“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

公務員バッシングの正体

2012年04月21日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
公務員バッシングの正体
神戸女学院大学教授 石川康宏さんの分析(2)

この間、大阪府、大阪市、民主党、みんなの党などが公務員給与の引き下げが必要だ。と主張して、実際に、給与カットを国会で決めました。生活苦に苦しむ人々からは「歓迎?」され、一種の「ガス抜き効果」も期待されているように思います。この石川教授の分析は、「なるほど」と思える分析です。

財界の巻き返しの動きとして、1980年代には政府の各種会議に経団連や日経連などの財界団体幹部を参加させる、いわゆる「諮問委員会政治」が、広められます。戦後はじめて、法人税率が引き下げられ、大企業のもうけの自由を拡大する「規制緩和」路線が明確になり、さらに国の形の問題としては、国家は防衛、外交、対外経済政策に専念し、国民生活は自治体まかせにすればよい、という議論も強まります。労資協調の色合いを強くもった連合という労働組合(全国組織)の結成を、財界が大歓迎したのは89年のことでした。

財界と政府一体

 90年代の後半に、橋本「六大改革」の一つに「行政改革」が位置づけられ、その後、2001年に、他省よりも格上の行政機関となる内閣府がつくられ、そこに経済財政諮問会議がつくられます。そして、この会議の議員に経団連と経済同友会の幹部が入りこみ、政府首脳と一体になって、この国の特に経済政策を、動かすようになっていきます。
 現在の公務員バッシングにつながる「公務員制度改革」論は、こうしてこの国の形や公務のあり方を、財界の願いにそってつくりかえるという流れのもとに、登場したものです。
 自分の生活を国や自治体に頼るなという「自己責任」論を国民に浸透させ、「小さな政府」作りの名目で、住民生活をささえる公務を縮小し、あるいはそれを民営化します。
 財界の利益に直結しない公務は、不必要なものであり、利益のじゃまになるものは、解体するということです。それが「官から民へ」「官は怠惰で不合理だ、競争のある民にまかせた方が合理的だ」―こういうスローガンのもとにすすめられました。
 その結果、保育や介護など福祉の民営化がすすみ、国立大学も投げ捨てられるといったこと、が起こりました。公務員の削減や公務の解体、あるいはそれを正当化するために、繰り広げられた公務員バッシングは、何より住民の生活や学びの権利の喪失に結びついていたのです。
 先日、大阪の橋下市長が、公務員は「国民に対して命令をする立場」だと言い放ちましたが、その橋下氏のバックには、関西経済同友会など大きな財界団体が、ついています。不法な「思想調査」アンケートが問題になりましたが、ああいう強権的な姿勢も、公務員を一部大企業への奉仕者にかえることを、大きなねらいの一つとしたものです。
 このように80年代以後の政治の流れを大きくふりかえるとき、私はあらためて公務員とは何か、公務労働とは何か、それは誰のためにあるもので、どういう人間が担うべきものなのか、こうした根本の問題を考えることが、必要になっていると思います。70年代までは、大いに論じられた問題でした。
 基本点にふれておくなら、公務員がどうあるべきかという問題は、国や地方の政治がどうあるべきかに直結します。財界がやりたい放題を行う政治なのか、国民のくらしを守る政治なのか、それによって公務員の果たす役割は大きくかわってくるわけです。
 その意味では、私たちは個々の公務員の行動ばかりに目を奪われるのでなく、この国の政治は、公務員に何を行わせようとしているのかという、政治の根本に注目することが必要です。根元にある悪政を野放しにしておいて、公務員には善政を求めるというチグハグさは、私たち主権者の責任で正すことが必要です。

住民と手を結び

 もう一つ大切なのは、憲法が公務員を「全体の奉仕者」だとしていることの意味の問題です。仮に政治が財界の利益ばかりを追求しようとするとき、「上司の命令だから仕方がない」とするのが当然なのか、それとも「全体の奉仕者」であることに反すると思われるときには、これに異を唱えることができるのか。そういう問題があるわけです。憲法は「国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令…の全部又は一部は、その効力を有しない」(98条)と書いていますから。
 この点の現場での実際は、具体的な「力関係」に大きく左右されるでしょう。だからこそ「全体の奉仕者」たろうとする公務員と、「全体の奉仕者」にふさわしい公務を必要とせずにおれない住民は、日頃からしっかり手をとりあうことが必要です。公務労働論にとどまらない、公務労働運動論が重要です。

食品の放射能検査「独自基準やめて」 農水省が通知

2012年04月21日 13時00分00秒 | 臼蔵の呟き
民主党政権の政治姿勢、官僚の体質をよく表した、行動です。農林水産省が業界団体に通知を出した。(これが、実質的な行政指導、恫喝です。)逆らえば、困るのはあなたですよ!と通告したのと同じです。自民党政治、官僚が行ったこととまったく同じです。

原発事故を起こしたのはだれですか?
原発事故を防止できなかった経済産業省、原子力保安院の責任はなぜ問わないのですか?
放射能汚染を引き起こした東京電力の刑事責任をなぜ問わないのですか?野田、枝野、藤村、細野大臣の家族は汚染された、食材を食べても平気ですか?

