昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

世田谷観音・野沢龍雲寺に行ってきた。

2015-10-27 16:06:49 | お出かけ

秋晴れの抜けるような天気の半日、世田谷観音と野沢の龍雲寺に行ってきた。もちろん徒歩のお散歩である。途中、喫茶店に寄ったり、飲み物を買ったり、ましてや飯を食いに飲食店に入ったりなどは決してしないので、一銭も遣うことはなく、極めて経済的な娯楽である。しかし、それはオカブの仕事が極めて暇で、稼ぎのほうも細々としたものであるという悲しい事実と表裏一体なのだが。
それはそれ、まずは三茶まで出る。246を渡り明薬通りに出、真っすぐ行って、左に折れると、世田谷観音はすぐだ。30分強の「旅」である。
世田谷観音の歴史が新しいことはこの区内に住む者の間では常識になっている。正しくは「世田谷山観音寺」。昭和26年に睦賢和尚によって創建された。本尊は聖観世音菩薩。その他にも旧国宝、現在の国指定重要文化財の不動明王と五童子の木像、都指定重要文化財の羅漢像などを蔵する。
しかし、そんな歴史の浅い寺とは思えないほど、こんもりとした林の中の堂宇は古色蒼然とし、落ち着いた佇まいだ。
ただ、堂の中には特攻観音などというものもある。もちろん太平洋戦争中に散った特攻隊の英霊の鎮魂のために祀ったものである。
不動堂は螺旋状の栄螺堂だ。小学生のころ会津若松に旅行に行き、そこの史跡に「栄螺堂」という建物があるのを思い出した。
韋駄天堂は高い櫓を乗せた三階建ての建物だ。
歴史が浅いといっても、これらの堂宇を創建した先人の創意には感服させられる。
続いて、環七のほうにしばらく歩き、野沢の龍雲寺に行った。
こちらは元禄12年、大慈妙応禅師の開山による。臨済宗妙心寺派。しかし伽藍はすべて鉄筋コンクリートで味気ない。禅寺の峻烈さがまったく感じられない。寺域の片隅に朽ちかけた往時の道標や墓塔を見つけてなぜかほっとした。
境内を一通り歩くが見るべきものは少ない。
なぜかとても疲れた。
三茶に取って返し、今日の夕飯の鍋の材料を西友で仕入れて、三時前に帰宅した。

どんぐりを踏みて拝する観世音   素閑

 


蘆花恒春園に行ってきた。

2015-10-25 22:26:08 | お出かけ

 秋の日曜の午後、烏山緑道を延々と歩いて蘆花恒春園に行ってきた。
三茶から約1時間半の旅。
今日は、朝から冷え込んで、冬の訪れの近づきを予感させる一日。しかし、ウォーキングにはちょうど良い気候ともいえる。 
太子堂から豪徳寺、経堂、と黙々と烏山緑道を歩き続ける。しかし、沿道の風景は柔らかい晩秋の陽を受けてたおやかだ。
長旅を終えて千歳台で環八を渡り、蘆花恒春園に着く。
この公園は明治の文豪、徳富蘆花の旧宅であることはご存知の通り。蘆花の死後、愛子夫人より東京都に寄贈され、遺構は残され、都立公園になった。
蘆花はこの家を求める前年、パレスチナ巡礼の帰路、ヤスナヤ・ポリヤナのレフ・トルストイを訪ね、田園生活に深く憧憬し、当時、東京の遥か郊外、粕谷の地に 土地を求め居を構え、晴耕雨読の生活を送った。その代表作が『みみずのたはごと』である。
まず、公園の林の中の蘆花夫妻の墓に参った。大きな自然石の墓である。蘆花と愛子夫人の生活は実に葛藤に満ちたもので、今の時代からすれば、夫人はよくぞ連れ添ったといえるものだろう。
茅屋や幾つかの別棟の書院はいかにも鄙びた茅葺の家屋だが、このような地と居に暮らした蘆花の生活はさぞ優雅なものであったと推測される。
蘆花居の内部を見る。もちろん今から100年以上前の建物であるから、近代的な設備などあろうはずもなく、恐らくは隙間風吹き込む、田舎家ではあるが、現代のせせこましい暮らしのうさぎ小屋に押し込められている我々からすれば、 夢のような住宅である。
蘆花旧宅の敷地のベンチには若者の男女連れが寄り添って何組か座っている。恋を語っているのであろうか。蘆花公演はその場に相応しいような気がする。
蘆花と公園、住居の詳細の解説については案内板を写真に撮ってきたので参照されたい。
2時半過ぎ、蘆花恒春園を後にし、長い長い道を歩いて、2時間の旅で帰宅した。

