昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

公務員の資質について

2015-02-25 04:54:28 | 社会

日本の公務員の評判は悪い。
昔も悪かったが最近は特に悪い。
公務員の犯した不祥事が表ざたになると、ここぞとばかりにマスコミから批判され、国民の攻撃を受ける。
一時は、公務員の高給が問題になった。民間の賃金平均をはるかに上回ってけしからんということである。国家公務員のお手盛り豪華官舎も問題となった。民間賃貸なら数十万の家賃の物件に数万の天引き家賃で住んでいるというところが、マスコミの逆鱗に触れて、一時、随分のこと集中攻撃があったと記憶している。
財政赤字がここまで顕在化する以前は、予算を消化するためにとんでもない箱モノを作る役人がいた。
一時の、旧社会保険庁の乱脈ぶりにはオカブも憤りを覚えた。
今でも公務員の体質は「遅れず、休まず、働かず」と批判される。確かに行政職の多くはコスト削減の狙いもあって、ほとんど時間外勤務を行っていない。それでも生活が成り立つのだからそれなりの高給であることは間違いのないことであろう。
現代日本の公務員の体質には、非常な問題がある。
そのことを前提にして、にもかかわらずオカブは日本の公務員の資質を評価している。
それは、ある出来事が原因している。
オカブは自営業者だから(一応株式会社の経営者であるが)税金の申告がある。一定の規模の、それなりに儲かっている会社なら、こうした作業は税理士に依頼して、こちら側で行う作業は帳簿をつけるだけなのであるが、オカブ商会は超零細にして、常に潰れるか潰れないかのぎりぎりのところを低空飛行しているので、税理士を雇う金などない。そこでネットや本と取り組んでなんとか申告を行うのだが、そこは素人の悲しさ、まともに申告書、財務諸表を含めても作成できたことがない。
そこでそのできそこないの申告書と、財務諸表を税務署に持って行って申告を行うのであるが、一応、書類は受理してくれるが、そんないい加減な税務申告をまともに承認してくれるほど税務署は甘くない。
そこで後日、必ず呼び出しを食らうのだが、 そこで担当の税務署職員が、実に懇切丁寧に、申告書の誤りを指摘してくれ、修正の手引きをしてくれるのである。担当職員にとって自分の利益に一銭の徳にもならず、申告が間違いだからと言って、いずれにしろ赤字であるので、追徴課税を課すということでもないのに、貴重な時間を費やして、いろいろ教えてくれる。
しかも、その教示の方法が、決してお役所仕事の枠に収まらず柔軟で、筋の通ったものである。これなら納得がいく。
海外の公務員ではこういうわけにはいかない。やる必要のないことには、絶対に手を付けないし、だいたい賄賂を取るのに鵜の目鷹の目である。
アメリカで弁護士が繁盛しているのは、公務員があまりにも行政サーヴィスを怠っていて、そこに付けこみ、アメリカの弁護士は日本の行政書士の業務もできるから、仕事がごまんと舞い込み千客万来の商売になっているという話を聞いた。日本の場合は公務員が手取り足取りやってくれる。弁護士が流行らないわけである。
もちろん日本でもとんでもない公務員や役所はあることはあるのだろうが、一般の公務員のモラルは押しなべて高い。 
これは採用時の日本の公務員のスペックが非常に高いということも起因しているだろう。海外の公務員は失業対策事業の対象のような感じに扱われているとも聞いた。逆に、日本の公務員はオーバースペックなのではないかと思うこともある。
家の一人娘も教員で公務員の末席を汚しているが、帰宅はいつも夜中の十二時過ぎ。それから夕飯風呂に入り、その後翌日の授業の準備を始るから寝るのは三時過ぎ。起床は六時だから睡眠時間は毎日三時間弱である。土日は毎週、翌週の教材研究や校務分掌に費やされる。いずれの日かは学校に出勤している。
時間外手当は一円も出ない。将来の展望など何もない。
こんなブラック企業のような過酷な労働環境で頑張っている公務員もいることを知ってほしい。
オオゼキに買い物に行ったら、行者葫の初物が売っていた。夕飯に酒の友に供した。美味かった。
オカブ商会の決算期は5月末日である。また税務署の人にお世話になることであろう。関連する公務員もオカブ商会の重要なビジネスパートナーである。感謝をもって接しよう。

