“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

東日本大震災:生存教諭の手紙を公表…大川小の説明会

2012年01月24日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
東日本大震災:生存教諭の手紙を公表…大川小

以前、石巻市大川小学校の津波被害を書きました。児童の両親、家族と石巻市教育委員会の交渉、事故時の学校側対応、事実経過などを明らかにするように求める交渉が今も続いています。その交渉内容、教育委員会からの経過報告などがされました。児童74人、教職員10人が死亡・行方不明になった惨事です。この助かった教師が書いていますが、裏山に道路が1つでもあれば、このような迷い、判断の遅れが少しは防げたかもしれません。

自分が大川小学校の立地を見て感じることは、大きな地震、津波が予想される地域に小中学校など建設するときは災害予防、避難経路を確認できるようにしない限り、立地させたら「だめ」だということです。この点では、教師の誘導責任、怠慢よりも行政機関、石巻教育委員会、市の判断間違いが最大の問題点です。海のすぐそばで河口に近い場所(大川小学校)で河川水位よりも低い側に学校が建設されていたことが最大の間違いです。

第二の問題点は、裏山に逃げる可能性がありました。しかし、大人である自分が駆け上がるのも困難な傾斜、歩道がありませんでした。防災という点で事前の計画、検討がされていなかった。この点は行政、教師などの防災との関係で具体的な検討、対策が欠落していました。

第三は、日常の避難訓練が教師である管理者、教師集団になかったのではないか。この点を家族、両親は指摘しています。非常に危険な場所に立地していた学校であるとの認識が希薄であった。これが問題です。
事前の防災対策、避難訓練が不十分であったことが甚大な被害を招きました。家族も、教師集団もその被害の大きさゆえに「割り切れない感情」で対立を続けています。災害死亡者を出さないために教訓をしっかり明らかにして、今後の対策に生かしてほしいと思います。

<東日本大震災:生存教諭の手紙を公表…大川小の説明会>
 東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となっている宮城県石巻市立大川小学校の保護者に対し、石巻市教育委員会は22日、約7カ月半ぶりに説明会を開いた。同小の柏葉照幸校長は「職務上の怠慢があったと言われても仕方がない。本当に申し訳ない」と謝罪した。大川小の被災を巡って市教委が明確な謝罪をしたのは初めて。教諭の中で唯一生き残った男性(休職中)が昨年6月、保護者と柏葉校長あてに書いた手紙の全文も初めて公表され、避難時のやりとりの一部が明らかになった。
 ◇「山に行きましょうと強く言っていれば」…教諭の手紙(要旨)
 教諭の中で唯一生き残った男性が保護者と柏葉校長あてに書いた手紙(いずれも昨年6月3日付)は、説明会の前半に朗読された。石巻市教委は昨年6月の第2回説明会で、この手紙について「個人名が明記されている」などの理由で詳細部分は明らかにしていなかった。
 この男性教諭は大川小の裏山に避難して津波を逃れたが、その後体調を崩して休職中。震災時は校外にいた柏葉校長あての手紙で「(現場にいて犠牲になった教頭に)最後に山に行きましょうと強く言っていればと思うと、悔やまれて胸が張り裂けそうです」などとつづっている。
 各手紙の要旨は次の通り。
 ◇保護者の皆様
 あの日、校庭に避難してから津波が来るまで、どんな話し合いがあったか、正直私にはよく分からないのです。その中で断片的に思い出せることをお話しします。
 子供たちが校庭に避難した後、私は校舎内に戻り、全ての場所を確認しました。全部回るにはかなり時間がかかりました。
 校庭に戻り「どうしますか。山へ逃げますか」と(教頭らに)聞くと、この揺れの中ではだめだというような答えが返ってきました。余震が続いていて木が倒れてくるというような理由だったと思います。
 そのやりとりをしている時、近所の方々が避難所になっている体育館へ入ろうとされていたので、危険だから入らないようにお話ししました。
 近くの施設に避難しようとの話があり、危険だからだめだとのやりとりも聞こえてきました。
 私は2次避難に備え、はだしで逃げてきた子や薄着のため寒さで震えた子がたくさんいたので、教室にあったジャンパーや靴などを校庭に運んでいました。トイレを我慢できなくなった子を連れて行ったりもしていました。
 サイレンが鳴り、津波が来るという声が聞こえてきました。教頭に「津波が来ますよ。どうしますか。危なくても逃げますか」と聞きました。でも答えは返ってきませんでした。一番高い校舎の2階に安全に入れるか見てくるということで、私が見てきました。戻ってくると、子供たちは移動を始めていました。近くにいた方に聞くと、「堤防の上が安全だからそこへ行くことになった」ということでした。経緯は分かりません。
 何を言っても、子供の命を守ることができなかった罪が許されるはずはありません。今はただ、亡くなられた子供たちや先生方のご冥福をお祈りする毎日です。本当に申し訳ございません。
 ◇柏葉校長先生へ
 当時の状況を送信させていただきました。本当に申し訳ございません。当時の状況を思い出して恐ろしく、思い出そうとすると全身の血の気が引いて倒れそうになります。今、文章を打っていても手が震えます。
 あくまで想像ですが、あの極限状態の中で、本当に教頭先生も迷われたのだと思います。ずっと強い揺れが続いており、木が倒れている(錯覚だったのかもしれませんが、皆そのように見えていたと思います。私も子供と山の中にいたとき、何度も揺れるたびに周囲の木が折れて倒れる音を聞いています。そのたびに場所を変えたのですから)状況の中、道もない山に登らせるのをためらわれたのだと思います。せめて1本でも道があれば、教頭先生も迷わず指示を出されたと思います。それだけに、最後に山に行きましょうと強く言っていればと思うと、悔やまれて胸が張り裂けそうです。

