“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

福島原発事故:中間貯蔵施設の協議、双葉町は欠席

2012年01月15日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
福島原発事故:中間貯蔵施設の協議、双葉町は欠席

事故原発立地自治体である双葉町、大熊町に除染した瓦礫、残土などを保管させる計画に対する双葉町町長、町議会の判断です。
第一に、国、福島県の大熊、双葉町に対する謝罪、お詫びの姿勢、考え方に納得が出来ないのだと思います。「原発を押し付けて」「事故を起こし」「地域を放射能で汚染し」――その除染残土を「保管させてほしい」そんな都合のよい話があるのでしょうか?電力を供給されて便利な生活を行っている首都圏でも「除染をしてほしいと」要求しているのにです。
第二に、高濃度汚染地区の故郷帰還は科学的、医学的、技術的に可能かということがまったく当事者、自治体に提示されていないことです。立地自治体には非常にこくな話です。しかし、帰還できないのに帰還できるかのような「思い」を残し、現実的な可能性の有無を提示しないことは「最悪」「もっと残酷なこと」と思います。少なくても立地自治体町長、議会構成員の方々との議論、意見聴取は最低限必要なことですが、そのようなことすら政府、福島県は行っていません。この地域の汚染量、線量の高さを考えたとき、集団で移転し、地域住民がまとまって居住できる環境整備、農業、産業が興せるような資金、政策支援を政府、行政が行うことが必要と思います。その資金を東京電力に負担させることが必要です。高齢者の年齢を考えるとこのような優柔不断な汚染対策、計画自身があいまいな状況では「時間の無駄遣い」「体力の消耗」にしかなりません。

<福島原発事故:中間貯蔵施設の協議、双葉町は欠席>

 国が福島県双葉郡内への立地を依頼した汚染土壌などの中間貯蔵施設に関し、県と同郡の町村による初の実務者協議が12日、県庁であった。8町村のうち設置反対を表明している双葉町は欠席した。
 8町村と町村議会はエネルギー政策に関し話し合う「双葉地方電源地域政策協議会」を構成している。だが、双葉町議会は6日、町と足並みをそろえる形で「いきなり協議会の場で議論するのはおかしい」として欠席方針を示していた。
 県は協議で、8町村の意思を確認する方針を示した。各町村の代表者は、双葉町の参加を促すための新たな枠組みを検討することで合意した。
中間貯蔵施設 「双葉郡設置 根拠不明確」 実務者協議開始
 福島第1原発事故に伴う汚染土などを保管する中間貯蔵施設について、福島県と双葉郡8町村の実務者協議の初会合が12日、福島県庁で開かれた。候補地は第1原発が立地する大熊、双葉両町が有力とされるが、受け入れに反対する双葉町は「都合がつかない」として欠席した。
 県と7町村は「双葉町が欠けた状態では協議はスタートしない」として、参加を働き掛ける考えで一致した。政府は2012年度中に場所選定の地元調整を終え、14年度着工、15年の搬入開始を目指しているが、双葉町の動向次第で計画に影響が出る可能性もある。
 実務者協議は、7町村の副町村長らと県の荒竹宏之生活環境部長が出席し、非公開で行われた。県は論点整理や事前協議を行う場として、意見集約や方向性の取りまとめは行わない考えを示している。
 県によると、各町村からは「国は町村ごとに詳細に説明するべきだ」「なぜ双葉郡に設置しなければならないのか根拠が明確ではない」「除染で生じる廃棄物の全体像を示してほしい」などの意見が出た。
 荒竹部長は「各町村が検討した結果を踏まえ、今後の進め方を決める。県は期限を定めて意見集約する考えはない。まず8町村の意向を確認し対応を考える」と話した。


故郷に住む権利

2012年01月15日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
診療所医師、帰村に迷い 除染の進展不安視 福島・川内

除染したら線量が低下し、即、生活できるかどうか分からないお話です。住民が川内村に帰還するにしても、生活するための社会的条件――医療機関、行政、商業施設、水道、ガス設備などが整備され、日常的に使用できる状態になるかどうかです。高齢者にとっては故郷に戻りたい、故郷で生活したい。・・・その思いが募るばかりです。一方で小さな子供を持つ親、これから結婚をするような年齢層は「帰還したくない」「帰還する決断が出来ない」でも故郷を何とかしたい。
便利さ、税収をあてにした「原子力発電所立地」がいかに地域住民、地域を破壊したか「物理的」「地理的」「産業」の破壊では足りず、「住民の安心、安全」「故郷に住む権利」をも破壊し続けています。

