フェルメール展をやっているという。
安倍首相が鑑賞に行ったという。
どちらも興味がない。
そもそもフェルメールはフランドルの画家だが、いわゆるフランドル派と言うには洗練しすぎている。
オスターデ、ヤン・ステーン、ホッベマらの粗削りな、しかし古典を踏まえながら近代に向けての夥しいエネルギーを秘めた画家らとは違う。
フランドル派は『昼のガスパール』の原題となったアロイジウス・ベルトランの『夜のガスパール』詩集の第一巻である。
この埋もれた天才詩人は、『フランドル』の中に無限の神秘性と俗世の享楽、矛盾を見出した。
週末のひと時『夜のガスパール・レンブラント・カロー風の幻想詩』を読んでみようと思う。
菜洗ひや小川の台もひとしきり 素閑
ざりがにも菜洗ふみづに魂消けり 素閑
一人二人みたりとなりて菜をあらふ 素閑
儒者となり菜あらふこころ川のヘリ 素閑
菜をあらふ井戸辺に吹くは山おろし 素閑
板東に菜あらふ婆あ七十歳 素閑
香華また菜あらふ戸ごとあらはなり 素閑
菜あらへり多摩にありけむ赤富嶽 素閑
菜をあらふ板のかこひの地蔵佛 素閑
菜あらへりここに吹く風辛きかな 素閑