報復による殺戮をやめさせよう!

2012年01月24日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
<米兵が放尿した事件への怒りから犯行>

戦争行為の悲惨さ、宗教の違いを無視するとこのような事が繰り返される事例です。アメリカの正義なき戦争と侵略されているアフガン軍兵士の思いです。しかし、憎しみに対して血で血を洗う、殺戮の悲劇です。こんなことを早くやめさせることが必要と思います。
イランへの制裁=核兵器開発疑惑でイラン経済制裁、ホルムズ海峡封鎖と戦争一歩手前の状態です。キリスト教対イスラムと思わせる制裁と報復措置の連鎖をとめる必要があります。アメリカ、イギリス、フランスは核兵器を保持しています。また、イスラエルも核兵器を保持しているといわれています。アメリカ、イギリス、フランスのダブルスタンダードは納得できるものではないと思います。アメリカが世界の憲兵のような役割を止めさせる必要があります。
<米兵が放尿した事件への怒りから犯行>
アフガニスタン東部カピサ州で20日、アフガン軍兵士が国際治安支援部隊(ISAF)傘下の仏軍兵士4人を射殺した事件で、兵士が調べに対し、旧支配勢力タリバン兵の遺体に米兵が放尿した事件への怒りから犯行に及んだと供述していることが分かった。
 事件を受け、仏軍はアフガンでの活動を一時停止すると発表。急きょアフガン入りしたロンゲ仏国防相は、国軍兵がタリバンの内通者だったとの見方を示している。
<米空母、ホルムズ海峡を通過> 
 米海軍第5艦隊の報道官は、米空母エーブラハム・リンカーンが22日、イランが封鎖を警告していた原油輸送の大動脈のホルムズ海峡を通過し、ペルシャ湾に入ったことを明らかにした。
 同報道官は「通常の定期的な」通過だと指摘し、「事前の予定通りで、何の問題もなかった」と強調した。
 アメリカ航空母艦リンカーンは、昨年12月末にペルシャ湾外に移動した空母ジョン・ステニスの交代として入った。ステニスが移動した際に、イラン軍高官が米空母はペルシャ湾内に戻らないよう警告、米国との緊張が続いていた。米海軍は航空母艦カール・ビンソンもアラビア海に投入している。