茅屋に照りて傾く秋の陽や   素閑
 

 

 

 

 


幼馴染と会う。

2015-10-17 22:34:15 | 日記

今日、先月、中目黒で会った幼馴染のKちゃんが家に遊びに来た。
Kちゃんは亡きお母様がうちの母と職場の同僚という関係で、オカブと生まれた日もほぼ一か月違いという不思議なご縁。
家も多少離れていたし、男の子と女の子ということもあり、そんなに頻繁に会って遊んだという記憶はないが、とにかく一番幼い時からの友達だ。
それにしてもオカブの母(ばーたん)にとっては我が娘のようなものなので、母のたっての願いで来ていただいた次第。
母は前日から、バタバタと掃除をしたり、お茶を差し上げるのだと懐石の仕込に張り切って忙しく立ち働いていた。
正午のご案内でバスで来られたKちゃんを代沢十字路のサミットでお出迎え。
拙宅にご案内して、かーたんをご紹介し、皆でひとしきり思い出話に花が咲いた後、早速、懐石。略式で弁当だが、母手ずからのお手製だ。
懐石は、蟹と胡瓜のマヨネーズ和え、物相御飯ゆかり、豆腐と茄子の味噌汁、鰆一塩、椎茸、小芋、叩き牛蒡、蓮根、お多福豆、卵焼き、鶉鴈、オクラ、漬物といった献立。
懐石の食事が済んで、濃茶、お薄と一通りのお茶事の真似事が続く。
母も大分歳で、主菓子と干菓子を出すのを間違えたり、茶入れと棗を取り違えたりと、粗相はあったが、歳だから仕方がない。
そういうオカブもKちゃんももう58だ。思えば長い年月である。
お茶事が済んで、地下の音楽室に移動。コーヒーとケーキでアルバムなどを見てもらいながら、互いの家族のことなどを語り合う。
母も来て、今は亡きKちゃんのご両親の思い出や、昔の友達の話題などに夢中になる。
あっという間に時間が経ち、気付いたころにはすっかり暗くなっていた。
Kちゃんをバス停まで見送って別れた。
「幼馴染の思い出は♬青いレモンの味がする♪」ではないが昔の思い出というものはいいものである。

還暦になるかと君に秋時雨   素閑


 


成城みや川で食事をしてきた。

2015-10-14 23:34:17 | グルメ

今年の12月6日に開催されるかーたんのコンサート会場の下見に成城学園前まで行ってきた。
色々と設備何や点検・確認しなんとか準備完了。
ここでコンサートのPRをやりたいのだがチケットは完売。余りの好評につき来年の11月23日に同じ内容で再度、開催を予定している。
観覧ご希望の方はオカブまでご一報願いたい。

さて、大切なお仕事が終わって、共催のオーストリア・ワイン・ドットコムの方とも駅前で別れて、かーたんと食事をしようということになった。当初は、下北沢の日高屋で糖質制限食を摂る予定だったが、ちょっとお洒落をしてきたので、かーたんがこの格好で日高屋に入るのは嫌だという。
そこで成城の駅前で、糖質の少ないメニューのありそうな店を探していると、日内地鶏の店が駅前のビルにあった。雑居ビルの3階でなんだかなぁ、という感じであったが、それ以外に思い当たらないので、思い切って入る。ビルの脇にあるエレベーターを上がって3階の奥にある『成城みや川』という店だ。「みや川」というと鰻屋の様だが、ここは違う。まあいいことにする。
店内は座敷に掘りごたつのテーブル席が30数席ほど。和風のインテリアでなかなか落ち着ける。
熱いおしぼりを使い、さてお飲み物。おお、焼酎の銘品「佐藤」があったのでそれの芋でいく。
かーたんは烏龍茶のホット。
糖質が含まれていないと思しきつまみをがんがん頼む。 
レバ、ハツ、砂肝を塩で。かーたんは皮と正肉をこれも塩。
さんまの刺身。牛筋肉の煮込み。
厚揚げ、鶏の唐揚げ、豚とろステーキ・・・美味い。
地鶏のサラダとシシャモで締め。
そこそこのお値段だったが、味は上々でボリュームもある。
これだけ飲んで食って、翌日の体重は全く増えていなかった。
また成城に来た際には来よう。
小田急線で下北沢、それから徒歩で9時前にご帰館。

