昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

ホイリゲ・パーティーに行ってきました。

2014-11-30 01:41:30 | グルメ

ホイリゲ・パーティーに行ってきた。
ホイリゲ(Heurige)とはオーストリアのワインの新酒のこと。ボージョレ・ヌーヴォーとほぼ近い意味だ。Hourigeというドイツ語は「今年の」という意味。同じ語で、ウィーン近郊のグリンツィングなどに酒場としてホイリゲと称するものがあるが、これはその昔、ウィーン近郊の葡萄農家が醸造したワインの今年の新酒に限り、客に飲ませて酒場として営業しても良いという勅許を神聖ローマ帝国皇帝より受け、それが年を経て定着したものだ。
かーたんと三茶で待ち合わせて、渋谷~副都心線・新宿三丁目で会場へ。
2時のオープンにつき若干早い到着。新宿5丁目のビルの5階のテラスが会場。このホイリゲ・パーティーはある女性実業家が主催して、オカブの知り合いのオーストリアワインを販売している人がワインを提供したもの。数名の先客がいる。オープンキッチンで料理を担当するのは、『ジョエル・ロブション』出身のシェフ。
豚の背脂とスグリのアミューズから始まって、ノルウェー・サーモンのサラダ、アボガドとセップ茸のサラダ、ローストビーフ、 オマールのパスタ、バーベキュー・チキン、チーズ、デザートにチョコレート・ラスクって贅沢すぎでしょ?しかも料理の付け合せにはオカブの大好きな香草がたっぷり。
おしゃべりも、ニューヨーク、パリ、ロンドン、イタリアのことから、占い、ビジネスの情報交換と盛りだくさん。 楽しい出席者と本当に楽しい時を過ごすことが出来た。
ワインに酔いお腹も一杯になって、5時過ぎに会場を後にする。お土産に買った今年のホイリゲと葡萄ジュースをもって。歩いて新宿に出て小田急線で下北沢からご帰館。 

初冬や佳き酒を酌み夜の巷   素閑

 


エルさんの誕生日

2014-11-29 04:43:33 | 日記

エルさんが今日、23歳の誕生日を迎えた。
社会人になって初めての誕生日である。
この子も希望をもって、小学校の教師という職に就いたのだが、あまりのその仕事の過酷さに、二学期になって奮闘努力しているにもかかわらず、疲労困憊気味。しかしここの所睡眠3時間で頑張っている。この子がこんな頑張りを見せたのは人生初めてで、親ははらはら、やれ可哀そうに、と見ているが、一方で、成長し、逞しくなっていく姿が頼もしい。
そうとは言って、毎日試練の連続で、この日も休日だが学校に出るといっていたのだが、あまりの辛さに家から出られなくて、自分の不甲斐なさから、泣き通しの誕生日だった。
エルさんが学校に出る予定だったためごちそうはなし。『ムッティス・クーヘン』で『インペリアル・トルテ』に近いものを、という趣旨で注文したオリジナルケーキで「ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー!」。
親もエルさんが選んだ教師という職業がこんなにも過酷なものとは思わなかった。しかし、自分で選んだ路だ。一貫して貫き通せという気概を期待している。
この子も23歳という年輪が刻まれた。彼女の将来への希望と日々の生活の充実を祈る誕生日だった。

いとおしや冬のわが子の誕生日   素閑

 



