昨晩から年が変わってからも遅くまで起きていた。
家族ともども三々五々、寝床を出て、元朝の膳につく。
御節など有らばこそ、スーパーのテイクアウトである。
まぁ、酒にありつければよい。
年始の挨拶にも疎く、ただ、だらだら時を過ごすのみ。
普段暇なのだから、新春ぐらいは引き締めていけばいいものをそうは行かない。
物臭と言うのも因果な性である。
日の暮れないうちに書き溜めた年賀状を出してきて、元旦が過ぎていく。
今年の抱負とてない。
ぐうたらも極まれりである。
一年の愚痴を聞かされ屠蘇酌めり 素閑
寝間にては埃だらけも屠蘇酌めり 素閑
細々と生きるもよしか屠蘇の朝 素閑
老妻も健やかなれと屠蘇酌めり 素閑
養老の屠蘇もこれより何年か 素閑
楽ありて苦もあり屠蘇のとしはじめ 素閑
屠蘇の酒酔うて腿膝濡らしけり 素閑
相模灘望みて旅の屠蘇に酔ひ 素閑
かーたんと大晦日の晩をテレビを観て過ごしている。
テレビなど観たのは何か月ぶりだろう。
『こうもり』のDVDを観て、第九を聴いて、東急ジルベスターコンサートを聴いて・・・
なにか音楽尽くしの年越しだ。
さて、今年のカウントダウンはアンドレア・バッティストーニ指揮、東フィルでヴェルディ、アイーダの『凱旋行進曲』。
曲の終わりが2019年1月1日0:00にはかなり早かった!!!
引き延ばして苦しかったところは今年の初笑いか?
明けましておめでとうございます!
迎春
世に出でてすることもなくけふの春 素閑
愉しかり日々の去来す玉の春 素閑
おともなくただ日の落ちる春のけふ 素閑
諦めり抱負きかれて初春や 素閑
朗々とひびく謡やあさの春 素閑
心づきとなりにすそ分け花の春 素閑
校庭に人影なしや明けの春 素閑
電車待つ列も乱れむけふの春 素閑
和装する子のまぶしさや春老ゆる 素閑
寿齢えるわずらわしさや初の春 素閑
初春やみどりなき山華やぎて 素閑