小異と切り捨てる原子力事故、除染残土
汚染を除染する農地実験です。維新の議員、家族もこの地域に住んでみてほしいと思います。
結局は、マスコミにちやほやされるだけの政治勢力としての第三極政治勢力ということではないかと思います。彼らの本質、本音が見えいていますが、その本質をマスコミが徹底して知らしめる社会的な責任があるのではないかと思います。そのマスコミが自らの社会的責任を無視して、権力や政治屋の宣伝屋に成り下がって結果、維新の会、太陽党、その政治勢力に擦り寄る政治家は、増え続けています。選挙互助会としてもこの政治勢力が利用されています。その実態は旧自民党政治家、自民党的な政治思想、右翼的な政治家が中心となった非常に危険で、古い政治思想を持った政治集団であることを告知する必要があります。
小異を捨てて、大同につくといっている石原代表は核兵器は必要、保持することで外交、軍事で発言権が増すとの立場を公然と語りました。また、小異として原子力事故、原子力発電所問題を切り捨てました。東北地方、関東一円がこれだけ放射能に汚染され、16万人もの住民が避難する大災害を小異と切り捨てる傲慢さと政治感覚は異常といわざるを得ません。石原氏は、尖閣を守るためには「血を流せ」とも主張しています。歴史の歯車を逆転させるような復古主義、右翼的言動は、日本のアジアにおける地位を貶めるしかないと考えます。
このような勢力が民主党、自民党についで三番目の議席数を掠め取ることはなんとしても食いとどめることが必要ではないかと思います。
<第三極の合流 小異などと見過ごせぬ>東京新聞社説
二大政党に対抗する「第三極」として国民の信を問うという。それならば、政党として政治理念と政策を明確に打ち出すべきだ。天下取りが先などという言い方は、有権者を愚弄(ぐろう)するものである。
第三極の大きな渦の一つは、日本維新の会への合流の動きだ。
納得し難いのは、例えば太陽の党を率いた石原慎太郎氏の「小異を捨て大同団結して戦う」との発言だ。個別政策は「天下を取ってから」と言い切ったが、政策なき野合と批判されても仕方ない。
太陽が事実上、維新の政策を丸のみしている。選挙後に足並みをそろえて政策実現に努力できるのか国民には大きな疑問が残る。
三年前を振り返ってみよう。考えの違う人たちが政権交代という一つの旗を掲げ、政権の座についた。その民主党は路線対立が表面化し、政治的な混乱を繰り返したことは記憶に新しい。
維新と太陽の政策合意では、原発について「安全基準や使用済み燃料などのルールの構築」と記した。維新が唱えてきた「二〇三〇年代までの原発ゼロ」達成へ、具体策に踏み込んだともいえる。だが、「ゼロ」の文言が消え、国民は分かりにくく感じる。
橋下徹大阪市長は、TPP(環太平洋連携協定)交渉入りを主張し、石原氏は「米国の意向に従う必要はない」と真っ向から対立してきた。合意文書は「交渉に臨むが、協議の結果、国益に沿わなければ反対」と記した。橋下氏が名より実を取った面もあろうが、玉虫色の両論併記にも見える。
先週の、太陽の党と河村たかし名古屋市長が率いる減税日本との合流合意、一転白紙の経緯も不透明に映る。石原氏が、橋下氏の反対を受けて、一夜で白紙に戻したのは、信義に欠けないか。
橋下氏が、減税との合流を否定する大きな理由は、政策の違いである。一方で、石原氏とは「小異」として合流を優先させた。維新の看板は「政策重視」だったはずであり、二重の基準にも映る。
もともと名古屋と大阪の地域政党が国政を目指す原点は、中央集権を打破し、地方から国を変えることであった。河村氏もその原点である党名を変えてまで、合流にこだわる必要があるのだろうか。
衆院選が迫っており、政党の合流には、勢いや選挙の顔が大切なことは分かる。だが、それも、党の揺るがぬ政治理念や政策をきちんと国民に示せてこそである。
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