等々力渓谷に行ってきました。

2014-11-24 00:36:00 | まち歩き

三連休の最終日、かーたんと等々力渓谷に行ってきた。
晩秋の今は盛りの紅葉を観ようということで、重い腰を上げたのだが、結果は葉は色づき始めたばかり。少々肩すかしではあった。しかし佳き一日を過ごしたので良しとしよう。
休日とて、遅いお目覚め。なんやかんやで出かける準備に時間がかかり、昼前に家を出る。三茶から等々力行のバスに乗る。20分ほどで等々力駅に着く。駅前の案内板で等々力渓谷への道順をチェック。
鉄橋の脇から渓谷に降りる。先に申しあげたように木々の葉はまだ色づき始めたばかり。かーたんと「まだ紅葉してないじゃん」とぶーたれていたのだが、都会の真ん中のわずかばかりの区域とはいえ、自然の趣に触れて、失望の念も次第に薄れ、青々とした木々と、さらさらと流れる(清流とはとても言えないが一昔前のどぶ川然とした水に比べれば澄んでいる)水に、次第に心ほぐれ、秋の気配を満喫することになった。連休ということもあり、この都会のささやかな行楽地は大変な人出。細い渓流沿いの路をすれ違うのにも骨が折れる。カメラを操る人、黄色くなりかけた銀杏を見上げいいなあ、と口にする人、小さな子供と戯れながら歩く家族連れ、お年寄り同士のグループ。それぞれの秋の楽しみ方があってよい。 今日は曇り空とあって、冷え込みもそれほど厳しくなく、コートを着て長く歩いていると汗ばんでくるほどだ。
水の流れは落ち葉を浮かべて優しく移ろいの表情を見せる。滝の修業場の対岸に日本庭園があった。坂道を上がっていくと茶亭などもありなかなかいい雰囲気。茶亭では湯茶の接待もある。
修業場では行者はいなかったが、等々力の名の由来となった滝の流れ落ちる音が、渓谷に谺して名の通り「とどろいて」霊厳な様を顕している。真言密教の行者は本尊の大日如来の脇侍である不動明王と一体となるために修業するという。不動明王との一体感が彼らに法悦を与える。
等々力不動への登り口に茶店があった。入ろうと思ったが汁粉一杯500円也に恐れをなして遠慮しておいた。等々力不動の境内は渓谷から上がってきた人でにぎわっていた。本堂では厄除けのお札を打っている。遅い七五三を祝う親子連れもいた。 等々力不動から九品仏に向かう。目黒通りに出て環八との交差点で環八を右に入り尾山台駅前の商店街に入る。
商店街で、『尾山台更科』という蕎麦屋を見つけ暖簾をくぐる。この蕎麦屋はキッチンを受け持つ女将と思われる老女と、キッチンとホールを受け持つお姐さんと、主にホール・会計担当のおばはんの女三人で切り盛りするという不思議な蕎麦屋であった。ただ、女の蕎麦屋でも蕎麦の味は確かであった。この店のお姐さんはかなりいけている容姿で蕎麦屋のウェイトレスをさせておくにはもったいない風貌であった。
早速、大平山の熱燗大徳利とせいろ大盛りを頼む。かーたんはミニかつ丼とミニざるそばのセット。蕎麦は更科の名の通り色が白く腰が強く実に美味い。汁も程よい味加減。なかなか侮れない女三人なのであった。かーたんがオカブがとった酒を少し飲むというから猪口も二つ出ていることだし少し分けてあげた。かーたんのセットのかつ丼はミニとは思えないボリュームで、かーたんはその量を持て余していた。ここでゆっくり休んでお支払いは2,450円。なかなか結構な蕎麦屋でなのであった。

初冬の仏のかんばせ蕎麦屋酒   素閑




尾山台の商店街を抜け高級住宅街に入る。途中、逸見政孝と表札の出た豪邸が目に入り、かーたんと二人意外なところに意外な人が住んでいたなと目を見合わせる。
東急線の踏切を渡り、こんもりした木立が見えたのであれが九品仏だろうと当たりをつけて向う。その木立は確かに九品仏浄真寺の物であったが東急線側からだと裏の墓地に突き当たってしまい、境内を約一周して山門にたどり着いた。
九品仏浄真寺は浄土宗。もちろん本尊は阿弥陀如来である。
九品仏の由来となった三品三生の阿弥陀堂は遷仏して改修中であった。しかし、かろうじて上品上生の最高位の阿弥陀仏を見ることが出来た。人間はその人の生前の生き様によって九つの往生の仕方がある。上品上生という最高の極楽往生になると阿弥陀如来が娑婆にじきじきに迎えに来るという話をかーたんにしてやった。
その他、昭和天皇お手植えの松、河口慧海の記念碑、観音堂、馬頭観音、地蔵菩薩などがあった。見るべきものが多すぎる。少し疲れてきた。最後に閻魔堂を観た。かーたんがしょうづかのお婆様の像を指して怖そうというから、あの人は閻魔様の裁きの時にとりなしてくれる人だよと解説してやった。
浄真寺を出て自由ヶ丘に向かう。 途中、かーたんとエルさんの母校である玉川聖学院がある。懐かしくてキャンパスを覗いていたら、旧知の前学院長のB先生がいた。思わず嬉しくなって挨拶する。この学校はプロテスタントのミッション・スクールで、B先生が「学校のためにお祈りください」とおっしゃり、もちろん「お祈りします」と応えた。仏閣巡りをしてきてキリスト教の祈りをするというとなにかちぐはぐな気がするがオカブもかーたんもクリスチャンだからしかたがない。
自由ヶ丘に来たのはここからバスで三軒茶屋まで帰るつもりであったからだが、バス停に長い行列が出来ていたので、東急線で二子玉川に出てそこで田園都市線に乗り換え三軒茶屋経由で帰ってきた。
三茶からの帰り道、代沢十字路の『ムッティス・クーヘン』でシュトーレンが出ていたので買ってきた。この店のフラウによれば今年のシュトーレンの初売上であるそうだ。
家に帰ってきてどっと疲れた。お疲れ様。

