享保の改革と言うのがあった。
老中水野忠邦が主導したものである。
寛政の改革と言うのがあった。
白川藩主松平定信が主導したものである。
どちらも失敗に終わった。
いずれも、経済改革と言うよりも、奢多を慎み幕政に寄与すべしとの、非常にイデオロギッシュな活動であったため、経済を活性化し、幕府の財政を豊かにするための細目の検討がまったくできていなかったためである。
水清ければ魚棲まずというやつである。
というよりも改革の重点政策が全くずれていて、ただの清貧運動になっていたかのような様相を呈していた。
何事も、一度価値観を離れ、目的合理性を追求しないと成功しない典型であろう。
だから、掛け声の勝った、なんとか運動やなんちゃら活動は信用ならない。
冬ざれや脚にまとはる古ズボン 素閑
冬ざれの念仏僧の初七日か 素閑
果ての無き冬ざれし野の入日かな 素閑
あどけなきかんばせ冬さる野の仏 素閑
冬されの墓塔に枯れ菊朽ちにけり 素閑
冬ざれて乾ける土のかほりけり 素閑
冬の原荒れてひとつの葉も消えて 素閑
冬ざれや煙草の杣のたむろする 素閑
冬ざれの林の野営水汲みや 素閑
冬ざれて垣のすまゐの稲荷かな 素閑