“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

「東電弱める発言は控えて」 財務相時に野田氏が発言

2012年04月16日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き

野田政権の大飯原子力発電所、再稼動をめぐる決定、姿勢が大きな問題となっています。野田政権、野田氏の原子力発電所事故に対する認識、感覚が問われている問題です。
原子力発電は、科学技術の問題として、優先的な検討が必要な課題です。この点では、現在の科学技術では安全に管理できる技術ではありません。事故が発生した場合は、一地域ではなく、国境を越えて、放射能汚染が拡散する激甚災害です。また、正常に稼動しても、核廃棄物の最終処理が、世界的にも定式化できない条件の産業です。したがって、稼動すること自体が技術的に、大きな禍根を残すような産業です。
エネルギー確保の視点からの検証が第二です。この点では、先進工業国ドイツは原子力発電所の全廃を決めました。それ以外でも、スイス、イタリアなども脱原子力政策をとっています。日本は海洋国家であり、風力発電、太陽電池エネルギー、水力発電などの可能性、潜在発電能力が十分あるといわれています。その開発に、国家として投資を行う必要があります。この点が、まったく、あいまいにされています。原子力発電が電力供給量の3割といわれていますが、2011年4月16日時点で、北海道泊原発の一基しか稼動はしていません。53基が停止していても電力供給には大きな障害はでていません。
第三は、電力コスト問題です。原子力が一番安いといわれていますが、核廃棄物処理費用、原子力事故などを考慮した場合、とてつもない(天井知らず)費用がかかっています。このコストを合算して、電力コストを計算すれば、原子力発電は最安値の電力とならないことは、誰が考えても明らかです。
第四は、国民にとって必要なエネルギー源かという点です。コストは安くない。科学技術の面からは安全性は保障できない。代替エネルギーはあるし、開発途上である。これらの点を、考えると、電力会社、原子力産業にとって必要な原子力発電所としか、存在価値がありません。電力会社、原子力産業にとって利益が出せる産業だから、原子力発電所を維持、再稼動させるべきとの理屈しか見当たりません。そこに、1年前の野田氏の発言が明らかになり、彼らの思惑と、姿勢がより鮮明となっています。



 東京電力福島第一原発事故をめぐり、野田佳彦財務相(当時)が2011年3月31日夜の原子力災害対策本部会議で、東電の株価急落を懸念し、「(東電を)弱める発言は控えてほしい」と発言していたことがわかった。経済産業省原子力安全・保安院が4月13日、情報公開請求に対し、複数の会議メモを開示した。
 会議は事故の約3週間後(2011年)で、このころ、原子力損害賠償法に基づく事故の補償が巨額になる見通しから、東電の株価は急落していた。2011年3月30日には東電の勝俣恒久会長は会社存続が厳しいとの見通しを示していた。
 会議で野田財務相が「東電に国有化の話が出て、株価がストップ安に。株主60万人のうち、59万人ほどは個人で、経済への影響も大きい。東電を弱める発言は控えてほしい」と、東電への批判を牽制(けんせい)していた。

安斎育郎さんと原子力村

2012年04月16日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
安斎育郎さんと原子力村

4月15日朝のラジオ番組で安斎育郎さんの大学時代を振り返る報道がありました。安斎さんは東京大学の原子工学の一期生でした。安斎さんは入学以来、一貫して、原子力の安全性を重視し、研究を行ったのだそうです。ところが、教授から論文の発表は、教授の許可なく行ってはいけないとの指示を受けて、「学会」の中では「村八分」状態におかれたようです。それ以来、50年間、自らの信念を曲げず、原子力の安全性に関する研究、取り組みを行ったのだそうです。最近、東京大学で講演をしたとのことです。過去のことが頭に浮かび、時代の変化を思い、複雑な心境であったとのことです。