妻ともにすごせし勤労感謝の日    素閑

 

 


コンサート『アリアと珈琲はお好き?』

2014-11-20 09:57:44 | アート

かーたんの友人、久保由美子さんが公演する二部構成の企画ものクラシック・コンサート『アリアと珈琲はお好き?』に代々木上原『ムジカーザ』へ行ってきた。
第一部の前半は、久保さんのソロで『マノン・レスコー』のアリアを中心としたオペラもの。そして後半は『カンディド』、『Tonight』などバーンスタインのミュージカルものによる構成。『カンディド』は久保さん風邪気味の中、名演の熱唱。コロラトゥーラとミュージカルの地声の発声の混ざったあの歌を歌える人はそうそういない。
ワインとオードブル付の休憩の後、二部はバッハの『コーヒー・カンタータ』を日本語オペラ仕立てにした斬新な企画。日本語訳詞も演出も久保さんが手がけたというから立派なもの。
『コーヒー・カンタータ』はバッハの時代、コーヒーが市民階級に普及し熱狂的に受け入れられたブームを風刺し、バッハが作曲した世俗カンタータ。
やはり二期会幹事長でバッハ研究会を率いる多田羅迪夫御大のバリトンがきらりと光るが、もともとオペラとして作曲されたものではないため、歌の「見せ場」がなかったところはちょっと残念。というか全体がレチタチーヴォ中心なので、劇的なアリアがあるわけではない。しかし進行役の粕谷さんがコミカルに舞台を進めてくれて、ちょっとしたお芝居として楽しめた。
久保さんの衣装、深緑、金ラメ、そして「コーヒー・カンタータ」の娘役の水色のものとバラエティに富んで目を楽しませてくれた。「コーヒー・カンタータ」の伴奏がシンセのキーボードと、ガンバではないといえチェロの通奏低音で行われたのは、企画として頑張ったなあという印象。
舞台がはね、来年、オーストリアワインと、ウィンナ音楽のコラボを一緒にやろうと企画しているワイン輸入会社経営のKさんとかーたんの3人で食事をしていこうということになり、代々木上原の駅前の店に行き当たりばったりで入った。この『Latino』というワイン・ダイニング・バーではオーストリア・ワインも置いてあるうえに、その面でKさんのビジネスと直接関係しているという奇縁。その上、かーたんの高校の後輩で二期会会員、劇団四季の女優、辛島小恵さんのご亭主がこの店のオーナーということで話が弾み、大いに盛り上がる。最初にシャンパーニュ、鰊のカルパッチョ。ブルゴーニュの白でラタトゥイユ、ノルマンディー産のムール貝。かーたんはリンゴジュースを薦められて出してもらったらこれがオーストリア産のアップフェルザフト。その後トリュフをあしらったブレスの冷製。そこでブルゴーニュの赤がシェフのお薦めで飲んだところこれが絶品。こちらのお店でというかシェフのこだわりでは、ボルドーよりもブルゴーニュの方が好みの格付けとしては高いという。そのワインと料理へのこだわりは脱帽もの。
Kさんが水を頼んだところこれも特別もののアルザス産ミネラルウォーター。エヴィアンやコントレックスとは一味違う。そしてお待ちかねのジビエ、蝦夷鹿。叩きとパテでいただく。 これも絶品。パテはいちぢくのジャムをつけて食べると臭みが感じられず、とろりと口の中でとろける美味しさ。
『Latino』
大満足して夜半過ぎに店を出る。いい一夜であった。