<診療所医師、帰村に迷い 除染の進展不安視 福島・川内>

 福島第1原発事故によって、一部が警戒区域になった福島県川内村。昨年9月に緊急時避難準備区域が解除されたが、除染の進展や生活基盤に不安を抱え、約3000人の住民のほとんどが戻っていない。村は3月までの「全村帰還」を目指すが、住民の健康を守る村でただ一人の医師も帰るかどうか決めかねており、実現の難しさを示している。

 川内村の住民の多くは郡山市に避難中。医療施設は充実しているが、長い待ち時間などになじめない住民も多いという。
 住民が戻るかどうか、重要な判断材料になるのが唯一の医療施設である村営診療所。鈴木高医師(59)は現在、同市の展示施設「ビッグパレット」に隣接する大規模仮設住宅の仮設診療所で診療に当たっている。村が設定した帰還の期限は迫っているが、それでもまだ住民とともに帰るかどうか、結論を出せない。
 村から郡山の仮設住宅に避難している鈴木ハルさん(84)は「村の診療所にいた先生だから安心して診てもらえる。親切だしね」と帰還に期待する。
 鈴木医師は「除染作業によって、果たしてどれだけ放射線量が下がるか。もし安全でない場合、自分が帰るとすれば、住民が危険な場所に戻ることに加担してしまうのではないか」と悩む。
 村の医療機関は診療所しかない。「戻った住民の健康を守るためには、診療所の医師が必要だ」ということも十分に分かっている。
 鈴木医師が川内村の診療所に着任したのは一昨年4月。いわき市で在宅患者の往診専門医院を開業していたが「精神的、体力的にきつくなった。川内ならのんびり仕事ができる」と、村の募集に応じた。
 東日本大震災の直後は、東隣の富岡町から避難者約6000人が村に押し寄せ、富岡町の開業医らと連日、200人の患者の診察に当たったという。いったん親族がいる茨城県へ避難した後、6月上旬に郡山市に来て「ビッグパレット」の救護所に詰めた。
 鈴木医師は「週の半分は川内村の診療所、残りは郡山市の現在の診療所で診察できないだろうか」とも言う。3月までに村に帰る住民は、さほど多くないと予想しているためだ。
 村は「診療所は川内村に一本化」という方針で、鈴木医師の希望通りに運ぶかどうか、まだ分からない。


ガレキと呼ばれてここにある

2012年01月15日 06時00分12秒 | 蜂助の呟き
 こんにちは、蜂助です。今日は、瓦礫=ガレキ=がれき の話です。

 広辞苑で「瓦礫」は、①瓦と小石 ②価値のないもののたとえ と書かれています。津波で大量に作られたのは本来の意味の瓦礫ではないですね。瓦や小石よりも、家や建物の破片である木やコンクリート、鉄、自動車や船、大木、衣服や布団・家具・おもちゃ・写真などの生活臭のあるものなど限りがありません。

 私は瓦礫ということばにずっと違和感を持っています。ある若者が、瓦礫に「オモイデ」というルビを振ってというようなことを書いていました。すばらしい表現だと感動を覚えました。

 石巻市の弁護士の庄司捷彦(しょうじかつひこ)さんと言う方が詩に書いています。私はこの詩が好きです。


   墓 標

三月十一日
午後三時前後に
出来てしまった
たくさんのガレキたち
  それは壊された家屋である
  それは流された車である
  それは陸に揚がった船である

これらがガレキと呼ばれるのは
  すべてが持ち主の意志に反して
  そこにあるから
  すべてが元の容貌(かたち)を留めないで
  そこにあるから
  すべてが元のように使えない姿で
  今ここにあるから

宅地に折り重なってここにあり
道路を占拠してここにあり
ガレキと呼ばれてここにある
  それは喪われた街の残影
  津波の前の 街の思い出
  大漁の思い出
  今はガレキと呼ばれている

失われた街の
失われた生命たちの
悲しい墓標
ガレキたち

(2011・4・19)