“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

海外識者声明 沖縄の正当性の証明だ

2014年01月09日 13時45分02秒 | 臼蔵の呟き

アメリカ政権、アメリカ軍の要求をそのまま実現しようとする安倍、自民党政権が最優先で取り組む課題です。その普天間基地の辺野古移設を仲井真知事に認めさせ、声明まで出させて、ひと段落と思ったら、海外から沖縄米軍基地の不当性、なぜ、沖縄県民の総意を無視した政治決定を行うのかと異議が出される。日本国内の政治問題でありながら安倍、自民党政権のアメリカ言いなり、アメリカ従属国のような実態に対する疑問符が海外の知識人から提起される。おかしいと感じない点が末期的です。

本当に日本の政治、政権のレベルの低さが証明されるような話です。環境問題でのウルグアイ大統領の環境問題とは政治問題との意見表明をあわせて、考えると自民党型政治、政治経済運営がいかに、いかさまで、世界の政治潮流、展望を考える上からかけ離れた発想、考え方かがあきらかです。利益至上主義、社会保障制度の解体、グローバル経済至上主義、世界で一番企業が活動しやすい国日本などと発言する安倍の姿ピエロのようなものです。儲け話としての相談はあっても、天下国家の議論の相手にはなりません。このような人物が政党の総裁、政権の中心人物である日本は、尊敬される対象ではなく、政治的には相手にされることのない国ということでしょう。このよう人物の行動発言を読売、産経、系列のテレビ局、NHKが垂れ流すのはその思想において同レベルであることを示しているといわざるを得ません。

<琉球新報社説>

 実に心強い応援だ。米国や欧州、豪州の識者・文化人29人が沖縄に関する声明を発表した。辺野古の新基地建設は「沖縄の軍事植民地状態を深化・拡大する取り決め」だとして明確に反対し、普天間飛行場の無条件返還を訴えた。
 声明は「沖縄の人々による、平和と尊厳、人権と環境保護のための非暴力のたたかいを支持する」と言い切る。人権という世界共通の価値観に基づく沖縄の主張が、国際標準に照らして正当であることの証明にほかならない。われわれはもっと自信を持っていい。堂々と国際社会に発信し、日米両政府の不当な圧力をはね返そう。

並ぶ「世界の良心」

 声明の呼び掛け人の顔ぶれを見ると驚く。「世界の知性・良心」と呼んでいい、国際的に声望の高い人たちばかりだからだ。
 言語学者でマサチューセッツ工科大(MIT)名誉教授のノーム・チョムスキー氏は高い見識で世界的に尊敬を集めている。北アイルランド紛争解決に尽くしたマイレッド・マグワイア氏は1976年度ノーベル平和賞受賞者だ。
 「敗北を抱きしめて」の著者ジョン・ダワー氏はピュリツァー賞受賞者である。映画監督オリバー・ストーン氏はアカデミー賞受賞者であり、マイケル・ムーア氏もそうだ。
 ダニエル・エルズバーグ氏は元米国防総省の軍事アナリストだ。ベトナム戦争で米国の歴代政権が国民をだましていたことに衝撃を受け、戦争の経緯を記した最高機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を流し、命懸けで戦争の不当性を内部告発した人物である。こうした「良心」が沖縄の主張を支持する意義は大きい。
 声明はまた、その内容に意義がある。日米両政府に対する本質的な批判が並んでいるからだ。
 中でも、沖縄の現状を「軍事植民地状態」と言い切ったのが画期的だ。沖縄内部でなく米欧の識者が指摘しているのであり、世界標準に照らし植民地扱いに該当するということになる。
 普天間飛行場は沖縄戦のさなか、本土決戦に備え、住民の土地を米軍が勝手に占拠したものだ。声明はその事実も指摘し、「そもそも終戦後返還されるべきだった」と記す。占拠継続は、戦時の財産奪取を禁ずるハーグ陸戦条約に違反する。「返還に条件が付くことが本来許されない」という批判は、誠に本質的なのだ。
 確かに知事は辺野古移設を容認した。沖縄が追い込まれているように見えるが、実は逆だ。むしろ日米両政府が、世界の良識から追い詰められているのである。

独立宣言違反

 声明は、知事の決定を県民の72%が公約違反と見ている事実を伝え、「埋め立て承認は県民への裏切り」と言い切っている。昨年1月に全41首長が県内移設断念を求める建白書に署名したことも記す。世界に知ってもらいたい事実を的確に伝えてくれている。
 全人口の10分の1が参加する大集会を開いたこと、「人間の鎖」で基地を包囲したことなど、沖縄が続ける非暴力の抵抗も紹介した。国際社会の共感を得る上で効果は大きいに違いない。
 「沖縄は日本による17世紀初めの侵略に始まり、19世紀末の日本国への強制併合を経て、1944年には天皇制を守るための時間稼ぎの要塞(ようさい)にされた」とも記す。その上で「今日も基地から引き起こされる犯罪、騒音、環境汚染の被害を受け続けている」と述べ、「今回の合意は長年の沖縄の苦しみを恒久化させる」と指摘する。
 「沖縄の人々は、米国独立宣言が糾弾する『権力の乱用や強奪』に苦しめられ続けている。同宣言が指摘する『議会による同意なしの常備軍の駐留』にあてはまる」との指摘にも目を開かされた。
 米国の価値観に照らして容認できない人権侵害だという指摘は、米国では説得力を持つはずだ。日米両政府の不当性を国連などで訴え、さらに国際世論を動かそう