『アリアと珈琲はお好き?』
第1部 出演者:ソプラノ/久保由美子 ピアノ/浅野和子 テノール/沢井栄次

第2部 コーヒー・カンタータ出演者:
コーヒー好きの娘/久保由美子、ガンコな父親/多田羅迪夫、語り手/沢井栄次、メイド/粕谷ひろみ

歌劇観て氷雨にしとど濡れそぼり   素閑





『楽釜製麺』で讃岐うどんを。

2014-11-18 16:53:27 | グルメ

午前中表参道で打ち合わせ。
三茶に帰ってきてちょうど昼時。さて、何を食おう。しかしお財布の中身は乏しい。しかも昨今、アベノミクスのおかげで我々貧乏人が利用する飲食店は狂乱物価とも言っていいインフレ価格。牛丼、ラーメン、立ち食いそばの類はもはや庶民の食うものではない。そこで三茶の庶民の味方、三叉路に近い世田谷通り沿いにある『楽釜製麺』で讃岐うどんを食うことにする。かけうどん280円、大盛りにしても380円税込の価格は、他方、大幅値上げした牛丼屋への憤りをさらに大きくするものがある。
かけうどん大盛りに竹輪天をつける。この竹輪天がまたジャンボで嬉しい。しかもトッピングの天かすは無料サービスである。
昔、東海林さだおのエッセイに四国高松に讃岐うどんを食いに行く話があって読んだことがある。東京人が讃岐うどんの実態をまだ知らなかったころである。関東では讃岐うどんにまだそれだけの希少価値があった時代である。
たしか東海林先生御一行は高松空港からタクシーを飛ばして、うどんの名店を梯子して回ったそうだ。
そういう店は大抵、普通の民家のようなたたずまいである。この辺が数十年を経過した昭和レトロの歴史の重みを感じさせる。
この手の店では店員は大抵地元のおばちゃんである。まず店に入ると注文ということに相成るからここは他の飲食店と変わることはない。しかし注文の仕方からが讃岐うどんの真骨頂である。ここでまずうどんを何玉にするべきかを決定しなければならない。 一杯のどんぶりに最大三玉ぐらい入る仕掛けになっているらしく、さらに高松の地元民は一食に普通三玉くらいは平気で行くそうである。従って、香川県の糖尿病と痛風の罹患率は全国一という記事を新聞か何かで読んだ気がする。うどんの「タマカズ」が決まったら、おばちゃんが「ちゃっちゃする?」と聞いてくるらしい。これは麺を湯通しするかどうかという意味である。「そんなことは当たり前にするだろう」などとは思ってはいけない。饂飩にこのうえない情熱を燃やし造詣の深い地元民からすれば「ちゃっちゃしない」もまた有りなのである。そしてこの通過儀礼が済むとトッピング選びである。天麩羅を中心にトッピングが何種類も並べてありそれを自分でどんぶりに載せるらしい。地元民は普通に平気で三種類くらいのトッピングを載せるという。そして麺とトッピングの載ったどんぶりは当然のようにおつゆを欲する。東海林先生が四国ご訪問のころはこのおつゆが昭和20年から30年代にあったホーローの便所の手洗い水タンク(知ってる人は知ってるよね)に入れられていたという。ここでめでたく汁をかけられて完成品となった饂飩はお支払いを迎えるのである。このウィーンのホイリゲというか、ショットバーというか、あるいは社食のカフェテリア方式というか何に例えていいやらわからないセルフサービスのシステムは平成の世になって、讃岐饂飩屋が爆発的に東京に進出した暁にも健在である。
『楽釜製麺』では大盛りと普通盛りしかなく「ナンタマ」という選択はできないし、「ちゃっちゃする?」という質問は受けないで麺は湯通しするのがデフォである。しかも店員はおばちゃんではなくいかにも教育の行き届いた慇懃な青年である。おつゆも便所の手洗い水タンクではなくファミレスのドリンクバー風のマシンから注ぐことになる。しかしこの高松人が考えたセルフサービスのシステムの基本形は崩れていない。
そしてかけうどんと竹輪天は空腹の胃の腑へ至福の思いとともに収まっていったのであった。

冬来たり商談進まぬ身は追われ   素閑


 