秋深しいずこへ舞うか葉の一枚   素閑


 


リタ・ダルカンジェロ女史と銀座で食事。

2015-10-11 23:50:23 | フルート

フェイスブックで知り合い、先週の金曜日、イタリア文化会館のフルートリサイタルで面識を得た、イタリア出身でドイツで活躍中のフルーティスト、リタ・ダルカンジェロ女史(Rita D'Arcanjelo)と銀座で夕飯を共にした。
彼女は代表的ナガハラユーザーの一人で、銀座の山野楽器でナガハラが今日、イベントをやっているよ、と伝えて、山野楽器で19時半に待ち合わせた。彼女の楽器は永原完一氏自らがが削った総14金の特注品。そしてリタは最高のナガハラ・ユーザー、ジェームス・ゴールウェイ卿の高弟。
いろいろフルートを試してみたいので、4時ごろ山野へ行ったら、ちょうど彼女もコンサートの伴奏者とスタッフとフルート売り場を訪れていたのに偶然遭遇して挨拶。楽器にかなり興味があるようだ。7時半に待ち合わせることを約して、リタさんはショッピングに。
ナガハラの最新モデルを何本も吹かせてもらったが、素晴らしいの一言に尽きる。オカブが次の楽器を買う金銭的余裕があるとすれば間違いなくナガハラを選ぶだろう。
さて、待ち合わせの時間に会って、先々週、オーストラリアのフルーティスト、ガイ・スカリーズさんとも来た『がんこ寿司・銀座四丁目店』へご入店。最初、店側の手違いで一般席に案内されたが、個室を用意してくれていたのでそちらに移動。
まずは「買い物を楽しんできた?」と水を向けると「銀座はお金が危険ですね」という。「ん?東京にスリは少ないですよ」と返すと、それはジョークでリタの言っている意味は買い過ぎにご注意ということだった。
さて、ミニ懐石『花霞』というのを事前予約していたのだが(がんこ寿司では夜のコース料理は予約が必要)、その日本料理の盛り付けの美しさにリタもいたく感動した模様。ただし、次々と出てくる料理に、さすがの西洋人のリタも量が多すぎたようで、今度はランチをスキップして来ると言っていた。
和牛が食べさせたいので、オプションのしゃぶしゃぶ付きというのを予約していたのだが、このビーフはとろける様だとこれもいたく感動なさっていた。
このがんこ寿司、値段もリーズナブルで、お手軽で、しかし、扱いは丁重で、和風の雰囲気にあふれていて外国人の接待にはお薦めです。
さて、食卓の話題は実に幅広く様々であった。まずは今回のリサイタルの感想から。「あなたは素晴らしいテクニックとソノリテ、そして洗練されたアナリゼをお持ちですね。もったいない隠れた名人だ」と偽らざるところを述べたら「ありがとう」と彼女もまんざらではないのと、隠れた自信があるようだ。
演奏会の内容に触れて、「選曲がいいですね。日本人は不思議と特にハンガリー田園幻想曲が好きです。ヨーロッパではよく演奏されますか?」と聞くと、リタは名曲だと思うがほとんど演奏されない、と答えてくれた。「テクニックを聴かせる曲と、音の美しさを聴かせる曲を取り混ぜて良かったです」と述べた。
「ドイツはイタリアと比べて忙しい国だ。イタリア人はのんびり暮らし過ぎている。でも年金の待遇はドイツよりイタリアのほうがいい。日本の退職者はいい生活をしているんでしょう?」とのご質問に「今の年金世代は幸福でいい生活をしています。でもこれからの世代は不幸になっていくでしょう。理由は年金財源の枯渇です。日本は国の財政赤字が深刻です」と言うと「ヨーロッパと同じ事情だ」と溜息をついていた。
「日本人の持つイタリア人の印象は、『ほら。そこに貴女のハンカチーフが』というような感じです」と言ったら大笑いされていた。
オカブがウィーンに行き、オペラ座の鑑賞のあと、マエストロ・ズービン・メータと食事をしたと語ると、えっ!あのズービン・メータと?!とリタにとってもマエストロは巨匠の様だ。マエストロの印象を聴かれて、「彼は基本的に気難しい人らしいが、会った時はとてもフレンドリーだったよ」と答えた。リタがオペラ歌手では誰が好きか?と聞き、女声ではディアナ・ダムラウ、男声ではサルヴァトーレ・リチートラ、でもセニョールは交通事故で亡くなったけどね、と答えると、えっ!彼は死んだの?とビックリしていた。
「最も尊敬する作曲家は?」との質問に「それは大変答えるのが難しい質問」と。ご尤も。「しかし敢えて挙げればバッハ」とのお答えに納得。こちらも至極ご尤も。音楽、特にフルート音楽を深く分かっていらっしゃる。
その他、様々、話題は尽きないが、リタが明日、大阪に移動し、日本で合計4回のコンサートをこなす忙しさなので、10時半過ぎに店を出た。
リタは来年も来日する計画を練っている。再会を約して、明日大阪に発つリタを見送った。

