昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

ビール飲んじゃった。

2015-01-31 16:11:39 | 日記・エッセイ・コラム

正確にはビールではない。発泡酒と言おうか、何と言おうか?要は大麦麦芽とホップと水以外のもので作ったものをビールと呼んではいけない、という昔のドイツのエラーイ王様が発布した「ビール純粋令」を現代日本の国税庁もちゃんと守っているということ。ただ、日本ではアルコールを醸造するためのお米などを入れても、ビールとして扱ってもらえるお目こぼしがあるらしい。だから左の「銀河高原小麦のビール」は、小麦の麦芽で作ってあるがかろうじて日本の基準ではビールになるのであろう。
今日は朝から晴天だが風が強く寒い土曜日。どこかに出かけるというよりも家でグダグダしていた方がよいを決め込み、昼ビールとなった次第。
どちらの「ビール」も美味かったが、グラスがいけなかった。左の「銀河高原小麦のビール」はベルギービールの「禁断の木の実」のグラスに注いだが、グラスの口が広くて泡が飛んでしまい、クリーミーな泡を味わうことが出来なかった。もっと口の狭いグラスで呑めばよかった。「銀河高原小麦のビール」は、ただの小麦のヴァイツェンではなく、ほの甘い、ベルギービールを髣髴とさせる飲み物でまさに冬のビールといった感じ。ちなみにサミットで一缶257円だったような。

                 

右の「サッポロ・ホワイトベルグ」は完全にベルギービールをターゲットにした製品。これは酒税法上のビールの扱いを受けない。従って安い。サミットで350ml缶で137円ではなかったか?安いが決してまずくはない。ビールでもないのにバカ高い本場もののベルギービールなどよりよほど良い。缶に書いてある原材料を見てみると、大麦麦芽・小麦麦芽・ホップ・大麦・コリアンダーシード・オレンジピール・大麦スピリッツとある。これは成分的に実質、各種のカクテルであるのをビールと称しているベルギービールと同じではないか?しかし、ベルギービールよりよほど良い、と先に書いたが、やはり歴史を経た老舗のベルギービールにはかなわない。これはちょっと合成酒の香りがする。ベルジアンを狙ったのならもう少し完成度の高いものにすればもっと高く売れたかもしれない。これは今まで発泡酒を飲んでいた層とベルジアンを飲んでいた層の積集合部分をターゲットマーケットとして狙ったものだろうが、はっきり言って二つのマーケットセグメントに共通部分は少ない。ちょっと残念な結果に終わりそうだ。ということは飲める時期はあと少しか?明日も買ってこよう。ちなみにこれはベルギービールの「ヒューガルテン・グランクリュ」のグラスに注いだ。こちらの方はグラスの口が狭まり泡が残っていい感じだった。

春近し大風の疾風の如しかな   素閑


またまた鍋焼きうどん

2015-01-30 23:42:07 | お惣菜

今日は東京地方でも雪が降った。積雪3センチ程というから去年の大雪ほどの難儀はしない。しかしかーたんは朝、庭の路地を雪掻きしていた。
こういう寒い晩は、温かいものが食べたい。そこで登場したのがまたまた鍋焼きうどん。温かいものという点ではぴか一だ。ほうれん草と卵を茹であとは具材を切って饂飩に載せ割り下を入れて煮込めば完成という至って簡単な料理だ。ほうれん草が多くてなんだかポパイの鍋焼きであるかのごとき様相を呈しているが、そこはご愛嬌である。
かーたんとふーふー言いながら喰う。ストーブをつけていると汗まで出てくるような思いだ。
メディアではイスラム国の人質のことで目いっぱいの報道である。早く無事に解放されればいいと思うが、その報道に尾ひれがついているのが現在の国内の状況である。いわゆる「クソコラ」という人質とイスラム国の兵士を茶化したコラージュの大量のネット流出。その他ネット上の様々な情報の錯綜。とても国内が人質救出に一つにまとまっているとは思わない。
でも、これでいいのだと思う。先にあった、フランスのシャルリー・エブド襲撃に対する抗議行動も、全フランスが熱狂的に支持したかのように言われているが、実際の所はデモに参加したのはせいぜい50万(公称370万)。ほとんどのふつーのフランス人は醒めて観ていたとのことである。一つの事象に対して世の中が一方的に動くのは健全ではない。オカブが先に書いた「憲法」「安全保障」「皇室」についても、本当に自分の考え通りに行くとは思わない。もしそれらが本当にそうなれば、著しい混乱と破壊、ことによったら日本という国がなくなってしまうこともあると思う。だからただの雑音と聞いてもらっておいてよい。雑音が混じりあって中間色の世の中が出来るのであろう。しかし、自分の立ち位置ははっきりしなければならない。それは近代人一人ひとりの責任だと思う。こんど暇があったらオカブの「立ち位置」を整理して纏めた文章を書いてみようかと思う。読者の御眼鏡にかなえば光栄である。