三軒茶屋『喜来楽(Xi Lai Le シ・ライ・ル)』で中華バイキングを。

2014-11-14 16:22:42 | グルメ

銀行に用事があってかーたんと三茶までお出かけ。
銀行で振込み決済などを済ませ、ドラッグ・ストアでかーたんの買い物。
その後、西友で夕飯のおかずの買い出しを済ませ、さてお昼をだいぶ回ったしお腹が空いたなということに相成った。
いつもならキャロット・タワーの26階のスカイ・キャロットのラウンジで軽く済ませるのだが、今日はお腹の空き具合が半端ではない。そこで、キャロット・タワーの地下のチャイニーズ『喜来楽』でランチ・バイキングを食べることにする。ここのバイキングは大分以前に何回か来たことがあるが、アベノミクスの副作用である物価高にもめげず平日1,000円税込ポッキリで頑張っている。(土・日・祝は1,320円です)昼のバイキングの営業時間は11:00から15:00まで。サラリーマンの昼食としても手軽に利用できる。
14:00頃のご入店でオカブはランチ・バイキング、かーたんはバイキングにドリンク・バー200円也をつける。
メニューは点心あり炒め物あり揚げ物あり麺あり生野菜ありで非常にバラエティに富んでいる。はっきりいってここの1,000円はお値打ちです。特に点心の小肉饅頭と炒飯はお薦め。
腹ペコの所から、お腹がはち切れそうになるまで食って、お支払いは表示通り2,200円。
美味かった。また来よう。
茶沢通りを食いばてた身体に鞭打ってよろよろしながら家まで帰ってきた。

憂きこともとかして明き小春日や  素閑

 


る・たん・あじるに行ってきた。

2014-11-08 07:25:05 | アート

新宿三丁目のシャンソン・バー『る・たん・あじる』に行ってきた。
実は先日、急に年来の友人が亡くなった。ただ最近、疎遠にしていたので消息がつかめない。弔いにも行けなかった。香華を手向けることもできない。そこで行きつけだったという新宿ゴールデン街の店で友人を偲んで飲もうかと思ったが、どうも開店が8時過ぎ頃らしい。これでは、早めに飲み始めて早めに切り上げるというオカブの行動規範に合わない。それに、今回は蒲田でのコンサートで手伝いに繰り出したかーたんと待ち合わせて、二人で行こうと思っていたのに時間が遅すぎる。そこで新宿は新宿でも3丁目の前から気になっていたこの店で呑むことにしたのである。
この店はライヴをやるのは毎週木曜でその他はバー・タイム。それでよろしい。今回は音楽を聴きに来たのではなく、友達を偲びに来たのだから。
ただし、話題はもちろんママさんとは面識のない友人のことではなく、ママさんが好きなパリのつれずれのこと。シャンソニエのラパン・アジルや治安のこと、美術館のこと、あるいは国内のシャンソニエやシャンソン歌手のことなどを取り留めもなく話す。
アブサンの杯を重ねるごとに興に乗ってくる。
オカブは7回ほどパリに行っている。ママさんとは話が弾むわけだ。かーたんはパリ行きなし。だからずっと押し黙っている。気を遣うのが煩わしいので適当な時間に店を出る。早めに切り上げるという主義に従ったわけだ。しかし、この店は明朗会計でいい店。また来よう。 
友人はパリを訪れたことはないがフランス文学にはとてつもない造詣をもっていた。オカブがシャンソンを伝授されたのはこの友人からだったし、おまけに底抜けの酒豪ときている。今晩は、手向けに酒を飲んだことで喜んでくれたことであろう。
一歩出た夜の街は年の暮れの様相を呈していた。

