あけましておめでとうございます。年末年始は風邪を引き、布団の中でじっとしていました。札幌は強風と大雪で、家の一階は半分ほどが雪に埋まっています。積雪になって半月足らずですが、雪の投げ場がなくて大変です。
2011年「3.11」以後、3年目に入ろうとしています。復旧、復興は遅々として進まず、被災地以外での報道もほとんどされず、忘れ去られようとしているのには驚くばかりです。東北の震災が日本社会にもたらした、危機と警告は、時間が立てば忘れ去られるような問題ではないはずです。企業利益至上主義、そのために、あらゆる仕組みを再編する。労働組合運動を攻撃し、弱体化させる。その目的は労働条件の改変を企業にとってたやすくすること。また、社会保障の解体をするためにその中心に位置する民主勢力、労働運動を破壊すること。その結果、企業が負担すべき社会保障費用は最小化することが目的でした。しかも、景気の悪化を逆手に取り、ベースアップの中止、正規労働者の削減と、非正規労働への転換により、生産における人件費比率を最小化することを徹底して追及しました。これがこれまでの自民党が政治経済の結果と、目指しているものではないかと思います。しかし、これらのむき出しの利益追求、企業行動は獰猛さ、時代の進歩との落差などから「オブラート」にくるむように政治権力をして要求する側面もありました。1%富裕層と99%低所得者問題、ウール街の占拠活動はそのような日本、アメリカ、先進工業国に広がる政治経済の閉塞感を示す典型的な政治要求運動でした。経済至上主義、利益至上主義、成長神話、巨大なシステムに過度に依存した社会の危険性の再考が求められたのだと思います。
東日本大震災が日本社会に与えた衝撃と再考は、人間としての尊厳を持った政治経済社会とは何かがあらゆる分野に問い続けているのではないかと思います。
<河北新報社説:東北の再生に歴史的意義>
<人類が最後にかかるのは「希望」という名の病気である>。詩人、劇作家の寺山修司は作家、サン・テグジュペリの言葉を折に触れて引用、希望と向き合い続けた。
右肩上がりの経済成長は去り人口減少、財政悪化、大震災の続発などで先々の安定を見通せないただ中にある。期待感に満ちた未来を展望しにくい分、視線は足元の「小さな幸福」の実現に向かう。分からないではない。大望や野心をあおるつもりはないし、私益や国益への過ぎた固執が時に道を誤らせもする。
ただ、不安を可視化する想像力や乗り越える意欲を放棄しては、寒々しい希望喪失社会が現実化するだけだ。どんな社会を望むのか。難しい時代に直面する今、私たちは構想力を問われている。
1989年に元号が「平成」に改まってから25年、四半世紀が過ぎた。国内外、歴史的な出来事が多く、社会が地球規模で転換期にあることを教える。新たな社会が見定め切れない故に模索の日々が長引く。
激動の歩みを振り返る。
長期政権を担った自民党が下野。2009年、初めて本格的な政権交代が実現した。12年、自民党が政権を奪還、「1強体制」を取り戻した。
消費税導入は89年。税率上げが政治を揺さぶり続ける。
経済の浮き沈みは歴史的。財政金融の大盤振る舞いで、89年の日経平均株価は4万円に迫る最高値。その後、バブルが崩壊、金融機関の破綻が相次いだ。雇用形態が大きく変わり、個人所得も漸減。08年のリーマン・ショックから経済は立ち直る途上にある。
1995年の阪神淡路大震災などに続いて2011年には東日本大震災が発生。原発事故も重なり、豊かな社会の脆弱(ぜいじゃく)さを見せつけた。
95年の地下鉄サリン事件で社会不安が高まった。格差、高齢社会が進行し人口減少が現実化。財政は借金まみれで不利益の分配を迫られる。
国際社会では「大国の興亡」が劇的に展開。89年にベルリンの壁が崩壊、91年にソ連が消滅した。唯一の強国、米国も国力が陰り、超大国不在の「G0」の時代に動く。
東西冷戦終結で平和の配当が期待されたが、負の遺産から新たな脅威が出現。2001年「9.11同時テロ」の形で、矛先が米国に向いた。
対テロのアフガン、イラク両戦争を経てなお、中東の安定化は遠い。民主化を求める「アラブの春」も出口が見えない。
米国主導の強欲な資本主義が席巻。金融自由化がリーマン・ショックとなって暴発し、新興国の躍進などで経済の仕組みも複雑さを増す。
米国と台頭する中国が微妙な力関係で世界をリードしそうな状況だが、国益の調整は難しく安定した世界への道筋を描けない。
巨大地震や大型台風などの自然災害が猛威を振るう。異常気象の要因とされる温暖化対策も利害が絡みつまずく。
四半世紀の激変を踏まえれば、従来の発想で「希望と共にある社会」を築くことはできまい。先々の不透明を言い訳に「時代の挑戦」から逃れ続けるわけにもいかず、長い視点と深い洞察で流れを見据えて一歩を踏み出す時だ。
安倍晋三首相はデフレ脱却を掲げ、成長戦略を推し進める。安全保障の態勢強化と併せ、国家主義的な古い手法で富国と強兵の強い日本を取り戻そうとするごとくである。
原発再稼働を進める理屈も、そうした文脈で説明できる。現世の利益と引き換えに後世の幸福を差し出す心地の悪さを思う。
「3.11」以後の日本の再生ではなく、それ以前の再生に流れている。昨年亡くなったコラムニスト天野祐吉さんには、現実がそう映る。
成長から成熟社会への潮流に背くように成長神話にすがる寂しさが批評にこもる。
好景気が復興を支える側面は確かにあるが、成長の限界を学び、「あの日」にそれだけでは得られない安心感、幸福感があることも知った。
支え合う共助や心を寄せ合う絆の大切さ、巨大システムに過度に依存する社会の危うさを悟った今、復興は新たな社会像を模索し実践する過程に重なる。
成熟に軸足を置いた地域主義的な循環・共生社会創造へのパラダイムシフトの先駆けにもなろう。
「青い鳥」の舞う社会の構築に向けた一つの手掛かりとして、東北の再生が担う歴史的意義をかみしめたい。
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