初雪の夜に煮るなり鍋焼きや   素閑 


また浅草に行ってきました。

2015-01-17 23:03:13 | 日記

また浅草に行ってきた。かーたんがお母さん(”おかん”と言っている)が亡くなったショックから立ち直っていない。
そこで母が生前大好きだった浅草に行って、母の面影を偲び、一区切りつけようという思いででかけた。
家からバスで渋谷へ。そこから銀座線で一本で浅草へ。
雷門通りに出て、かーたんが母と昔食事をしたという『神谷バー』へ。
週末で客が多くしばらく待たされたのち店内へ。ここでかーたんは母と食べた記憶のあるハンバーグと海老フライの盛り合わせの定食を。オカブはこの店の名物のカクテル名物『電気ブラン』とビール生大。ソーセージとサラミの盛り合わせ。『電気ブラン』は養命酒から漢方薬臭さを取ったような味がした。強い酒だ。                                

             

             

かーたんは電気ブランをちょっと味見して顔をしかめていた。
神谷バーは創業明治13年で日本で最も古いバーだ。 昭和初期には浅草の文豪や、地方の連隊から出てきた士官学校の生徒から愛されたという。
神谷バーを出て、雷門、仲見世、観音本堂のあたりをぶらぶらし、陶芸店で安い蕎麦猪口などを買い、伝法院通りの店を冷やかし、裏仲見世の浅草の有名な文学喫茶『アンヂェラス』に入る。ここでウィンナ・コーヒーとチーズケーキ。数々の文豪がたむろした名物喫茶もすっかり観光地化してしまった。しかし一人で珈琲をすすりながら書物を紐解いたり原稿を書いたりしている客もいるから、その初期の姿は健在だ。

            

           

『アンヂェラス』を出て、また、仲見世のあたりをぶらぶらし、伝法院通りにまた出てきて、スカイツリーを見て、ここまで来たのなら行ってみようと、塔の姿を追ってどんどん歩く。隅田川を吾妻橋で渡る。桜の季節には見違えるように華やぐ墨堤もいまはすっかり冬ざれの中だ。浅草から20分ほどでスカイツリーに着く。

                                    夕日を背にした富士山。ビルに半分隠れている。

しかし、スカイツリー近辺は複雑怪奇な様相を呈している。スカイツリーに昇るエレベーターの建物のほかショッピングモールやレストラン街が入った建物が取り巻いている。塔を一通り眺めてビルの中を一巡する。
さて、スカイツリーも真下で観たし、家へ帰るか、と半蔵門線押上駅のほうに歩いていくうちに、どうせ一本で帰れるんだから飯を食っていっちゃえ、ということになり、またスカイツリービルの7階に戻る。
いろいろ店を物色して、結局、物珍しさに惹かれ『世界のビール博物館』という店に入る。もちろんビールが目当てだ。
『世界のビール博物館・World Beer Museum』
オカブの一杯目はチェコのデュンケル、かーたんはベルジアンのチェリー・ビールを。つまみはフィッシュ・アンド・チップスにチーズ・ジャーマン・ポテト。飲みかつ喰い、オカブの二杯目はチェコのピルスナー、ハーフリッター。 

                   

           

           

二時間ほど気炎を上げ、腹一杯になって店を出る。帰りは押上駅から田園都市線で三軒茶屋まで一本、三茶から徒歩でご帰館。
よく遊んだ一日だった。ついでに財布に中身もかなり散財した。明日から節約生活だ。かーたんもお母さんへの想いに一区切りついたようだ。仕事も正月気分が明けて本格的にスタートだ。締まっていこう。

ツリー来て暮れる冬陽蕭蕭と    素閑


JE SUIS CHARLIE.