宴楽し終わりて街は秋冷や   素閑




 


結婚記念日を祝う。

2015-10-10 23:14:18 | 日記

今日はかーたんとの27回目の結婚記念日である。
想えばよくここまで連れ添ったものだ。かーたんは常に佳き伴侶であった。オカブがよき亭主であったかは疑わしい。
しかし、それはそれ、今日は家庭とオカブを支えてくれた内助の功に感謝するため、若林のイタリアン『フォルツァ・ドンナ』で食事することにしていて、一週間前から席を予約していた。
ダイエット中なのでお腹が空いていて、早くも5時過ぎのご入店。
かーたんもオカブもこの日ばかりはダイエット解禁を自分に許可して、オカブもビールを飲むことにする。
料理はがんがん頼む。
ダイエットの影響を蒙って、この行きつけの店も随分ご無沙汰で、それをマスターに詫びながら、皿を空けては注文し、皿を空けては注文しを繰り返す。
かーたんとは来し方のこと、エルさんのことなどを思う存分語り合う。
美味な料理と、心からの会話で、素晴らしい一時を過ごした。
しかし、何回も繰り返していますが、この店は、料理は美味、値段はリーズナブル、サーヴィスはフレンドリーといいことづくめのお薦めの店です。世田谷通りの若林交差点にあるという、ちょっと地元民の他は行きづらい立地条件だが、お近くにいらしたときは是非。夜しかやっていません。
かーたんと尽きぬ話を語らいながら、夜道を歩き9時過ぎにご帰館。

秋深し想いも深し古女房   素閑



フェイス・ブックで知り合ったリタ・ダルカンジェロ女史のフルート・リサイタルに行ってきた。

2015-10-09 23:45:31 | フルート

イタリア出身でベルリンで活躍中のフルーティスト、リタ・ダルカンジェロ女史のフルート・リサイタルを鑑賞しに、九段下のイタリア文化会館に行ってきた。
リタとはフェイス・ブックで知り合って、今まで面識がなかったが、数回目の来日の機会をとらえて、演奏会を聴きに行った次第である。
パンフレットのリタのプロフィールによれば、リタはイタリアのキエーティ出身。ベスカーラ音楽院、マンチェスター国立音楽院、ミラノ国際アカデミー、マンハイム音楽大学で学び、現在はベルリンの連合室内管弦楽団の首席フルーティストである。
かつて兵庫県立芸術文化センター管弦楽団の首席も務めたことがあるが、本人によればごく短い期間だったという。
この日のプログラムは、J.Sバッハ:フルートソナタホ短調、フォーレ:ファンタジー、そしてお定まりのハンガリー田園幻想曲。後半はデ・ロレンツォ(ジュナンかと思っていた!)ベニスの謝肉祭変奏曲、サンサーンス:ロマンス、ボルス:カルメン幻想曲、ブリチャルディ:「椿姫」のテーマによる幻想曲。アンコールはエルガーの「愛の挨拶」だった。
聴いた感想は正直言って驚いた。 これほどの隠れた才能がいたとは!
ソノリテは完璧。低音が素晴らしくよく鳴る。低音部をフェルマータでルパートして強調してごまかすようなことはしない。中音域より上は、音響の良いホールだったにもかかわらずちょっと音の拡がりが感じられなかったが今後の課題か?
テクニックはテクニックを強調して聴かせる選曲が多かったため、存分に堪能した。何箇所かミスタッチがあったが、これはどんな名人にもある。
アナリゼはデリケートかつオーソドックス。安心して聴けた。
はっきり言って、 これまでの最新のフルート界の状況にキャッチ・アップしていなかったので、奏者がこれほどレベルアップしているとは知らなかった。一昔前なら確実に「名人」と呼ばれていた奏者であろう。これでも所謂「三流どころ」の奏者であるから他は推して知るべしである。まあ、楽器が良くなっているというのも一因であろうが。リタの楽器はナガハラの14Kの特注品。永原完一氏が制作したという。
演奏会終了後、楽屋にリタを訪ね、言葉を交わした。そして日曜のディナーの約束をした。光栄である。
リタは月曜に関西に移動するという。日曜にまた会うことを約して会場を出た。

