“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

東京都知事選挙の持つ政治的意味

2014年01月22日 11時00分41秒 | 臼蔵の呟き

宇都宮候補と細川候補が脱原発で候補者一本化を要請されたが、両候補から断られて、脱原発候補が2人出る方向で進行していると報じられています。

今回の都知事選挙は、猪瀬前知事の汚職辞任を受けて、行われる知事選挙であるだけに、政治と金の問題は、その選択に当たって重要な選挙課題であることは確実です。国の首都の自治体長が企業献金、汚職による辞任に追い込まれたこと自身が、政治倫理の問題として明確にされることが必要です。

第二に、原発の稼動、反原発・廃炉かも選挙の争点となっています。通常であれば、自治体首長選挙において原発廃炉、再稼動などは選挙争点とはならない政治課題です。しかし、福島県、関東全域は東京電力から電力の供給をうける地域ですので、自治体、住民にとっては選挙の争点のひとつとして意味があることと考えられます。また、細川氏が小泉元首相の支援を受けて、脱原発主張を掲げて立候補することに意味はあります。しかし、細川氏の経歴は政治資金問題、消費税制度の導入、小選挙区制度を導入した張本人であることを振り返り、その反省を行い、公約の内容を都民に説明することが求められることは同義的に言って必要です。宇都宮さん、細川さんへの支持票の総和が、脱原発支持票としてみなすことが必要になるのだと思います。

第三は、名護市市長選挙の結果を受けて、安倍、自民党政権への評価、政策への評価が選挙を通じてあきらかにされるという点での政治的重要性を持つのではないかと思います。安倍、自民党が傲慢で、強権的な政権運営を行うことで国民的な反発を買う中で行われる一連の選挙結果は、政権の政策、運営、政治手法に対する賛否をあきらかにする機会でもあります。

第四に、都知事選で勝つことが至上命題のようにマスコミにより宣伝されています。しかし、都知事に当選できることは最高の目的なのかも知れませんが、都民が、選挙資金、政治資金と汚職問題、脱原発への判断、オリンピック東京開催への姿勢、消費税率の引き上げ、災害と自治体の役割などに関して候補者の公約、政治姿勢を選択できる選挙となることは非常に重要なことではないかと思われます。自治体選挙、国政選挙ともに多くの政治課題、公約があり、単一の政治課題への白黒だけで判断できないことは自明のことです。

脱原発、巨額の都市開発費用の投下、政治と金の問題で清潔な候補が、勝利するような都民の良識ある判断を期待したいものです。また、関東地区における地震災害は全国的な問題でもあり、災害に強い首都作り、機能強化も論戦として展開されるように希望します。

<都知事選挙記事>

東京都知事選(23日告示、2月9日投開票)で自民、公明両党が支援する舛添要一元厚生労働相(65)は20日、民主党の支持組織である連合東京と都内で協議し、雇用問題に関する政策協定を結んだ。民主党都連は細川護熙元首相(76)への支援を決めており、連合東京と対応が分かれている。細川氏は22日に記者会見し、脱原発を柱とした公約を発表する。

 政策協議に先立ち、舛添氏は福井市内で講演し、エネルギー政策について「長期的には原発をなくしていく方向にしないといけない。ただ『今日から脱(原発)』と言って代替案がないのは無責任だ」と強調した。


憲法改悪、靖国参拝、自衛隊の国軍化、道徳教育導入

2014年01月22日 07時00分27秒 | 臼蔵の呟き

安倍、自民党が考える新軍国主義化の一連の流れに沿った、義務教育の反動化が顕在化しています。安倍、自民党極右政権はかねてから、教育の反動的再編を軍国主義化にとって重要な政策課題であると狙ってきました。右翼のいう天皇を中心とした国家作りにとって重要なことは、個人の権利を制限、否定して国家の権限、国家への奉仕を強要することこそが必要と考えています。そのためには義務教育――小・中学校の課程で忠君、天皇に対する親近感などを無垢の子どもたちに教育し、洗脳することです。君が代の斉唱強要、日の丸の掲揚などはその1つの表れです。

笑ってしまうのは「いじめ」は道徳により解決するとして、道徳教育を導入しようとしていることです。安倍、自民党政権、御用学者集団の姑息な意図が見える構図です。いじめは自民党、大手企業が進める労働強化、利益第一主義の結果、企業の現場における労働者いじめ、ストレスなどに起因しています。その代表的な事例がブラック企業といわれる一群の企業です。その代表的な企業であるワタミの代表者を自民党議員として所属させながら、いじめを理由として、道徳教育を義務教育課程に導入しようとの狙いは本当に許せないものです。

いじめをなくすのであれば、教師への評価方法の見直し、一学級あたりの児童数の削減、学校と父母の連携強化、ブラック企業の根絶などが有効です。また、非正規労働をなくし、労働者の生活保障、給与水準の改善を行うことで、家庭における児童の生活安定こそが政治の責任です。このようなことをことごとく拒否し、自らが世界でもっとも企業が自由に活動する国家を目指すなどは血迷うなというくらいの妄言でもあります。

<北海道新聞社説:道徳の教科導入>

文部科学省は、道徳を小中学校の正式教科にする方向で検討を進めている。教科として採用されれば、国の検定教科書が使われる。愛国心を重視した教育を強化しようとする文科省の狙いは明らかだ。国に寄せる思いは一人一人異なる。教育を通してそのあり方を強要してはならない。教科化は不要だ。

 見過ごせないのは、道徳の教科化が教科書検定を厳格にする流れと軌を一にしていることだ。

 新たな教科書検定は、愛国心を養うことを盛り込んだ2006年改定の教育基本法に照らし、重大な欠陥がある場合は不合格にできるとの方針を掲げている。道徳で検定教科書が使われるようになれば、出版社や執筆者が愛国心を意識して編集作業に当たるようになるのは間違いない。国の意向をくむことで、国家への奉仕・献身を強要した戦前の「修身」へと近づいていく。こんな危惧を抱かざるを得ない。

 道徳の教科化は、第1次安倍政権時代にも検討された。「行き過ぎた個人主義で公の精神が置き去りにされている」との理由からだった。だが、中央教育審議会(中教審)には慎重論が根強く、結局、退陣後に見送られた。その経緯を忘れたわけではあるまい。

 現政権で再び、与党の数の余勢を駆って実現を図ろうとするのはあまりに乱暴ではないか。

 教育現場では現在、週1回程度の「道徳の時間」があるが、検定教科書は使わず、成績もつけていない。今回は有識者を集めた懇談会で検定教科書を使う「特別の教科」と位置づけるようお墨付きを得た。そこには、成績の点数化は適切ではないが、記述式評価は検討に値する、との提言が盛り込まれている。記述式だとしても、道徳心は評価になじまない。

 道徳の教科化が再燃した背景には、11年に大津市で起きた中学生のいじめ自殺がある。安倍首相直属の教育再生実行会議が、いじめ対策として道徳の教科化を進言した。

 文科省は今後、中教審に諮り、18年度からの実施を目指す考えだ。

 いじめを減らすには、子どもたちに善悪の判断力や思いやりの気持ちを育てることが大事だ。

 読書の時間や自然と触れ合う機会を増やし、相手の気持ちや立場を理解するための討論を取り入れるなど、現在の学校教育の中でも取り組めることはいくつもあるだろう。

 多様な価値観を、無意識のうちに身に付けていく教育こそが望ましい。中教審にはこうした教育の原点を見据えた論議を求めたい。