木枯らしや逝ける友へのウィスキー   素閑 



日本ハンディキャップ論を嗤う。

2014-11-08 06:45:30 | 国際・政治

『日本ハンディキャップ論』と言われても聞き慣れないという印象しか持たない方が大半なのではないか?
この言葉の元ネタは、1993年当時の外務次官、小和田恒氏が、東京蓺大学長の平山郁夫氏との対談で、今後の日本の進むべき道として語った中で、日本は平和維持国際貢献をするにあたって、軍事的貢献ではなく、経済的貢献によってなされるべきだとしたものである。これは前提として1991年に起きた第一次湾岸戦争のとき、橋本龍太郎政権が米のクリントン政権に差し出した135億ドルの経済的支援を念頭に置いていると思われる。
さて、『日本ハンディキャップ論』自体は、戦後間もない冷戦構造、及び日本国内の左翼平和主義のはざまの中で、当時の首相吉田茂が打ち出した『吉田ドクトリン』の継承に過ぎない。『吉田ドクトリン』 とは、日本の安全保障及び米国による国際安全保障に対して、日本は極力軍事的参画を行わず、経済支援を優先し、ひいては日本は軍事的大国を目指すのではなく、経済優先の政策を貫こうというものである。このこと自体は当時の日本の国力、置かれた国際的・地政学的環境、安全保障上の脅威とそれに対する米国軍事力の関わり、国際社会の日本に対する認識等々を勘案してその時代においては妥当な策であったと考える。当時、『武装・完全独立国家』を目指すと唱えようものなら、国内、及び国際社会、また米国からも大きな反発があったと予想される。また、米国の核の傘に守られた「軽武装・経済優先政策」は当時の成長期に入ろうとしていた日本経済発展をを後押しする形になった。しかし、『日本ハンディキャップ論』はこの『吉田ドクトリン』の成果を過大視しているし、2014年11月現在の時点では、もはや賞味期限切れの外交政策と言わざるを得ない。
しかし『吉田ドクトリン』は近年まで、日本の外交・安全保障を掣肘し続けてきた。歴代内閣が集団的自衛権を違憲としてきたのも、忠実に『吉田ドクトリン』を踏襲した結果であるとみていいだろう。たとえ、日本国憲法が、法原則上、自明の自然権である自衛権、交戦権を放棄して、その法体系の正当性に対し疑義を持たれたとしても、それを上回る戦後体制の呪縛が強烈であったのである。しかし近年、その『吉田ドクトリン』及び『日本ハンディキャップ論』の根拠となる環境に変化が生じ始めた。
その具体的内容は、まず『吉田ドクトリン』及び『日本ハンディキャップ論』が、アメリカが「世界の警察」の役割を担ってくれることを前提にしていたが、この前提は、世界一の軍事大国、経済大国であるアメリカが21世紀に入って、軍事的、経済的疲弊に陥ることによってもろくも崩壊した。アメリカは日本に対して、国際安全保障、及び自国の安全保障に軍事的な応分の負担を求めだしたのである。さらには、国際世論もこのアメリカの動きに同調するようになった。アメリカは中東とアフリカの軍事的制圧を行うことに精一杯で、極東の安全保障に関しては「極力手をかけたくない」立場なのである。従って、米国防総省は朝鮮半島へのコミットを急激に減らしてきているし、当然、日本の集団的自衛権による軍事的自立、及び国際貢献としての日本へ集団的安全保障への参画を求めてくる。いわゆるいま日本で議論されている集団的自衛権の是非は日本の国内世論ではいまだ定まっていないが、上記のような国際情勢の変化の下では、丸腰外交・丸腰安全保障を標榜することのない限り、取りうる最善の選択と言わざるを得ない。さらには中間選挙の共和党の圧勝によって、米国はさらなる財政規模の削減、小さな政府の施行、ひいては軍事予算の削減を行うであろう。もはやアメリカは日本にとって、どんなに経済的な貢献をして媚を売っても安全保障において縋ることのできる保安官ではなくなったのだ。
そして、20世紀と21世紀の国際情勢の最大の変化は米ソ対立から、中国の台頭に中心的課題を移行したことは論を待たない。そして中国の政策はソ連よりも経済的侵攻を含めた点で狡猾であり、ソ連と比較して国内政治の不安定さからイラショナルである。 そして近年の中国の軍事費の飛躍的膨張はその危険度を説くのに十分な理由となる。今回のAPEC開催に合わせた日中首脳会談の実現による歩み寄りにもかかわらず、依然、中国の現在の情勢はいつ極東で「熱い戦争」が起きても不思議ではない状況になりつつある。
こうした極めて危険な国家である中国と一衣帯水の位置関係にある日本の意思決定者が、上記の国際情勢の変化の下に、まだ「軽武装・経済優先」の『吉田ドクトリン』の支配下にあるとしたらそれは極めて危機的な状況であるといわねばならない。また国際世論も日本が憲法九条にがんじがらめにされた「平和国家」であることよりも応分の軍事的負担を行う「普通の国」であることを望むようになった。日本の置かれた立場は、自国の安全保障に関しても、平和的国際貢献に関しても、米国はもちろん欧州から、あるいは東南アジア諸国からも軍事的自立を求められているのである。
もちろん日本の立国の要は経済である。経済の発展は平和的環境抜きにしては語れないことは言うまでもない。しかし「平和的環境」は確固たる安全保障によって守られることも自明である。また戦争の惨禍は言葉を尽くせるものではない。であるからこそ抑止力としての軍事的プレゼンスを高める必要が、近年になって急激に高まってきたのである。
こうした日本の復興期に唱えられた『吉田ドクトリン』を墨守した『日本ハンディキャップ論』を小和田恒氏をはじめとする外務官僚がいまだに堅持しているとしたら笑止千万というか、背筋の寒くなる思いがする。その一方で、認識しているか否かは定かではないが『日本ハンディキャップ論』の信奉者が第一次湾岸戦争時に日本がアメリカに拠出した135億ドルをいまだに批判しているのも理解できない。
たしかに現在、時代はひたすら悪い方向に向かっていることは確かだ。だからこそ我々はそれを乗り切る知恵を身に着けなければならない。

