“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

野田政権と原発再稼動の動き

2012年04月12日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
北海道大学山口二郎教授の寄稿文です大阪維新の会支持者のブログ攻撃、炎上が少し沈静化して、彼の考察も掲載し始めました。野田民主党政権が原発再稼動ありきで、新基準作成、大飯原発審査了解、地元への説明と急激な展開を見せていることへの山口教授の意見です。なかなか面白い見解です。福島原発事故の原因調査も終了せず、真の事故原因も分からず、福島原発のウラン燃料はどこにあるかも分からず、冷却水も漏れ続けています。どこに冷却水が漏れているかも分からず、それでも、原発を稼動させる野田政権は「国の将来を思って本式の決定」をする資格があるのでしょうか。
放射性廃棄物は「最低でも1000年間は厳重に管理されなければならない物質です。」1000年さかのぼれば、1012年(平安時代:藤原道長時代)です。歴史として語られていますが、平安時代の人間が、2012年に何がおきて、どのような管理をすべきか、などが分かるはずもありません。また、1000年後の安全管理などは現在の科学技術でも困難だと思います。それを政治判断で行う????
<北海道大学山口二郎教授>
原発の再稼働をめぐって、野田政権はタイミングを計っている印象である。政府は安全対策について「暫定」基準を作った上で、それに基づいて再稼働を認めたいという意向のようである。
 暫定という言葉を辞書で引いてみると、「本式に決定せず、しばらくそれと定めること」(広辞苑)と説明されている。福島第一原発の事故を受けて、今後の原子力発電をどうするかは、日本の将来を左右する重大な問題である。
これについて本式に決定せず、しばらくこれで行こうという姿勢は、政治家の真剣さ、責任感を疑わせる。意地悪く言えば、暫定的な基準の的確さをその後精査することなく、ずるずるべったりで本式の決定に仕立てようという下心を感じるのである。
 野田首相は、消費税問題について覚悟、決意という言葉をよく使う。自分は今の政局ではなく、国の将来を思って本式の決定をしたいと言いたいのだろう。そのまじめさは分かりたいと思う。しかし、暫定という問題処理の方法は、彼の言う悲壮な決意の正反対に存在する。
「夏の電力需要を原発なしでまかなえない」という話が真実なら、原発の部分的稼働もやむを得ないのかも知れない。その場合も、暫定措置を終わらせる明確な担保が必要である。

原発事故と「職欲」

2012年04月12日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き

岩波書店「世界」に「職欲」(江戸時代の東北地方思想家で 安藤昌益氏)という言葉の説明が載せられています。

職欲=専門家が専門を追求するときに周りが見えなくなる怖さのことだそうです。以下は、作者(片岡龍さん:東北大学文化研究科)の文書の要約です。
昨年、3.11震災の経験は、人は1人で生きてゆけないことを示した。人が助け合うことで、生きる喜びを知った。しかし、生きることのどうしようもない悲しさと、寂しさも知った。
今回の原発事故が明らかにしたことは、私たち1人1人が「職欲」の論理に支配された自分と、家に戻ったもう一人の自分とがばらばらになったままで、人格の統合が果たされていなかったのではないか?

家にいれば(帰れば)、子供の健康は、家族の健康を考え、反原発、外に出れば(企業社会では)、気づかないうちに原発推進の論理に加担しているような場合があるのではないか。自分に弱いところがあるからこそ、他人の哀しさ、寂しさに共感できるのであり、だからこそ、それに付け込み、それを踏みにじる人格喪失者(巨悪)たちへの憤怒も発することができる。責任をとることを忘れた、人間には、痛みを伴っても責任を取らせなければならない。

市場原理至上主義の哲学

2012年04月12日 05時44分53秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、日本よりすっと優れた貧困への対応の話です。

4月9日に臼蔵さんが、イギリスと比べてもアメリカの貧困はひどいと書かれていました。私は日本の貧困がアメリカの貧困そっくりになってきていると実感していますし、多くの方もそう思っているのではないでしょうか。20年前にはストリートチルドレンはアメリカや開発途上国の話だと思っていましたが今や日本でも大量の出てきてもおかしくない状況です。

イギリスのロンドンに23年間住んでいる運送会社社長の古川修さんという方がイギリスの事情を報告していますの紹介いたします。

<ここからは古川修氏の話の抜粋>
イギリスは孤独死はありますが、貧困問題とは少し違い、みずから孤独を選ぶ人などが報道されています。
私の知人の女性は、夫を亡くし、カウンシルハウス(低所得者用の公営住宅)に一人で住んでいます。家賃は無料か定額で2DK庭付き。冷蔵庫や洗濯機などの家電製品は役所が数年ごとに入れ替えます。庭の芝刈りも定期的にしてくれます。

別の高齢の女性は、3DKのカウンシルハウスに住んでいます。足が不自由になり二階に上がれなくなると、役所が階段に個人用リフトをつけてくれました。

キャメロン政権のもとで福祉がどんど削られているのは事実ですが、今のところ最低限の保障があり、それに対する国民の信頼はまだ崩れていないと思います。

イギリスは20%の付加価値税(消費税)がありますが、生活必需品はゼロや低い税率で、日常生活ではあまり負担を感じません。たとえば食料品はゼロ税率のため、スーパーで売っているものはほとんど税金がかかっていません。むしろ日本で買い物をしたときのほうが、うんと高い負担を感じます。


日本の政治家がやろうとしている消費税と哲学が全くちがいます。日本はアメリカの哲学(?)から学びすぎたのです。

市場原理至上主義という弱肉強食の哲学です。