“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

食料問題と優先順位

2012年04月17日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
朝鮮民主主義人民共和国が弾道ミサイル発射実験を行い、世界各国から非難、批判をされました。この実験で、一番違和感があったのは、国威発揚で、ミサイル発射実験を行うとした事ではないかと思います。これは、私だけでなく、そのような感情、感覚をもたれた方は多くいるのではないかと思います。そのために、蜂助さんの資料では690億円かかったとのことですから、更に、驚きです。国民が食糧不足で、栄養失調の人々がたくさんいるともいわれています。国家にとっての「国威」「軍事力」とは、どのような意味、価値を持つのでしょうか。

TPPも一次産業を著しく、破壊するといわれています。食料自給率が今現在40%前後しかない日本で、更に、自給率が下がり、一ケタ台まで低下すると予測されています。まともな、国、政権であれば、このような政策をとることはありえないことです。国民の過半数、約9割が自国の生産物、食料を食べることが出来ない。こんなことが、2012年の国家でありうるのが不思議です。一方で、軍事費は世界で6番目(額順位、2010年度)に入るくらい使っています。この矛盾した、政策をどう考えたらよいのでしょうか。

食料自給率は、明らかになっているデータでは、アメリカ124%、フランス111%、ドイツ80%、中国95%、(カロリーベース、2007年データ)ロシアはデータがありませんが、ロシア大統領の公約で10年後、自給率100%にすることが政策提起されています。
東北地方は、日本の中でも穀倉地帯、漁業の拠点になっています。TPP参加で、打撃を非常に強く受ける地域です。同時に、そのことは、日本の食料自給率を著しく、低下させることも意味しています。

自由主義の再検討

2012年04月17日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
岩波新書:早稲田大学教授政治思想史「藤原保信教授」の政治経済問題の分析と、今後の政治経済のありように関する提起です。少し言葉が専門的で、分かりづらい点があります。今の民主党政権、アメリカを中心とした新自由主義経済を信奉する政権、経済学者、企業経営者への批判と警告ともなっているように思います。

<以下が、その分析の内容です。>

「個人は、特定の社会関係から無関係に存在しうるものではないことに注意すべきであろう。むしろその生き方や価値観、行為選択そのものが、意識的、無意識的にその社会によって色付けられ方向付けられている。・・・・・・たとえば今日の高度資本主義社会においては、単に人びとが自らの欲望にしたがって生きるのみか、欲望が刺激され、駆り立てられ、その結果もたらされる大量消費が大量生産を支えるという循環のなかに巻き込まれているのである。そのような状況を考慮に入れたとき、善悪への問いを回避し、それを個人の選択にゆだねること(自由主義)は、そのような状況の支配にそのまま身を委ねることにならないであろうか。むしろそのような状況によってもたらされる一定の生の選択をも反省の俎上(そじょう)にのせ、そのなかで善き生き方を問うことが必要とならないであろうか。・・・・・・あらゆる社会と同じく今日の社会においても、さまざまな不平等も存在し特権も存在する。にもかかわらずそのような社会で、価値相対主義を唱えることは、結局のところ、既存の不平等や特権を放任し、時には隠蔽し、結果的にそれを擁護することにならないであろうか。そのようなばあいには、まずもってみずからの価値前提とそれをしからしめている社会への反省が、責任ある生き方と責任ある理論の大前提をなすといえる。」

そして、その“善く生きる”第三の道をどのようにして導き出すかについて、藤原先生は、次のように書いております。

ソクラテス・プラトン・アリストテレスは、善や徳を獲得した指導者(「哲人」)が共通善・最高善(簡単に言えば、理想状態あるいは大所高所というような意味)の観点に立って現状の課題・問題点を直ちに発見し、その課題・問題点を解決するとともに、権力の座からできるだけ早く身を引くことが指導者としての責務であると、考えております。藤原先生も、この古代の思想家の見解に近い考えに立脚しております。もっとも今日の議会制民主主義国家においては、住民の代表者である議員が「哲人」としての役割を担わなければならない。そこで議員としての素養があるかどうかの判断基準は、“過去・現在の偉人・専門家の考えを学び、あるいは学ぼうとしている人であるか”、“理想状態・対処高所の観点を見つめる専門的能力を獲得し、あるいは獲得しようと努力している人であるか”、である。単に、現実社会における利害調整をはかることにのみに専念して、将来の理想像を描き出せないような人が、指導者の立場に固執する限り、人(住民)が“善く生きる”(幸せに生活する)ことは達成されない。

やはりおかしい検査

2012年04月17日 06時00分43秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、自治体の検査の3パーセントが1キログラム当たり100ベクレルを超えたという厚生労働省の発表の話です。

世論調査でも科学の試験結果でも優位差と言うか、その調査方法が正しいかの証明が必要です。

例えば全国の「腰の悪い人」の調査をしましょう。全国すべての都道府県で調査します。20歳以下の人と70歳以上の人しか調査しません。20歳以下の人を4616人、70歳以上を250人の合計4866人を調査します。70歳以上の比率は5.1パーセントです。この結果は、見事に「腰の悪い人」は3~4パーセントになります。これで「腰の悪い人は全国で3パーセントです」と発表します。

全国の自治体の検査は4866。セシウムが100ベクレルを超えたのは、原木しいたけ、たけのこ、ふきのとう、海の魚のスズキ、川の魚のヤマメなど156件でした。それも市場に流通していないものの検査です。

この厚生労働省の発表に対して全国消費者団体連絡会の阿南久事務局長は次のように話しています。
「基準値超えの食品の増加は想定されたことで、騒ぐ必要は感じない。きちんと検査されているということだと思うし、多くの消費者は冷静に受け止めている。 (後略)」

国民に「きちんと検査していることを知らしめる陰謀のため」最初から3パーセント程度の100ベクレル越えを目指して検査したとしか思えません。

国民が食べている食品の重量ベースで検査したら、100ベクレル越えは0.00001パーセントとかの極微量でしか検出されないのではないですか!

一部地域の一部品目を注目させ、その地域を切り捨てるような検査方法は許せません。