“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

多様性と民主主義

2012年01月03日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
北海道大学教授 山口二郎氏の念頭あいさつ文
独裁と民主主義の違い、多様性の確保と民主主義に関する教授の見解が書かれています。


あけましておめでとうございます。

 昨年から日本を取り巻く状況は一層厳しくなった。大状況としては、大震災と原発事故、世界金融危機の深刻化があり、国内政治では民主党の掲げたマニフェストが有名無実となって政治不信が一層強まっている。私が生きてきた50年あまりの中でも最も厳しい危機だと思う。こんな時に希望を語ることができるのだろうか。
 昨年の大震災を契機に、戦後が終わって「災後」が始まるという人もいる。確かに大災害は日本に大きな衝撃を与えたが、それで世の中が変わったとはとても思えない。この特報面は今時の新聞には珍しく、原発事故や放射能対策の真相に迫る特集記事を連発して、私のように政策決定過程を研究している者にとっても教えられることが多い。
そこから浮かび上がってくるのは、戦前-戦中-戦後を貫通する「無責任の体系」である。この言葉は、政治学者、丸山真男が満州事変以後の日本の指導者による戦争政策の決定・遂行過程を分析する中で考え出したものである。事実を国民に知らせず、希望的観測に基づいて自己満足的行動を取り、政策が破綻しても誰も責任を取らない。丸山が描いた「大本営体質」は戦後日本にも引き継がれ、原子力政策の基調を規定している。福島第一原発の爆発と、それに続く政府の不手際は、現代日本国家の大本営体質を嫌と言うほど見せつけた。

今年を再スタートの始まりとするためには、私たちは、経済、エネルギー、地域開発など戦後進めてきた様々な政策に関して、はっきりと「負け」を認めなければならない。そして、敗因を徹底的に糾明しなければならない。そのための道具が民主主義である。
昨年末、北朝鮮で金正日総書記が亡くなった。それを悼む人々の様子を見ると、何か無理をしているように思える。しかし、隣の独裁国を見下すことで、私たちの国の政治が立派になるわけではない。民主主義と独裁の最大の違いは、多様と一様である。一様な国では、支配者が倒れた途端に方向喪失に陥り、国は危機と混乱に直面する。これに対して、日頃から多様な議論が行われ、ある政策が間違ったら、速やかに他の見解に基づく政策転換が行われるというのが、民主主義の強みである。多様性があるからこそ、民主主義は危機を乗り越えられるのである。
では、私たちは本当に多様な社会の中で、多様な意見をぶつけ合っているのだろうか。原子力ムラの実態は、日本でも重要政策が一様な集団によって壟断されていたことを教えた。多様な民主政治は、私たちの意志でこれから作り出すものである。

「災後」を「最後」にしてはならない。そのためには、モア・デモクラシーの理念の下、再出発を期するしかない。

東京新聞2012年1月1日

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