暖かし単衣で過ごさむともすれど   素閑 


春らしくなってきた。今日の夕飯はパスタ。

2015-02-21 08:14:42 | お惣菜

冬の厳しい寒さが次第に遠のき、暖かさが増してきた。
しかし、春の温もりを楽しむ暇もあらばこそ、かーたんはコンサートの準備、オカブは年度末(決算期は違う)の処理でてんてこ舞いである。
朝早くから、深夜までデスクに向かいっぱなし。
そこで夕飯は簡単なものをと、ペンネとスパゲッティ、シーザース・サラダにした。
「した」といっても作ったのはかーたんである。
パスタを茹でて「青の洞窟」のパスタ・ソースを絡めただけ。実に簡単。あとはレタスをちぎってサラダの出来上がり。
自分の頑張りのご褒美としてビールを飲んだ。唯一の贅沢。
これからは春に向かってまっしぐらである。
ヘッドの馬鹿でかいビールの画像がどうしても消せない。そこでこのまま掲載しておく。お許し願いたい。 

暖かし静やかなりや日差す庭   素閑 

                  

                  

                                         


羽根木公園に梅見に行ってきた。

2015-02-15 14:14:33 | まち歩き

春浅き日曜の昼に近くの羽根木公園に梅見に行ってきた。
かーたんは今日はコンサート出演でオカブはお留守番。家にいても所在がないので、歩いて20分ほどの梅ヶ丘の羽根木公園に梅見に行くことにした。
風はやや強いが、春めいた温かい一日。柔らかな日差しを浴びて、北澤川緑道を歩く。ジョギングの人、犬の散歩の人、子供を連れて家族でお出かけの人、やはり春を待ちわびた人々で、街路はにぎわっている。北澤川緑道の途中にある円乗院にちょっと寄り道。この寺は真言宗豊山派。古くから代田の古刹として知られていた。もとは地元の豪農達が自家の菩提寺として建立したものという。また、伝説の巨人「ダイタラボッチ」所縁の寺として、代田餅つき歌を伝承する寺社として、世田谷の郷土史には欠かせない。
円乗院には風雅な日本庭園があって、寺が空いているときには何時でも誰でも入れる。ちょっとした憩いの場だ。

        
 

        

 

円乗院を出て、環七を渡り、梅ヶ丘に向かう。日当たりのいい緑道をそのまま歩く。
梅ヶ丘で小田急線の高架をくぐり、赤堤通りを渡るともう羽根木公園だ。
きつい石段を登っていくと、カメラを提げた人たちが大勢、シャッター・チャンスを狙っている。
梅は樹に依るが大体七分咲きといったところ。花が多く開いている樹を求めて、公園の南側の斜面を彷徨う。

        

        

今は、世田谷区主催の梅ヶ丘梅祭りの最中で、公園の広場には露店が出ていて、焼き鳥やおでんや焼き餅、酒などを売っている。弁当を広げる人、露店の肴で一杯やる人、とにかくいつになくすごい人出だ。
陽が高くなって、ダウンのコートを着ていると背中が汗ばむほどだ。 
ここで、店を広げて昼酒と洒落込みたい気はやまやまだが我慢我慢。
多くの花より団子の家族連れを脇に梅見を楽しむ。 

          

        

            

            

   

園内の遊歩道を一周したのを潮に引き上げる。帰りも北澤川緑道を歩く。なべおさみさんの家や中島みゆきさんの家など有名人の居宅が数ある通りだ。代沢小学校まで来て、暑いのが我慢できなくなってコートを脱ぐ。家までは一投足だ。
帰館するとエルさんが居間で、明日の授業の準備をしていた。この子も良く頑張る。早朝から深夜まで、休日もなく働きづめだ。ちょっと仕事をこなすコツについて相談に乗ってやった。
明日から始動。3月も目の前だ。頑張ろう。

あまたなる木々競えるや魁の     素閑 


かーたんの誕生日

2015-02-11 23:21:44 | グルメ

今日はかーたんの誕生日である。建国記念日・・・・紀元節が誕生日とは昔だったら一目置かれていただろうが、現代の日本ではそんなことはない。
さて、誕生日だから、お祝いをしなくてはならないが、さりとて財布の中身は乏しい。
そこでリーズナブルで美味な料理を提供してくれ、支払いの心配をしなくていい若林の『フォルツァ・ドンナ』でディナーにすることにする。電話したら、今日は6時開店ということで、そこめがけて家からとことこ歩いていくことにする。 暦の上では春とはいえ、寒風吹きすさぶ中を夜道を歩くのは辛い。6時ちょうどにご入店。
マスターに迎えられる。かなりのご無沙汰なのでちょっとばつが悪い。
さてはともあれ、まずはビール。かーたんはサングリア。まあ、かーたんもいい歳になったがいくつになっても誕生日とはめでたい。乾杯をしてビールをグビリといく。 