笑ってしまうような「ちんけ」で、欺瞞に満ちた対応です。


食品の放射性物質検査をめぐって、農林水産省は20日、スーパーや食品メーカー、外食産業などの業界団体(270団体)に対し、国が設けた放射性物質の基準を守るよう求める通知を出した。国よりも厳しい独自基準を設けて自主検査を実施し、「『放射性物質不検出』の食品しか売りません」などとする動きに歯止めをかけるのが狙いという。
 国は4月から、それまでの暫定基準を改め、新基準(一般食品の放射性セシウムは1キロあたり100ベクレル、牛乳と乳児用食品は50ベクレル、飲料水10ベクレル)を施行した。
 通知は同省食料産業局長名で出され、民間に広がる自主検査に対する注意喚起の形をとっている。通知は、この新基準が国際的な指標と比べても、さらに厳しい設定であることを強調。「過剰な規制と消費段階での混乱を避けるため、自主検査においても食品衛生法の基準値に基づいて判断するよう周知をお願いします」と記している。

東京電力福島第一原発1~4号機の廃止決定

2012年04月21日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
東京電力福島第一原発1~4号機が、電気事業法に基づき廃止になった。これに伴い、国内にある商業用原発は20日、計54基から50基に減りました。当然のことですが、甚大な事故が、おきてから出ないと、対策、廃炉が決まらないということは、残念なことです。規制官庁がない、点検が出来ない行政の弱点が顕著に現れています。東日本全体に甚大な被害、影響を及ぼすような事故を起こさない、行政としての監督責任が厳しく問われているのだと思います。

民主党内には、大飯原発再稼動を決めても、利地自治体、周辺、反対勢力が騒ぐのは一時的と、予測して、決定したとも報道されています。事実かどうかは確認のしようがありませんが。関係閣僚会議の審議時間、回数などを見れば、形式を整え、アリバイ的に行ったことは明白です。1年たっても事故原因すら分からず、あらゆる産業に甚大な被害をもたらし、福島県周辺住民の数万人の移住、避難生活を強いる事故を引き起こしての、民主党政権、経済産業省の政治姿勢は無責任といわざるを得ないと思います。

福島原発事故の事実調査、原因解明、核廃棄物の処理、除染の残土、除染物質の保管場所、損傷した原子炉4基の安定した冷却を実現することこそが最優先されるべきです。そのどれ1つとっても何も解決、終了、めども立っていません。2号炉は依然として冷却水は漏れ続けています。どこから、冷却水が漏れているかさえ、把握できていません。

悲しいできごと

2012年04月21日 06時00分12秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、被災者の自殺についての話です。

平気で「集団自殺」などの言葉を口走った政治家を許すことができません。この政治家たちの無策が被災者を自殺に追い込んでいることも気づかずに、こんな単語を持ち出すなんて!

被災者が自殺しても、新聞やテレビのニュースになることはまずありません。しかし、かなりの頻度で自殺者が出ています。子供と妻を亡くして自殺したと聞いた話は二回目です。
確かに、ひとりぼっちになって、自殺するのは政治の責任では無いように見えます。しかし、そのような方たちにも未来を見えるようにすることも政治の役割りです。

自殺せざるを得ない状況に追い込んでいる政治家たちは即刻退場してほしいものです。


【ここからは知り合いの方のブログのコピーです】
 震災から一年。

 悲しいできごとがありました。

 昨年の津波で妻と幼い子どもさん二人、かけがえのない大切な家族をいっぺんに失ったAさんが、自らの命を絶ちました。享年36才。

 この一年、どんなにつらい日々を過ごしたのでしょう。

 だれも、救えなかった「いのち」・・・・・

 住まいも暮らしも展望が見えない中で、今、被災者の皆さんは心が折れそうになっているのだと思いを強くしました。

 お酒やギャンブルに溺れられる人なら、逆に救えたかもしれない。

 「辛い」「悲しい」「怒り」いっぱいしゃべって、いっぱい訴えてほしいと思います。

 わたしができることは何か、もっと考えたいと思います。