2015-01-12 08:47:24 | 国際・政治

フランスで痛ましい事件があった。
イスラム原理主義者が、宗教的風刺画を掲載したパリの出版社を、武器をもって襲撃し、多数の死傷者を出した。事件はそれだけに止まらず、連続して2件のテロ事件がパリで起こった。 
オカブが注目したのは事件そのものではなく、事件後に起こった大衆の、集団示威行動である。フランスだけで100万人の人々が参加したという。集会やデモはフランスのみならずヨーロッパ各地に飛び火している。彼らは「Je Suis Charlie」 (私はシャルリー(襲撃された出版社))というプラカードを掲げて、とにかく集まった。
集まったのはいいが、彼らが何をやりたいのか?彼らが何を訴えたいのか、まるで不明であるということが不気味である。一部では、言論の自由を守れということが焦点のように言われ、ペンを模したプラカードがデモで掲げられているが、果たしてそうであろうか?追悼集会にしては人数が多すぎる。暴力やテロに対する抗議行動なら、まるでイスラムを挑発してそれらを助長しているかのようにしか見えない。本当に分からない。
FACEBOOK上でも多数の「JE SUIS CHARLIE」が踊っていたが、多くが銃を持ったイスラム系の男や、アラーやムハマンドを模した風刺画を堂々と掲げている。 
オカブは、イスラム系の移民問題に悩まされてきたヨーロッパ諸国民の怒りがこの事件をきっかけに噴出したものと思っている。集会に参加した民衆のうちの多くの部分を排外主義者が占めていると推測している。
ということは、この事件に乗っかった大規模な移民排斥運動が、今度のヨーロッパの示威活動の本質である様な気がする。 情報や分析の結果が不十分で結論付けるのは早計であるが十分に考えられることである。事件に先立つこと3日に、ドイツで1万2千人を動員した移民排斥デモが行われたという。ヨーロッパが移民排斥に向かうなら彼らの国々の国民の選択である。しかし、もはやヨーロッパ諸国は移民が多すぎて移民が決して国民のマイノリティーではないという現実がある。実態として、現在にほとんどのヨーロッパ諸国はネイティブの国民によって国の政策の意思決定を行うことはできない。現代は病んでいる。

しかも日本のメディア、オカブが読んだ中では極左日経新聞は移民政策を擁護し、移民に反対を唱えるフランス国民戦線のル・ペンをここぞとばかり攻撃している。
示威行動は日本でも行われたという。そして集会の終わりに「ラ・マルセイエーズ」が歌われたという。これがヨーロッパ人のこの事件の反応の実体を表しているような気がする。日本人がテロに遭ってその追悼に「君が代」が歌われたら、メディアはどのような反応を示すだろうか?彼らがその行動を極右的として攻撃することは火を見るよりも明らかである。この一連のデモ・集会は実はイスラムに対する欧米・フランスのナショナリズムの示威行動であったのだ。
この情報は、集会に参加したヘイト・スピーチ反対、民主党支持の活動家が「フランス人の心をみた」といってFACEBOOK上で嬉々として報告していた。人権活動家が排外活動に積極的に加担しているのである。笑うしかない。まあ、本質を見極められない馬鹿というものはどこにでもいるものである。

昨日は、昼はかーたんとスカイキャロットの窓際の席を占領して、二人で5000円の食事で11時から3時まで粘った。雲一つない晴天でスカイツリーも望め最高の眺め。良かった良かった。 