食卓のセシウム

2012年01月24日 06時00分12秒 | 蜂助の呟き
 こんにちは。蜂助です。今日は、福島民報の話です。

 私は宮城県に住んでいるので、福島県の地方紙「福島民報」は取っていません。時々、インターネットにここのホームページを閲覧します。これまで何回も、感心しました。本当に福島県民の考え方を代表しているなという意味ですばらしいと思います。もちろん共同通信などからの記事もありますから、エッというようなものもあります。

 1月23日の社説にあたる「論説」には、福島市出身の編集局社会部長の佐久間順氏が書いていますが、コープふくしまの陰膳の紹介をしてさらに次のように書いています「事故後一年の食事で安全を疑わせる数字が出ていない中で、潔癖を求める意見はさまざまな社会的利害に目をつぶるような立場に見える」「大半の県民にとって農業者も漁業者も身近な隣人だ。その姿を常に視野に置き、それぞれ不安に折り合いをつけながら、福島を支え合ってゆきたい」と結んでいます。

 自らその地域で生活している方だからこそ書ける記事です。

【全文を紹介します】
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4127&mode=0


【食卓のセシウム】さらに低減の努力を(1月23日) 
 コープふくしま(本部・福島市)が県内組合員の家庭の食事に含まれる放射性物質量を調べたところ、51世帯のうち放射性セシウムが検出されたのは6世帯で、いずれも健康に問題が生じるレベルではなかったことがこのほど分かった。原発事故後に設定された食品の暫定基準値のハードルが機能していると、ある程度証明されたと言える。
 ほとんどの世帯が本県産の食材を使用していた。県内で流通する食材を使っていても心配はないと言えるだろう。
 各家庭で2日間6食分の食事を家族人数より1人分多く作り、均一に混ぜた1キロ分をゲルマニウム半導体検出器で測定した。調査は昨年11月から始まり、今年度中に約100世帯を調べる。
 今回セシウムが検出された6世帯で、最も高いのはセシウム134が5.0ベクレル、セシウム137が6.7ベクレル。同じ食事を1年間継続しても、受ける線量の合計は0.01~0.06ミリシーベルトで、国が4月から適用する年間1ミリシーベルトの新基準を大きく下回る。
 食品にはセシウムと同様に放射線を発する放射性カリウム40がもともと含まれている。今回の調査結果でも51世帯全てから検出された。値は15~56ベクレルとセシウムより格段に多い。
 厚生労働省はコメ、肉、野菜など一般食品の放射性セシウムを1キロ当たり100ベクレルにするなど、これまでの暫定基準より大幅に厳しい新基準案を先月まとめた。東京での説明会では「被ばく量をできるだけゼロに近づけてほしい」と、数値をさらに引き下げるよう求める声が相次いだ。
 日本人が普段摂取する多くの食品にはカドミウム、ダイオキシン、水銀など人体に有害な物質が微量ながら含まれている。放射性物質という新たな懸念が加わったが、全ての有害物質をゼロにするのは難しい。さまざまな社会的コストを考慮しながら現実的に判断されるべきだろう。
 新基準の100ベクレルでさえ一部の生産者には厳しい数字だ。新基準が施行されれば本県の農業は壊滅的な打撃を被るという見方もある。事故後1年の食事で安全を疑わせる数字が出ていない中で、潔癖を求める意見はさまざまな社会的利害に目をつぶるような立場に見える。もちろん土壌の除染などによって食品に含まれる放射性物質を減らす努力は継続されるべきだ。
 大半の県民にとって農業者も漁業者も身近な隣人だ。その姿を常に視界に置き、それぞれが不安に折り合いをつけながら、福島を支え合っていきたい。(佐久間 順)