“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

安斎育郎さんと原子力村

2012年04月16日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
安斎育郎さんと原子力村

4月15日朝のラジオ番組で安斎育郎さんの大学時代を振り返る報道がありました。安斎さんは東京大学の原子工学の一期生でした。安斎さんは入学以来、一貫して、原子力の安全性を重視し、研究を行ったのだそうです。ところが、教授から論文の発表は、教授の許可なく行ってはいけないとの指示を受けて、「学会」の中では「村八分」状態におかれたようです。それ以来、50年間、自らの信念を曲げず、原子力の安全性に関する研究、取り組みを行ったのだそうです。最近、東京大学で講演をしたとのことです。過去のことが頭に浮かび、時代の変化を思い、複雑な心境であったとのことです。

安斎さんは、東大原子力工学、主流派(原子力村)からは排除され、徹底して干されたという内容でした。そこで、安斎さんがなぜ、挫折し、彼らにすりよらなかった(変節しなかった)のかも話していました。①安全性に対する信念を持っていたこと。②東大の研究室で孤立しても、原子力学会の中に、安斎さんを支持する研究者がいたこと。③若手研究者の中で安斎さんを支持する研究者がいたこと。④安斎さんの奥さんが、自分を信じて、受け止めてくれたこと。で安斎さんが信念を曲げずに、学者、研究者として、一生を全うできたと話していました。言葉で、言えば上記のような内容ですが、学者としての40年間にわたって、冷遇され、排除されても、信念を曲げずに一貫性を持った安斎さんの生き方は「すごい」「貴重」なものだと思います。

京都大学原子炉実験所助教 小出裕章さんの処遇も。学会、電力会社からの嫌がらせなどは同種の攻撃です。

北海道電力に入社し、41年間勤務した「水島能裕さん」の話があります。水島さんは東北大学法学部を卒業し、北海道電力に入社しました。「原発に反対した」ために、北海道電力内で、上司から「会社を辞めろ」と何度も攻められたそうです。「原発の秘密を漏らされると」。58歳まで関連会社に転籍するまで36年間、旭川支店から異動することなく、部下も与えられなかったそうです。電力会社、普通の企業ではない処遇を受けました。その北海道電力の「泊原発」だけが動いています。

原子力発電所、原子力産業の「安全性」「安全安心の神話」が人為的に作り出されたものであるといわれていますが、このような、研究環境、科学技術分野で、やってはならない反対意見の排除によって成り立っていることを示しています。自らの研究、理論に正当性があるのであれば、反対の意見、批判を堂々と受け入れて、公の場で、正々堂々と議論すればよいだけの話です。しかし、このような原子力村学者、御用学者、営利優先企業は「安全性」よりも、利益を追求するあまり、コストのかかることを極度に嫌い、そのような意見、警告を徹底して「排除」することを常道としています。その結果が、12年3月の福島原子力発電所事故となって現れました。野田政権が大飯原発再稼動容認の決定を行った過程も、「漫画のよう」「非科学的」「稼動優先=電力供給優先」といわれていますが、同じ流れです。

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