雲低く心騒がし冬ざれや   素閑


 

 


鍋物の季節ですね。

2014-11-07 21:45:04 | 日記・エッセイ・コラム

季節外れの台風が過ぎ去って寒くなってきた。夕飯も温かいものが恋しくなってくる。
そこで今晩は冷凍の鶏肉を使って鶏すきにすることにした。
下北沢のスーパー『オオゼキ』で、安い白菜、葱、春菊、シメジ、エノキ、糸こんにゃく、焼き豆腐を買ってきて、電気コンロで煮込む。味付けは、ダシ、塩、醤油、酒、味醂で作ったなんちゃって割り下。汁が煮えてきたところで、鶏肉から具を入れていく。火が通ったところで、かーたんとふーふー言いながら食べる。美味い。
熱い具に口の中を火傷しながらも貪り食う。
締めは残った汁にご飯と卵を入れた雑炊。これも芯から身体が温まる。
食べた後はシャツも脱ぎたくなるようなホカホカの暖かさ。
鍋は具を刻むだけで、煮汁に入れればできる簡単な料理だが、それに対して満足感が大きいのでありがたい料理だ。
冬は鍋に限る。天下泰平なり。

立冬や隣家の声も遠き声  素閑


有楽町『だん家』に行ってきた

2014-11-01 14:44:20 | グルメ

有楽町のビア・ホール『だん家』に行ってきた。
もちろんビア・ホールに行くために有楽町まで出てきたのではない。
銀座の『山野楽器』で『宮澤フルート』の調整会があったので楽器をもって参上した次第。かーたんも声楽の楽譜が見たいというので一緒に来た。山野の管楽器売り場では、自分のフルートの調整もさりながら、最新モデルの楽器にうっとり。近年のフルートは革新著しく、特に歌口の設計の進歩により、昔の人が何十年も苦労して手に入れた音色を初心者がいとも簡単に吹きこなしてしまう。何本か試奏してみたが、もう喉から手が出るほど欲しい。でも財布の中身がねぇ。かーたんの鋭い眼が光る。断腸の思いで諦めた次第である。
がっかりしてお腹が減ったので、楽譜を見ているかーたんに少し付き合って、有楽町駅にほど近いJRのガード下にあるビア・ホール『だん家』(Danke)に向かう。この店は4年ほど前、初めて訪れて二回目である。美味い料理とビール、手ごろなお値段につられて再訪となった。 
まだ4時過ぎでオカブたちが最初の客。細長く広い店の中ほどの席に案内されて、熱いおしぼりを使いまずはビール。生の大ジョッキだ。かーたんは梅酒ロック。その他、海老とアボガドのサラダ、ポテトフライ、ホワイトソーセージとペッパーソーセージ、アイスバイン、鴨の料理、フィッシュアンドチップスなどを取り、またまた鯨飲馬食してしまった。 特に鴨は多分、合鴨なのだろうけど、舌にとろけるような絶妙の美味。この店、チェーン店ですがお勧めです。ビールも大ジョッキ都合3杯飲んでお支払いは9千円ちょっと。何度も言うが、大変いい店です。 
まだ、YMHAで楽譜を見ていきたいというかーたんに付き合って、千鳥足で銀座8丁目のYAMAHAへ。帰りは新橋から銀座線で渋谷へ出てバスで代沢十字路。大変お疲れ様でした。 

秋時雨酒肆に籠れば慈雨となり   素閑