笛の音に心酔いしれ秋盛り   素閑
 


旧前田侯爵邸に行ってきた。

2015-10-07 14:46:20 | お出かけ

昨日に続いて絶好の秋晴れの好天。
こういう日に事務所に閉じこもって仕事をしていては体に悪い。そこで引き続き、散歩に出ることにする。しかし行くところといっても大体はもう既に訪れているので限られている。しかし、もう何回も行っているが久しぶりなので、駒場の旧前田侯爵邸にでも行ってみるかと、カメラを引っ提げて家を出る。
途中で、代沢の森厳寺に参詣。この寺は浄土宗。我が本家の菩提寺、青山の龍泉寺とも姉妹関係にある。江戸の昔の淡島の灸の名所として名高い古刹だ。
代沢二丁目の高級住宅街を歩き、左右の街並みに溜息。また駒場東大前を過ぎて、前田侯爵邸に至る道の高級住宅街にも溜息。どうも、オカブのような身分の者には高級住宅街は精神衛生上よろしくない。
旧前田侯爵邸に着く。見学客は少ない。平日の真昼間にこんなところを訪れるのは余程の暇人であろう。
さてこの屋敷は旧加賀藩藩主、前田家の第16代当主前田利為侯爵が建てたもの。利為候は陸軍軍人で昭和17年、マレーシア・ボルネオ沖で乗機が撃墜され没した。享年57歳。陸軍大将に列せられた。長女が昭和30年代から40年代にかけてマスコミで活躍したマナー評論家の酒井美意子氏。
一通り外を見渡してから、邸内に入る。玄関を入ってすぐ右のサロンは「マルキール」(侯爵)というちょっとした喫茶店になっている。オカブはその脇の侯爵夫人の居室の佇まいが大変気に入っていて、ベンチに腰を下ろしてしばらく時を過ごした。こんな部屋を持ちたいなあ、などとかなわぬ妄想を抱く。
しかし、この邸、女中部屋でさえ、我が家より立派ではないか!いかに加賀百万石の殿様とはいえ、世の矛盾に再び溜息。どうも豪邸は、オカブの精神衛生に大変よろしくないようだ。
しかし、今日はいい天気だ。窓外の庭木が陽の光に戯れているのを見ていると、自然の摂理の妙に圧倒される。
日本建築の和館は茶会の準備か何かで10月13日まで閉ざされている。残念だ。
さんさんと降り注ぐ日光を浴びて、家路についた。