安斎さんは、東大原子力工学、主流派(原子力村)からは排除され、徹底して干されたという内容でした。そこで、安斎さんがなぜ、挫折し、彼らにすりよらなかった(変節しなかった)のかも話していました。①安全性に対する信念を持っていたこと。②東大の研究室で孤立しても、原子力学会の中に、安斎さんを支持する研究者がいたこと。③若手研究者の中で安斎さんを支持する研究者がいたこと。④安斎さんの奥さんが、自分を信じて、受け止めてくれたこと。で安斎さんが信念を曲げずに、学者、研究者として、一生を全うできたと話していました。言葉で、言えば上記のような内容ですが、学者としての40年間にわたって、冷遇され、排除されても、信念を曲げずに一貫性を持った安斎さんの生き方は「すごい」「貴重」なものだと思います。

京都大学原子炉実験所助教 小出裕章さんの処遇も。学会、電力会社からの嫌がらせなどは同種の攻撃です。

北海道電力に入社し、41年間勤務した「水島能裕さん」の話があります。水島さんは東北大学法学部を卒業し、北海道電力に入社しました。「原発に反対した」ために、北海道電力内で、上司から「会社を辞めろ」と何度も攻められたそうです。「原発の秘密を漏らされると」。58歳まで関連会社に転籍するまで36年間、旭川支店から異動することなく、部下も与えられなかったそうです。電力会社、普通の企業ではない処遇を受けました。その北海道電力の「泊原発」だけが動いています。

原子力発電所、原子力産業の「安全性」「安全安心の神話」が人為的に作り出されたものであるといわれていますが、このような、研究環境、科学技術分野で、やってはならない反対意見の排除によって成り立っていることを示しています。自らの研究、理論に正当性があるのであれば、反対の意見、批判を堂々と受け入れて、公の場で、正々堂々と議論すればよいだけの話です。しかし、このような原子力村学者、御用学者、営利優先企業は「安全性」よりも、利益を追求するあまり、コストのかかることを極度に嫌い、そのような意見、警告を徹底して「排除」することを常道としています。その結果が、12年3月の福島原子力発電所事故となって現れました。野田政権が大飯原発再稼動容認の決定を行った過程も、「漫画のよう」「非科学的」「稼動優先=電力供給優先」といわれていますが、同じ流れです。

震災があぶり出した貧困

2012年04月16日 06時00分20秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、もともと貧困状態にあったが震災によって浮彫になった貧困の話です。

4月14日に仙台弁護士会館で「震災があぶり出した貧困」という集まりがあり参加しました。そこでお聞きした話を紹介します。宮城県南部に住むHさんの話です。

塾の先生をやっているが仕事が不安定なので仙台市からこの土地に移住しました。家に畑、裏山付きの農家の家を借りることができました。裏山からマキを取ってきて風呂とストーブの燃料に使っていました。畑にもいろいろ作って自家用に食べていましたが、直売所にも出すようになって一番売れた年で100万円に近い手取りとなりました。

本人は自分の仕事を「半農半エックス」と言っています。自然に寄り添った暮らしを返してほしい。賠償金がほしいのではない。

まきでストーブと風呂を焚いていましたが、灰の放射性物質が多いときで1キログラム当たり2万ベクレルもありました。環境省からまきを使うなと言われ、灯油を買って風呂と暖を取るのに使っています。

子供に地元の物を食べさせられず、野菜も買っています。

農家の方は自分で使うもののかなりの部分を自分の土地や近隣の物で作ります。原発事故のため身の回りの素材を使えないで、物を買わなければならない悔しさを東京電力や原発関連業界、民主党の人たちはわかっているのでしょうか。地域のコミニュティーも成り立ちにくくなっています。まつりや地域の環境保全などみんなでやってきたのです。

貧困から逃れようとして「半農半エックス」を選んだのに、半農が成り立たなくなったHさんはお金が必要になり、貧困が進みました。いたたまれなく、原発が許せない気持ちでいっぱいです。

春の明るい花で気分転換をしましょう。15日に撮影したものです。