昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

またまたまた・・・・今晩もお弁当。

2017-08-26 22:00:24 | お惣菜

かーたんと三茶の『きゃんどる』と『スカイ・キャロット』に出かけて、西友で晩のおかずを買おうということになった。
なにか、手の込んだものでも作るかと言いながら、やっぱ面倒臭いからお惣菜にしようということになり、結局、お惣菜より手抜きの、いつもながらの弁当に相成った。
今日はオカブは弁当二つ。チキンカツ弁当とメンチカツ弁当なるもの。
良く食いますな。おかげでこの一か月で5キロほど肥った。しかも健康に悪いものばかり食っている。
そこで、できもしない減量宣言をするオカブであった。

ひらひらと幻のごと秋の蝶   素閑


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お弁当の晩御飯・・・またか!つーかなんというか?

2017-08-25 18:32:58 | お惣菜

今日は、月末最終日の25日。
開店休業状態のオカブ商会もそれなりに忙しい。
そこで、晩御飯はまたまたまたもや、西友で買ってきたお弁当。
ジャンボ特盛弁当は相変わらず。きょうはそれにイカカツのり弁なるものをつけた。
要は弁当二つを食うことになる。しかも一つは超特盛!
よく食うどころではない。食い過ぎというかなんというか。
ただ、オカブは実質、一日一食。まぁ、晩飯にこれくらい食っても、そんなに不自然ではないだろう?ただ、健康には物凄く悪そうだが。
エルさんたちはまだ音沙汰がない。高速が混んでいるのだろう。
帰ってくるのを楽しみに待っている。

祖母思ひ娘旅して秋の山   素閑


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今日の晩御飯はお弁当です。

2017-08-21 19:58:09 | お惣菜

今日は、かーたんのレッスンが立て込んでいる。
オカブも仕掛中の仕事に取り組んでいて台所に立ちづらい。
そこで晩御飯は西友のお弁当。
オカブは「ジャンボ弁当」と「鰻と玉子の海苔巻き」。
オカブは昔から大食漢である。食うのも速い。人からはいかにも美味しそうに食べますね、と言われる。かーたんからは、食うのが速過ぎると言われる。どちらが本当か分からない。しかし食うことは大好きなのは、このブログの大半が食い物ネタで埋まっているのでもお分かりだろう。
この歳になっても大食と早飯食いは変わらない。もちろん無芸である。
弁当と海苔巻きもものの10分で食い終わってしまった。美味かった。
惨めな暮らしをしていても、まだ飯が食えているだけでも感謝である。

夕餉時花火の音におもて出で   素閑


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今日の晩御飯・かーたんが風邪をひいた篇

2017-08-14 18:13:11 | お惣菜

つい先ほど三茶の西友に買い物に行って、今日の夕飯を買ってきた。
かーたんのレッスンが夜まで続くので、その合間に早めの夕飯にした。
かーたんは鰻丼と総菜。オカブは鯖の押し寿司である。
オカブも鯖は好きで、特に鯖の寿司は大好きなのだが、いつからこのように好きになったかは分からない。
鯖の押し寿司、関西では・・・というか大阪ではすなわち「バッテラ」と言う。
とにかく関西人は鯖が好きだ。関西のあちこちに鯖の名物料理がある。
オカブは新卒で入社した会社で早々、播州姫路に飛ばされた。
生まれて以来、東京から出たことがないので右も左もわからない。
文化も言葉も異様だ。
ある時、寮の寮母さんが「今晩はキズシにするから」というので、「ああ、そりゃあいいなあ。今晩は鮨が食えるのかあ」と思って、晩の食卓に向かったら、出てきた料理はなんのことはない、ただのシメサバだ。ことほど左様に箱根の向こうとこちらでは勝手が違う。播州姫路で鯖の名物料理と言ったら、おそらく鯖の腐れ寿司が筆頭だろう。つまりは鯖のなれ寿司である。
関西では一年の前半の魚は鯖、後半は鰤である。関東では差し詰め、鰹と鮭と言ったところか?
確かに秋の脂ののった鯖は美味い。関西人が夢中になるのもわかる。
弥次喜多道中の『東海道五十三次膝栗毛』で、京都の芝居小屋で地元の商家の客が鮨を食う場面がある。本文では鮨のことを「おすもじ」と言っている。ここは関西人がケチなことを強調する描写なのだが、鮨の身と飯を剥がして、身は酒の肴に、飯は弁当にしなさいと同行の客が勧める。この鮨が鯖寿司である。
まあ、今は鯖も地中海や大西洋に行って獲ってきたものを食っているので、一年中食える魚だ。
しかし秋の味覚として情趣深いことは今も昔も変わらない。