名護市市議会の意見書

2014年01月09日 11時00分47秒 | 臼蔵の呟き

政治において公約、選挙民である市民、国民との約束が以下に重要かは民主党政権の崩壊、民主党の惨敗が事実を持って証明しています。同時に、その怒りは単に民主党政権のみではなく、日本の政治に対する不信という形で表現されている点でも犯罪的です。

国政における自民党、公明党、民主党の公約違反、言行不一致は目に余り、政治不信を一層助長している点で、きわめて大きな政治問題です。消費税率引き上げで社会保障制度の維持、改善をといいながら、社会保障制度の「言葉」自身を語らなくなった。そればかりか社会保障制度を敵視し、解体をしようとしている。憲法改正について批判が集中すると、解釈改憲と称して実質的な改憲を強行する。挙句の果てにヒトラーに学べと嘯く政権とはどのような倫理観を持った政治集団なのでしょうか。

沖縄県知事、沖縄選出自民党国会議員は、恫喝に屈服しても名護市市長、市議は政治倫理を守った。公約を守ったのだということは必ず、歴史的意味、価値を持って後の政治、沖縄県政を拘束するものと思います。がんばれ名護市市長、市議、市民!!!

<名護市市議会の意見書>

米軍普天間飛行場の返還・移設問題で、那覇市議会は政府の名護市辺野古沿岸埋め立て申請を承認した仲井真弘多知事に抗議する意見書を賛成多数で可決した。
 

知事判断に対する県内議会の異議申し立ては、これが初めてだ。県民の思いをくみ取った市議会の良識ある行動として評価したい。
 仲井真知事は昨年12月の県議会で「日米両政府に普天間の県外移設、早期返還の実現を強く求めていく。県外で探さないと現実的にはならない」と答弁していた。
 今回の承認と答弁は明らかに矛盾する。しかし知事は12月6日の記者会見で「(辺野古移設は)実現可能性の問題で非常に厳しいと言ってきたが、反対したことはない」と弁明した。県外移設公約は虚構だったと自白したに等しい。耳を疑った県民も多いだろう。

これとは対象的に、那覇市議会の取り組みは政治家としての矜持(きょうじ)を示したといえる。昨年7月の那覇市議会議員選挙で当選した議員の大半が県外移設を公約に掲げていた。意見書可決はまさに自身の公約を忠実に守り通したものだ。
 市議会は、県内41市町村の全首長や議会議長、県議会議長らが連名で普天間の県内移設断念を安倍晋三首相に要請した「建白書」に反するとして仲井真知事を指弾した。民主的手続きを重んじるのは、議会人として至極当然だ。
 しかし、あろうことか、自民党県連は市議会の同党所属議員に対し意見書に賛成しないよう水面下で圧力を掛けた。可決後は賛成した議員の処分を検討している。
 県外移設公約を事実上撤回して辺野古移設容認に転じた県連が、公約を死守した市議を処分するのは倒錯した行動というほかない。


 仲井真知事の埋め立て承認後に琉球新報社と沖縄テレビ放送が実施した緊急世論調査では知事承認への不支持が61・4%に上った。支持34・2%の倍近くだ。普天間飛行場の県内移設への反対意見は73・5%に達した。
 市議会の意見書は県民世論とも合致し、民主的正当性を有する。
 意見書は、埋め立て承認で県外の人々に広まったであろう「沖縄県民は金で転ぶ」との印象を払拭(ふっしょく)し、首相に対し「140万県民を代表して感謝する」と述べた知事発言の欺瞞(ぎまん)性も突いた。民主政治の真価を示した歴史的決議として、高く評価されるべきものだ。


ウルグアイ ムカヒリ大統領のリオ会議発言

2014年01月09日 07時00分57秒 | 臼蔵の呟き

ある方の紹介で、この演説を知りました。価値観の違い、コインの裏表の関係です。日本、アメリカ、多くの先進工業国首脳、富裕層の振りまく価値観との違いを考えさせられる話です。

<以下は報道内容です>

なんということでしょう。リオ会議(Rio+20)は環境の未来を全世界で決めて行く会議で、日本メディアも新聞やテレビで大きく取り上げてきたのに、もっとも衝撃的で環境危機の本当の問題を唯一示し、考えさせられるウルグアイ大統領の本音スピーチを誰も日本語に訳していません!

こんな大事なスピーチですので、日本の皆様にも紹介したく未熟ながら翻訳しました。

もう一つガッカリしたことがあります。

リオ会議に期待を寄せ、Youtubeで各首脳のスピーチや、かの有名な伝説のスピーチをしたサヴァン・スズキさんの映像も見ていました。リオ会議では各国首脳が集まり、地球の未来を議論し合う場なのに、各国首脳は自分のスピーチを終わらせたら、一人一人と消えて行ってしまいました。世界中から何時間もかけてこの場に来ているのに、みな人の話は聞かず自分のスピーチで済ませている代表者が多い  リオ会議だったと思います。

ウルグアイのような小国の大統領は最後の演説者でした。彼のスピーチの時にはホールにはほとんど誰もいません。そんな中、カメラの前で残したスピーチは、その前まで無難な意見ばかりをかわし合う他の大統領とは打って変わって、赤裸々に思っていることを口にしています。世界で最も「貧乏」な大統領と言われているエル・ペペ(愛称)が世界に対してどんなメッセージを残したのでしょうか。私にとってはいつも考えなければならない重要なスピーチにもなりました。

ウルグアイ ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロスセネカアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。