秋の光風と舞い踊る木の葉かな   素閑 


世田谷巡り

2015-10-06 17:12:36 | お出かけ

秋晴れで、涼風流れ、暑くもなく寒くもなくの上々の天候。
こんな日に家にじっとしている手はない。区役所と登記所へ行く用事を思いつき、カメラと書類を持って出かける。
若林から、烏山緑道沿いにまず区役所へ。要件を済ませ、豪徳寺に足を向ける。
豪徳寺は山号「大谿山」。曹洞宗の禅寺だ。
豪徳寺の招き猫にまつわるエピソードはあまりにも有名で、以前にも書いたが、重複を畏れず再掲する。
江戸の昔、この寺は、赤貧洗うが如く、住職をはじめ、寺僧ことごとく爪に火を点す様な暮らしをしていた。ある時、この辺りを領していた彦根藩主、井伊直孝が巻き狩りか何かの途中、この寺の前を通りかかった。 すると山門の前に猫が一匹いて、おいでおいでをして直孝を招いている。不思議に思った直孝一行が寺に入りかけると、一天にわかに掻き曇り、大雷雨となり、直孝の居たあたりに雷が落ちた。直孝はこれを奇として、住職の法話を聞き、寺に寄進すること少なからず、豪徳寺の大檀越になり、寺は大いに潤った。住職は、これをもたらした猫を尊び、招き猫の由来となった。
豪徳寺の境内は広い。参詣の人、観光の人、近所の人などが、境内で思い思いに過ごしている。
本堂の前のベンチに腰を下ろしていると、前のベンチで、幼い女の子を連れたお母さんが、一緒に弁当を食べて戯れている。こんな親を持った子は幸せだ。エルさんならきっと「あの子はいい人になるよ」と言っているだろう。
墓域に入り井伊直弼の墓を見た。きれいに整えられていた。
オカブのいつも気になっている地蔵尊の墓標には楓が覆いかぶさっていた。
豪徳寺を出て、オカブの好きな勝光院に行く。ここも曹洞宗の禅寺だ。 竹林が美しい。
都会には寺が好ましい。緑と静寂がある。どちらも都会の住人には必要なものだ。オカブも仏教に関しては、上座仏教しか信じず、葬式仏教は唾棄するべきものだと思っているが、寺の存在は大いに尊び、寺巡りは大好きだ。人間臭く俗的なキリスト教会にはないものがある。
団体の観光の人たちの喧騒に追われて、勝光院を出る。
世田谷線に沿って、上町に出、実相院を見る。ここも曹洞宗。
しかし、庭が美しい。初めて訪れるが来てよかった。梵妻さんらしき人が庭の掃除をしていたので、「お世話になります」と声をかける。
ボロ市通りの大場代官屋敷跡に行く。何回か訪れているが、素通りできない気がした。郷土資料館にも行ったが、展示物は内容が薄い。郷土史家の興味をそそることは無いようだ。
世田谷通りに沿って歩き、浄土宗大吉寺に行く。作家の寺内大吉氏が住職を務めていた寺であり、昨年急逝した、旧友の菩提寺でもある。墓に参り、線香を手向けてきた。
三軒茶屋に出、西友で夕飯のおかずを買い、帰宅した。

仲秋の鳩人恋しさや豪徳寺   素閑


オーストラリア人フルーティストと会う

2015-10-03 22:24:52 | お出かけ

先週に引き続いて、オーストラリア人のフルーティスト、ガイ・スカリーズさんと銀座で会った。
銀座の山野楽器で、オカブの三響製の楽器の無料調整会があったので、それに突き合わせた次第。
まずは、銀座四丁目の『がんこ寿司』で昼食。「彩り弁当」の造りと豚シャブ付き2400円也を頼んだが、その豪華さに(一見豪華だが、慣れている日本人にはまがい物はお見通し)スカリーズさんは大満足。それぞれのおかずを解説していく。湯葉は「豆腐の製造過程でできるたんぱく質」と・・・・これで合っているんでしょうかねぇ?
酒を一本取ったが、スカリーズさんはほとんど召し上がらない。酒豪のオージーを何人も知っているので珍しいなと思った。
「素晴らしい!素晴らしい!」を連発して、食事終わり。
この『がんこ寿司』、値段も手ごろで、外国人の喜びそうなメニュー(特に弁当)があるので、軽い接待にはお勧めです。色とりどりのおかずが美しく、数多く盛られているのにびっくりするようだ。まあ当然と言っちゃあ当然。(本当は『天一』あたりで豪遊したかったが先立つものがない)スカリーズさんは料理が趣味。日本料理の妙に興味を持たれたようだ。割主烹従など、あるいは刺身は場合によって造りと言ったり、お向こうと言ったりするなどあるだけの知識を動員して、日本料理を解説する。
次に、山野楽器で、オカブの楽器の調整をしている間、三響の最新モデルの試奏をしてもらった。70周年記念モデルがいたく気に入ったようだが、購入するまでには至らなかった。
そして、鳩居堂に行って、ベタな日本のお土産を物色する。貝合わせの貝などはなんと説明すればよいか戸惑った。お礼にと、家内に匂い袋を進呈される。
そして、さらにお礼で、ドトールでエスプレッソとチョコレートケーキをご馳走になる。
話題は尽きない。実はスカリーズさんはイタリア出身。イタリア人の女性には"La Bella"(Beautiful)と言ってはいけない。 "Mort Bella" (Very beautiful)と言わなければならない、などと教えられる。
スカリーズさんは来月曜日本を発つ。再会を約して夕方別れた。

<がんこ寿司銀座四丁目店>

秋晴れに想うは異国の碧空   素閑