荒ぶれる世の波風の冬ばれや   素閑


皇室廃止論

2015-01-09 20:35:33 | 国際・政治

オカブが憲法改正論者であることは以前のエントリーでも書いた。
しかし、ここでアナーキスト、極左、反日、売国奴の誹りを覚悟の上で発言すればオカブは「皇室廃止論者」である。
憲法改正と皇室廃止を同一人物が述べ立てることに、現代のいわゆる保守・革新、左右のカテゴライズ、さらには「ウヨ・サヨ論争」の虚しさの実態が浮かび上がってくるのだが、それはさておいてオカブは従来のカテゴリーの右でも左でもない。よくリベラルの連中や、自称真正保守の連中が、自分は「右でも左でもない」と唱えるが、それとはちょっとニュアンスが違う。
オカブは古臭い政治概念の「右・左」に自分が取り込まれないことを自覚し、その右・左、保守・革新のレッテル貼りに飽き飽きしているのである。
話が本題からずれたが、オカブは皇室とは本質的に現代でも極めて政治的なツールであると認識している。
そして、明治絶対主義政治制度から敗戦後、今上まで、天皇制はそれが論者によってネガティブととらえられようとポジティブととらえられようと、日本人の国民意識・アイデンテティを保持するうえで極めて有効な政治的ツールとして機能してきたと認識している。
しかし皇室が「有効な政治的ツール」として機能したのは今上までであろう。天皇制は伝統的統治の正当性の本質であった。
今上が崩御され、東宮・東宮妃が天皇・皇后として即位して皇室は有効な政治的ツールとして機能しうるかははなはだ疑問である。
おそらく天皇をいまだ現人神として敬っている人々は、日本人口の一割程度いると推測している。東宮が即位すればこれらの人のアイデンティは崩壊するであろう。
そして女性週刊誌から皇室情報を得ていた人々のほとんども日本人としてのアイデンテティが崩壊するであろう。
ゴシップネタ的な話題は各メディアを参照していただくとして、女性週刊誌から、ネットから散々叩かれてきた、東宮・東宮妃、およびその息女が日本の象徴たる天皇一家に即位して、どうして皇室が日本の象徴としての尊厳が保たれるのであろうか?
そもそも、明治以降、国民(臣民)と天皇の紐帯は天皇のパーソナリティによって保たれてきた。英君といわれる明治天皇が死の床につかれたとき、病気平癒を祈る人々で二重橋前はあふれたという。そして崩御となったとき追悼を捧げる人々で、また二重橋前は一杯になった。しかし、大正天皇の崩御の時そのような事態が起こっただろうか?あれだけ現代史に重要な役割を果たした昭和天皇の崩御の時そのような事態が起こっただろうか?
伝統的統治の正当性とは言いながら、反面、日本人の意識内にある天皇像のパーソナリティから外れる天皇は国民の求心力とはならなかったのである。最も理想の天皇像から遠い帝徳のない(オカブの主観)東宮一家が即位すれば、日本人のアイデンテティは雲散霧消すると思う。おそらく、日本人の国民意識はこの東宮即位によって八つ裂きにされるであろう。
もはや皇室が権威を失うのは目に見えている。それは国民国家の瓦解につながる。
この際、今上が崩御した時点でもう皇室は廃止しなさいとオカブは声を大にして言いたい。

さて、その後であるがオカブは、大統領制・共和制を夢見ている。
日本が市民革命を経験していないとはよく論者の中で言われることであるが、オカブはそのことが現代日本の最大の癌であると思っている。象徴天皇制という曖昧模糊とした統治形態に頼り、共産勢力の意図も入っているとも言われているGHQ憲法を押し頂く日本に未来はない。すなわち日本国民は民衆レベルで国造りに携わった経験を歴史上持ち合わせないのである。自主憲法制定議論を端緒として、ぜひ日本国民の意思を反映しした国家の造営と国家の運営を行いたい。天皇制という土俗的な因習が日本の近代国民主権国家としての成熟を妨げているのである。
しかも議員内閣制は意思決定の迅速さを求められる現代国際社会では極めて不効率なものである。全面的にとは言わないが、見習うべきはアメリカ政体である。大統領の権限を強め、意思決定の迅速化を推進する。ど素人の議員大臣を排して、その道のプロフェッショナルを省庁のトップに据える。官僚群もスポイリングシステムを採用して流動化を加速する。その上で、権力の暴走を議会がチェックする。これこそが閉塞化した、オリのたまった日本を再生し生き残る道である。しかし、アメリカに倣ってはいけないのは、主権の所在である。国家主権はあくまでも国民に帰属しなければならない。
以上の求められる将来の日本の政体はオカブの私見である。最も重要なのは、国民全員が国家の根本になる憲法、政体、国家権力の生成に参加し、その後主体的に国家をコントロールできる状態を作り出すことである。これは地方自治にも言える。もはや根拠薄弱な天皇を日本国の象徴として仰ぐのは前近代的であり、そのままにしておけば実質的に近い将来、政治の混乱と停滞、国民の政治への無関心を招くだろう。
日本には真の近代国民国家としての道を歩んでほしい。
このことに反論が巻き起こるのは大いに結構なことである。大いに議論していただきたい。オカブは一石を投じたに過ぎない。

