“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

再処理工場、大量燃料行き先失う廃棄物処理、滞留

2012年01月03日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
再処理工場、大量燃料行き先失う プルサーマル頓挫、滞留

 原子力政策見直しの議論が進む中、使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)に一時貯蔵されているプルトニウムが工場内にたまり続ける懸念が生じています。プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料に加工し、再び原発で燃やすプルサーマル計画で消費されるが、福島第1原発事故の影響により計画が不透明になっている。プルトニウムは核兵器の原料になるため、「原子力発電所プルサーマルで使用しなければ」無用の長物となり、世界的にも懸念材料となり、政権も電力会社も再処理の仕組み、口実がなくなり追い詰められることとなります。

そもそも日本が核兵器開発の選択肢を残すために原子力発電所稼動、核廃棄物再処理政策をとってきたことは(隠された)事実です。プルサーマル計画の頓挫は、再処理工場建設、稼動の理由がなくなることを意味し、現在稼動している原子力発電所の廃棄物処理問題へと回帰します。そのことは原子力発電所再稼動を難しくし、エネルギー政策の再検討を促すものとなります。欺瞞に満ちた政策と場当たり的な「うそ」で進めてきた自民党政治、追随している民主党政権は追いつめられることとなります。

とにかく技術的に矛盾に満ちた原子力発電推進、依存のエネルギー政策を変更し、再生稼動エネルギー開発、推進を早期に進めることは安全性確保、国家の安全保障政策、産業政策の視点からも避けて通れなくなっていることだけは確かです。

<再処理工場、大量燃料行き先失う プルサーマル頓挫、滞留>

六カ所村再処理工場にある抽出済みのプルトニウムは約2.3トン。国際的に扱いが厳しく監視されるためウランと混ぜた状態で保管される。国際原子力機関(IAEA)の査察官2~4人が常駐し監視している。
 核燃料サイクルの概念は、高速増殖炉サイクルと一般原発(軽水炉)によるサイクルで構成する。六ケ所の再処理工場は軽水炉サイクルに属し、プルサーマル発電の核になる。
 現行のプルサーマル計画では、原燃のMOX燃料加工工場(六ケ所村)が2016年3月に完成後、MOX燃料に加工し、16~18基の原発に装荷される。
 12年度の政府予算案で高速増殖炉「もんじゅ」の試験運転費の計上が見送られるなど展望が見えない中、プルサーマルは事実上、唯一のプルトニウムの利用方法。だが、原発事故で原子力政策をめぐる環境は一変し、現行計画の通りに進む可能性は低くなっている。
 プルサーマルの対象原発だった福島第1原発3号機は、今回の事故で廃炉が確定。政府要請で全面停止した中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)も4号機が対象だった。他の対象原発も原発事故の影響で継続できるか厳しい状況だ。
 現行計画は、電力各社でつくる電気事業連合会が09年6月に示した。それまで「10年度まで」としていた導入期限が5年先送りされ、利用目的のないプルトニウム発生を嫌う三村申吾青森県知事が当時、「だらけては困る」と激怒した経緯がある。
 六ケ所村の古川健治村長はプルトニウムの蓄積に以前から懸念を抱く1人。「安全性への村民の不安もある。国際問題にならないよう適切に対応してほしい」と困惑した様子。

多様性と民主主義

2012年01月03日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
北海道大学教授 山口二郎氏の念頭あいさつ文
独裁と民主主義の違い、多様性の確保と民主主義に関する教授の見解が書かれています。


あけましておめでとうございます。

 昨年から日本を取り巻く状況は一層厳しくなった。大状況としては、大震災と原発事故、世界金融危機の深刻化があり、国内政治では民主党の掲げたマニフェストが有名無実となって政治不信が一層強まっている。私が生きてきた50年あまりの中でも最も厳しい危機だと思う。こんな時に希望を語ることができるのだろうか。
 昨年の大震災を契機に、戦後が終わって「災後」が始まるという人もいる。確かに大災害は日本に大きな衝撃を与えたが、それで世の中が変わったとはとても思えない。この特報面は今時の新聞には珍しく、原発事故や放射能対策の真相に迫る特集記事を連発して、私のように政策決定過程を研究している者にとっても教えられることが多い。
そこから浮かび上がってくるのは、戦前-戦中-戦後を貫通する「無責任の体系」である。この言葉は、政治学者、丸山真男が満州事変以後の日本の指導者による戦争政策の決定・遂行過程を分析する中で考え出したものである。事実を国民に知らせず、希望的観測に基づいて自己満足的行動を取り、政策が破綻しても誰も責任を取らない。丸山が描いた「大本営体質」は戦後日本にも引き継がれ、原子力政策の基調を規定している。福島第一原発の爆発と、それに続く政府の不手際は、現代日本国家の大本営体質を嫌と言うほど見せつけた。