 

秋鯖や河岸の石床ずらずらと   素閑

 

 



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日曜日だ。教会だ!・・・秋茄子だ!

2017-08-13 09:51:42 | お惣菜

日曜日である。
従って、教会に行かなければならない日である。
この「ねばならない」というのがキリスト教信仰では曲者の精神状態で、他律的、キリスト教的に言えば律法的な・・・よりかみ砕いていえば偽善的な心性なのである。オカブもそれに陥ってしまった。本来、カルトを追放して後、反対勢力の中心になって動いてきた人たちは信仰的にズタボロになっていたのだから、福音による癒しを十分に施されて、第一線に復帰すべきだった。しかし、教会の教勢から人数的にそんな余裕がないのと、カルト派の役員をほとんど実質的に追放したので、ほぼ全員が役員として役目を引き継いだ。カルト派の役員のやり残した仕事も引き継いで・・・
しかし、そんな泣き言は言っていられない。前に進むのみである。
朝、一昨日から残っていた固い冷や飯に茄子を焼いて食った。朝食はこれのみである。
今日はいつもと違う。かーたんが風邪で教会を休みだからだ。
それでも教会に胸を張って向かう。

秋なすび朝日もやわらになりぬるか   素閑


豪快にシマアジの刺身

2017-07-05 22:53:58 | お惣菜

夕方、仕事をしているとかーたんから携帯の電話がかかってきた。
今、西友にいるという。
晩のおかずは何にしようかという。
今日は、刺身が特売だという。かなり豪快なものが、棚に並んでいるという。
どれにしようか?とのこと。
シマアジの尾頭付きの活け造りっぽいのが830円という。
思わず、それそれ!と叫んで、楽しみに夕飯時を待つ。
今日は、昼は饂飩で精進潔斎したので、夕飯は精進落としである。
かーたんの買ってきたシマアジを見ると、確かに豪快。美味そう。
ビールを啜って、むしゃむしゃ食う。
満足満足。
頭とまだ身のついている骨も勿体ないから潮にした。
このところ美味いものばかり食っている。そろそろ節約しないと家計がやばい。

夏料理香れる茣蓙に並べたり   素閑


うどん供養in2017

2017-07-05 13:32:18 | お惣菜

食欲がないが腹は減ったという経験をお持ちの方はおられないだろうか?
今のオカブが丁度、そんな感覚。
どうせなら鱈腹食ってやれと思う。
しかし食欲はないので、あまり重いものは食えない。
そこで饂飩。
今年初めての饂飩供養にする。
「饂飩供養」とは禅家の習慣で、節句など何かの機会に一堂の大衆の僧に饂飩を振舞って供養するというもの。ついでに、この時の饂飩は食い放題。普段、極端な禁欲的食生活をしている禅の修行僧には堪らない習慣だろう。
もちろんオカブは禅坊主などではないが、もう老い先短いし、生前供養されてもいいような気分から、自分で自分を供養しようというもの。なにかとってつけたような取り合わせだが、そう考えて饂飩などを食うのも乙なものと思い、一応、禅家の「饂飩供養」と重ね合わせて、饂飩を食うことにする。
日清フーズの「讃岐うどん」という乾麺を茹でる。
昆布汁でつけ汁を作って、氷を散らして出来上がり。
この季節は夏安居である。
夏安居とは仏僧が、地を這う虫を殺生しないように、夏場は外を出歩かないで、一か所に留まって生活する期間のこと。
まあ、殺生戒とは付け足しで、本当のところは身体を休める夏休みといったところだろう。
しかし、夏安居に饂飩供養とはしゃれている。
いゃ~食った食った。