話は大きく変わるが今日の晩御飯のおかずはお刺身であった。美味かった。ご馳走と言うなかれ。すべてスーパー閉店間際に買ってきた半額物ばかりである。ああ美味しかった。

滅ぶ惧れおおかり寒のうち   素閑




七草粥ですね。

2015-01-07 09:21:49 | 日記・エッセイ・コラム

今日、1月7日。七草粥の日である。
7日と七草をかけたものか、なぜ7日に七草粥を食うのか来歴は分からないが、とにかく我が家でもそれらしきものを作って、朝食に食った。餅入りで、汁が醤油味なので、なんだか粥というよりも雑炊のようだが、そこのところは置いておこう。
春の七草というと全部は思い出せない。ゴギョウ、はこべら、ナズナ、スズシロ、大根、ホトケノザ、それからなんだっけ?
とにかく「七草ナズナ、唐土の鳥が、日本の国に、渡らぬ先に、ストトンストトン」の七草のわらべ歌なら、覚えている。
この日に七草粥を食べると一年間無病息災なんだそうな。
生鮮野菜がなかった昔の冬に春の兆しが見え、採れたての野草を粥に炊きこんだ料理は、当時としては最高の健康食だったのかもしれない。だから一年間無病息災もむべなるかな、である。
今年は3日から仕事開始のつもりだったが、とにかく寝正月の習慣が抜けきらず、エンジンがかからない。
初春の粥を食ったのを機に、本格的に仕事に取り掛かるか。

七草も春は遠くの冬ざれや   素閑 


ハッピー・エピファニー

2015-01-06 03:50:33 | 宗教

クリスマスが今日で終わるといったら、奇異に感じる方も多いだろう。
日本の感覚だと、クリスマスは12月25日までで、早いところでは24日に早々にクリスマスの飾りを片づけて、正月の松飾の準備をするところがほとんどなのではないだろうか?
ところがキリスト教社会ではクリスマスは年をまたいで、1月6日まで続くのである。この日をキリスト教会では顕現節、あるいは公現日と呼んでいる。英語ではEpiphany。教会暦で言うと、降誕節の最後の日である。だからカトリック、プロテスタントを問わず、教会・家庭では1月6日までクリスマスの飾りつけをしておく。尤も、手間がかかるのを配慮してか、もっと後まで飾りを出しておく教会も少なからずあるが・・・・
この日は俗説では、東方の三博士が幼子キリストを礼拝しに来た日とされ、「公現日」の名が示すように、神の子イエスが公に地上に現れたという事実を示す。 
シェークスピアに「十二夜」という戯曲があるのをご存知の方も多いだろう。このあらすじは、オリヴィア姫への愛の殉教者、イリリア公オーシーノーが姫の愛を求めて悶々としている中、オーシーノーを愛するヴァイオラが小姓シザリオに男装してついに公の愛を掴み取るというストーリー。道化フェスタの登場など添景のストーリーも面白い。この「十二夜」というのがクリスマスから数えて十二日目、すなわち1月6日にあたるわけで、タイトルにEpiphanyが題材になっている。しかし劇中ではEpiphanyの行事については触れられていない。
ドイツ語圏では「Heilige Drei Könige」(三聖王祭)として祝われ、特にオーストリアでは国民の祝日として休日となる。この日、三博士と星に扮した子供たちが教会のミサに与り、その後、街に出て、キャロルを歌い献金を募るという愛らしい行事が行われる。下の写真は
2002年の1月にウィーンで撮ったもの。
興味深いのは関東地方では、この日松納めをする習慣があるということだ。東西文化の期せずしての奇なる接点か? 

