工業国に広がる政治経済の閉塞感を示す典型的な政治要求運動でした。経済至上主義、利益至上主義、成長神話、巨大なシステムに過度に依存した社会の危険性の再考が求められたのだと思います。

東日本大震災が日本社会に与えた衝撃と再考は、人間としての尊厳を持った政治経済社会とは何かがあらゆる分野に問い続けているのではないかと思います。

<河北新報社説:東北の再生に歴史的意義>

 <人類が最後にかかるのは「希望」という名の病気である>。詩人、劇作家の寺山修司は作家、サン・テグジュペリの言葉を折に触れて引用、希望と向き合い続けた。

 右肩上がりの経済成長は去り人口減少、財政悪化、大震災の続発などで先々の安定を見通せないただ中にある。期待感に満ちた未来を展望しにくい分、視線は足元の「小さな幸福」の実現に向かう。分からないではない。大望や野心をあおるつもりはないし、私益や国益への過ぎた固執が時に道を誤らせもする。
 ただ、不安を可視化する想像力や乗り越える意欲を放棄しては、寒々しい希望喪失社会が現実化するだけだ。どんな社会を望むのか。難しい時代に直面する今、私たちは構想力を問われている。

 1989年に元号が「平成」に改まってから25年、四半世紀が過ぎた。国内外、歴史的な出来事が多く、社会が地球規模で転換期にあることを教える。新たな社会が見定め切れない故に模索の日々が長引く。
 激動の歩みを振り返る。
 長期政権を担った自民党が下野。2009年、初めて本格的な政権交代が実現した。12年、自民党が政権を奪還、「1強体制」を取り戻した。
 消費税導入は89年。税率上げが政治を揺さぶり続ける。
 経済の浮き沈みは歴史的。財政金融の大盤振る舞いで、89年の日経平均株価は4万円に迫る最高値。その後、バブルが崩壊、金融機関の破綻が相次いだ。雇用形態が大きく変わり、個人所得も漸減。08年のリーマン・ショックから経済は立ち直る途上にある。
 1995年の阪神淡路大震災などに続いて2011年には東日本大震災が発生。原発事故も重なり、豊かな社会の脆弱(ぜいじゃく)さを見せつけた。
 95年の地下鉄サリン事件で社会不安が高まった。格差、高齢社会が進行し人口減少が現実化。財政は借金まみれで不利益の分配を迫られる。
 国際社会では「大国の興亡」が劇的に展開。89年にベルリンの壁が崩壊、91年にソ連が消滅した。唯一の強国、米国も国力が陰り、超大国不在の「G0」の時代に動く。
 東西冷戦終結で平和の配当が期待されたが、負の遺産から新たな脅威が出現。2001年「9.11同時テロ」の形で、矛先が米国に向いた。
 対テロのアフガン、イラク両戦争を経てなお、中東の安定化は遠い。民主化を求める「アラブの春」も出口が見えない。
 米国主導の強欲な資本主義が席巻。金融自由化がリーマン・ショックとなって暴発し、新興国の躍進などで経済の仕組みも複雑さを増す。
 米国と台頭する中国が微妙な力関係で世界をリードしそうな状況だが、国益の調整は難しく安定した世界への道筋を描けない。
 巨大地震や大型台風などの自然災害が猛威を振るう。異常気象の要因とされる温暖化対策も利害が絡みつまずく。
 四半世紀の激変を踏まえれば、従来の発想で「希望と共にある社会」を築くことはできまい。先々の不透明を言い訳に「時代の挑戦」から逃れ続けるわけにもいかず、長い視点と深い洞察で流れを見据えて一歩を踏み出す時だ。
 安倍晋三首相はデフレ脱却を掲げ、成長戦略を推し進める。安全保障の態勢強化と併せ、国家主義的な古い手法で富国と強兵の強い日本を取り戻そうとするごとくである。
 原発再稼働を進める理屈も、そうした文脈で説明できる。現世の利益と引き換えに後世の幸福を差し出す心地の悪さを思う。

 「3.11」以後の日本の再生ではなく、それ以前の再生に流れている。昨年亡くなったコラムニスト天野祐吉さんには、現実がそう映る。
 成長から成熟社会への潮流に背くように成長神話にすがる寂しさが批評にこもる。
 好景気が復興を支える側面は確かにあるが、成長の限界を学び、「あの日」にそれだけでは得られない安心感、幸福感があることも知った。
 支え合う共助や心を寄せ合う絆の大切さ、巨大システムに過度に依存する社会の危うさを悟った今、復興は新たな社会像を模索し実践する過程に重なる。
 成熟に軸足を置いた地域主義的な循環・共生社会創造へのパラダイムシフトの先駆けにもなろう。
 「青い鳥」の舞う社会の構築に向けた一つの手掛かりとして、東北の再生が担う歴史的意義をかみしめたい。