今年を再スタートの始まりとするためには、私たちは、経済、エネルギー、地域開発など戦後進めてきた様々な政策に関して、はっきりと「負け」を認めなければならない。そして、敗因を徹底的に糾明しなければならない。そのための道具が民主主義である。
昨年末、北朝鮮で金正日総書記が亡くなった。それを悼む人々の様子を見ると、何か無理をしているように思える。しかし、隣の独裁国を見下すことで、私たちの国の政治が立派になるわけではない。民主主義と独裁の最大の違いは、多様と一様である。一様な国では、支配者が倒れた途端に方向喪失に陥り、国は危機と混乱に直面する。これに対して、日頃から多様な議論が行われ、ある政策が間違ったら、速やかに他の見解に基づく政策転換が行われるというのが、民主主義の強みである。多様性があるからこそ、民主主義は危機を乗り越えられるのである。
では、私たちは本当に多様な社会の中で、多様な意見をぶつけ合っているのだろうか。原子力ムラの実態は、日本でも重要政策が一様な集団によって壟断されていたことを教えた。多様な民主政治は、私たちの意志でこれから作り出すものである。

「災後」を「最後」にしてはならない。そのためには、モア・デモクラシーの理念の下、再出発を期するしかない。

東京新聞2012年1月1日

米の特別隔離

2012年01月03日 06時00分07秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、放射性物質に汚染された米の特別隔離の話です。

 年末の御用納めギリギリに、農水省が4月からの食品中の放射性セシウムの新基準に合わせて、1キログラム当り100ベクレルを越える米の特別隔離対策を発表しました。

 100ベクレルを越える米が一ヶ所から見つかっても。その地域全体のコメが同じような濃度で汚染されているとは限りません。2012年度産米では、福島県が県内29市町村の約2万5千戸を対象に進めている緊急調査結果や要因分析などを踏まえて県や市町村と協議して、500ベクレル超の米が見つかった地域を含めて、作付け制限をけける具体的な範囲を決めることになっています。

 現在ある米で、市場に流通しないように隔離するのは、現行の暫定基準値の500ベクレル超が検出され政府が出荷制限をかけた地域で生産された米3600トン強と、福島県の緊急調査で新基準案の100ベクレル超た見つかった米を生産した生産者の米200トン強の合計4000トン程度だそうです。

 隔離する米は産地の倉庫で市場に流通しないようにし、廃棄・処分には国や地方自治体、関係団体が一体になって対応するとしています。

 消費者にとっては、これでひと安心ですが、生産者はたいへんです。

 米を生産する農家は、米を買ったことなんかありません。そのうちお金で補償されるかもしれませんが、スーパーなどから買ってこなくてはならないのです。米を買うたびに、米を炊くたびに、米を食べるたびに、やりようのない怒りを感じ屈辱を味合わなければなりません。なによりも自分や身内が作ったお米が日本一美味しい米なのです。

 田んぼは耕作しないと、荒れてゆきます。2012年に作付けしない田んぼはいつになったら作業できるようになるのでしょうか。先祖から受け継いだ田んぼを荒れさせることは、情けないに違いありません。家族で一緒にやれた共同作業もできなくなります。一度荒れてしまった田んぼは元にもどすことは困難です。

 農家は米や野菜を生産しているだけでなく、生活そのものが農家なのです。農家には昔から百の生業(なりわい)があると言われていますが、自家用の食べ物を作り、身の回りの物も作り、地域の環境を守り伝統文化を継承しており生活そのものが農家なのです。

 このような生業(なりわい)を破壊した原発を改めて心から許せないと思います。