松取れてなんとはなしのむなしさよ   素閑 


1月3日ニュー・イヤー・オペラ・コンサート2015とウィーンのカフェ。

2015-01-04 04:07:13 | 日記

朝から何もしないで寝たり起きたり。
小人閑居して不善を成す、の典型。
もう夕闇の迫る午後3時、お節の残りと冷ご飯とビールで朝昼夜兼用の食事。
それから、またうとうと。
夜の7時になるころかーたんがごそごそやっているので、なにかと思ったら、『ニュー・イヤー・オペラコンサート2015』が始まるという。もうそんな時間か。
『ボリス・ゴドノフ』の合唱で幕を開けた今年のニューイヤー。新人や名前を聞いたことのない歌手の出演が目立つ。
ちょっとした今年の見せ場というか、ひねった点は鈴木雅明を呼んできてヘンデル『リナルド』を演奏したことか?この歌劇は、日本では通しで公演されることはほとんどないのだが、その中のアリアは単発でよく演奏会などで歌われる。チェンバロのバックで歌劇が演じられるのも異様だが、これもなにかの一興であろう。
森麻季は一時の激やせ状態から多少お肉がついたようだ。ソプラノも今が全盛期というところか?もともとオペラ出身ではないので気になっていたが進境著しい。逆に林ミッチャンはますますふくよかになったというか・・・あまりデブにならないように気を付けてほしい。 幸田浩子は大ソプラノになるには今一歩の精進が必要か?もう、そろそろコロラトゥーラは歌えない歳だろう。頑張らないと。福井敬さんは相変わらず衰えを見せないテナーの響きだ。
ところで藤村実穂子のニュー・イヤー出演が今年で最後になるということはどうしたことか?もう引退ということか?現在の実力でも日本随一のメゾ、というか日本一の女声歌手なのに惜しいことだ。
『椿姫』の『乾杯の歌』で大団円。
今年は木下美穂子が出演しなかった。どこかで公演でもあったのであろうか?気になるところだ。
ニュー・イヤーの後にやった、『ウィーンのカフェとお菓子』の番組が面白かった。
『カフェ・ツェントラル』や『ハヴェルカ』や『デーメル』が出てきたので懐かしい思いに浸った。特に『ハヴェルカ』はドロテア・ガッセの向かいのホテル『グラーベン』に滞在していたので毎日にように通った思い出深いカフェだ。ただ早い時間にばっかり言っていたので名物菓子ブフテルにはありつけなかったが・・・・
ニュー・イヤーを観終わってまたすぐ、ぐーすかと寝入ってしまった。

厄年もことなく三日は過ぎゆけり   素閑 

 

 


 


あけましておめでとうございます。

2015-01-01 21:02:46 | 日記

あけましておめでとうございます。
昨年義母が亡くなったので新年の挨拶は欠礼しなければならないのだが、まあブログ上くらいはいいだろう 。
年が明けて、ウィーンの大晦日午後7時、東京の元旦午前3時にウィーン・シュターツ・オパーのシルヴェスターの『こうもり』のライブ中継をタダで観させてやる、というメールがウィーンのculturallというチケット・サイトから入ったので、楽しみに3時まで起きていていたのだが、どうしてもアクセスできない。おかしいなぁ、を繰り返しあちこちPCをいじって、それでも駄目で諦めて寝たのが午前4時半。
そこで元旦の朝起きたのも10時を回っていた。ここで遅い朝食。
身内の不幸があったので、お節も形ばかりの物。お屠蘇もオカブが飲んだだけであった。
ただ、お節のうちオカブの好きな叩き牛蒡とごまめだけはばーたんに作ってもらった。あと炒り鳥はかーたんが作った。
そそくさと元旦の朝食を済ませ、オカブもかーたんも昼寝。正月といってもなんとも変り映えのしない日常だ。
夕刻近くまで眠って、録画しておいた2011年シルヴェスターのウィーン・シュターツ・オパーの『こうもり』の公演をビールを飲みながらかーたんと観る。
6時過ぎにおせちの残り物で夕食ともつかぬ食事をして7時から『ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート2015』を観る。
今年はズービン・メータの指揮だ。ズービン・メータとはオカブも多少の縁がって、2008年3月にウィーンを訪れてシュターツ・オパーで『運命の力』を観た帰り、ホテル・ザッハーのレストラン、ローテ・バーで食事をしていたらマエストロ御一行様がご入店になられた。びっくりしてその際言葉を交わした懐かしい記憶がある。その時の記録は右記で。【ウィーン旅行記2008年】
今年のニューイヤーも交響楽団員が歌いだしたり舞台上でシャンパンを酌み交わすなど種々の趣向を凝らした演出がなされていた。
ズービン・メータはオカブの好きな指揮者だし、シュトラウスに的を絞っての選曲も好感が持てた。ただメータが真面目な性格なので、独特の小洒落た(ある意味下品な)ウィーン情緒が出ていなかったのだが惜しむらくは、である。後はちょっとバレーがしょぼかった。
ニュー・イヤーを観終わってあとは白船夜船である。お休みなさい。

寝て起きて呑んで過ごすや福寿草   素閑