 
                         

料理はワカサギのフライ・ビネグレットに、いろいろ野菜サラダ、ドンナ風春巻きに、マグロと海老・アボガドのタルタル、海老のクリーム・ソース、豚ひれ肉の香草・パン粉焼き、レアビーフの叩き、そしてドルチェにキャラメル・アイスクリーム。いつもながら大変結構なお味である。美味かった。

夫婦ともどもお互い歳をとっていく。まあ、まだ一応現役ではあるが、これから豊かな老後など望みようもない。しかし仕方がない。老いさらばえて野垂れ死ぬだけである。かーたんには申し訳ない。 ただ諦めは共有してくれているようである。あと何年こんな生が続くのであろうか?

妹なむと恋せどや建国記念の日    素閑

                     

                     

                     

                     

                                    

 


立春・京菜鍋を食べる。

2015-02-04 22:26:19 | お惣菜

立春である。まだまだ寒いが暦の上では春。
昨年の積み残しの仕事がたまっていて、それを片づけるのに部屋にこもりきり。春なのに表に出る時間が取れない。
シリアの事件の報道でまだ騒然としているが、仕事に埋もれていると浮世離れした頭の構造になる。
そこで夕飯は、春を報せる野菜、京菜の鋤鍋を食べることにする。
東京地方ではこの京菜(関西地方ではミズ菜と呼ぶのだろうか?)を売っている時期が非常に短くしかも不定期だ。いつどこで売っているか判然としない。だから京菜が売っているのに出くわしたら、稀に見る僥倖としてまずは買うにしかずである。
今日の京菜は昨日オオゼキに買い物に行ったかーたんが見つけてきて買ってきてくれた。
鍋に湯をたぎらせて、ダシの素、塩少々、醤油少々、酒、味醂で割り下を作って、豚肉を煮、そこに大量の京菜をぶち込む。
菜が半煮えであるところをかまわず、春の息吹を満身に吸い込むがごと、菜を脇目も振らず、喰らう。ふーふー言いながら、小笠原流もあらばこそ、菜を貪りつくす。これこそ春なり、の思いである。実に美味かった。
この京菜鍋は数十年前に、サントリー・ローヤルの広告に「すきやき」として掲載されていたものを、我が家の家庭料理としたもの。この京菜鍋を食べないと、早春を迎えた気がしない。
これから目に見えるように日足も伸びていく。春の一種の虚無感を味わう前に、春の訪れを思い切り楽しむことにしよう。

春立ちぬ想いは野山に河の辺に   素閑 

 


節分なり。

2015-02-03 23:16:51 | 日記・エッセイ・コラム

早いもので、昨日正月を済ませたかと思ったら、もう今日は節分だ。
節分につきものの恵方巻きを買ってきて今日の夕飯。
恵方巻きは下北沢のスーパー「オオゼキ」の一角にある「梅ヶ丘・美登利寿司総本店」の謹製になるもの。
今年の恵方は西南西とのことでそちらを向いて、無言でこのジャンボ海苔巻をぱくつく。
しかし毎年この日になると、なんでこんな風習が広まったか不思議でならない。別にこんなものを食う義理もないのだが、かーたんが食いたいというので言うとおりにしている。まあ、目くじらを立てることもないし。
ただ、厄除け、招福なんて効能は信じない。
「災難に会う時節には災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬことがよく候。是、災難を除ける妙法にて候」との良寛の警句はなかなか味わい深い。いままで適当に生きてきたが、適当に美味いものも食った、行きたいところにも行った。これからどのような目に遭おうが文句を言えた立場ではない。
明日から春である。ただわが人生は晩秋と言ったところか。

 世の定めみな頷けるかな節分や   素閑


ビールはやめられない。

2015-02-01 10:23:14 | グルメ

昨日、家で昼ビールを飲んだことを打ち明けた。禁断の行いを密かに破った快感が忘れられず、晩は三茶のビアバーに御出陣。今夜はかーたんはお仕事でお留守番。
卓に着くなりドイツ・ビールを中心に痛飲する。ケストリッツァー、イェーヴァー、エルディンガー、ハンネン、とぐいぐい空ける。
美味かったです。
つまみもジャーマンポテト、オムレツ、ソーセージ、生ハムと鯨飲馬食してお腹いっぱい。
ビールの中でイェーヴァーは酸味と癖があってちょっと頂けなかったが、あとの銘柄は美味美味。
酒のみの醍醐味である。
あとはへべれけになって歩いてご帰館。
あー今日はよく呑みました。 

 

月冴える我は巷の幇間や   素閑