夏安居に冷やしうどんの供養なり   素閑


今日のおかず。

2017-06-08 22:31:16 | お惣菜

なんか6月に入ってだらけてしまった。
オカブ商会は5月末決算なので、本来この時期は財務・経理に大童なはずなのだが、どうもやる気が出ない。
そんなことで、ぐーたらぐーたら毎日を過ごしている。
営業活動も、そろそろ夏枯れの時期だ。
そういうオカブを見かねて、かーたんが晩御飯に御馳走を作ってくれた。
チキンと鯛のポワレ、野菜添えと言えばいいか?
とにかく一皿の盛り合わせ料理だが、見栄えは豪華だ。
大変美味しくいただく。
大変美味しくいただいた後は、お腹がくちくなって眠くなってグースカグースカ。
こんなことでいいのだろうか?

入梅や大儀な身をばひきずりて   素閑


初鮎。

2017-05-13 22:08:59 | お惣菜

かーたんが、晩のおかずのことを考えると憂鬱になるという。
オカブにしてみれば、今日の晩は何を作って食おうか、などと考えるだけでワクワクしてくると思うのだが不思議だ。
午後、かーたんは西友に買い物に行って、初物の鮎を買ってきた。
安かったからとのことだった。
オカブとしては、鮎はまだ早いのではないかと思ったが、どうせ養殖ものである。
オカブが仕事をしている間に、鮎は焼き上がり食卓に。
鮎は、養殖ものにしては美味かった。
亡き先代の辻留主人、辻嘉一翁に言わせると、鮎を上品ぶって食ってはその真髄が味わえないのであって、本当の美味求真の喰い方は、尾と鰭を折り取って、尾から口に丸ごとくわえて、歯で身と骨とをしごき取って食うのがいいそうだ。これは豪快で美味そうな食い方だ。
しかし、オカブはその上を行っている。
頭からガリガリと骨も鰭も丸ごと齧って食ってしまう。これが一番美味い食い方だと思っている。
ちょっと時期の早い鮎だったが、食事には至極満足だった。

鮎の宿妻と二人の留守番や   素閑


饂飩供養

2017-05-12 14:30:44 | お惣菜

毎回、食い物ネタで済みません。
昼食に何を食うかで思案した。
昨日の晩はダイエットの目的で軽いものしか食べていない。
そもそも、昼食はダイエットのために食わないのが、オカブのポリシーだった。
しかし、そのダイエットの果ての小食ゆえに腹が減って腹が減って仕方がない。
特に、炭水化物に飢えている。
そこで、饂飩でも茹でて食おうということになった。
饂飩も、この腹の減り具合では半端な量では、腹が収まらない。
そこで、今日は「饂飩供養」にすることにする。
「饂飩供養」って、なんのことじゃい?と怪訝に思われる読者の方も多いと思うが、これは禅家で催される行事で、なにかの節目に、饂飩を修行僧に振舞って、彼らを供養するというもの。今日は、オカブが自分を供養することになる。
「饂飩供養」の日は、饂飩が食い放題になるので、普段、粗食、しかも命をつなぐだけの量の食事で耐えてきた修行僧は、目の色を変えて、饂飩を貪り食うそうだ。
道元の「典座教訓」に、中国に渡った道元が、阿育王山の典座(調理係)の僧と面談する場面が出てくる。僧は、端午の節句に大衆の僧を接待するために、麺汁(饂飩)を作ろうと思ったのだが、生憎、椎茸を切らせてしまった。寧波に日本の椎茸船が着いたというのを聞いたので、はるばるやってきたという。道元はこの僧の学識と気高さに感銘を受け、もっと禅について語り明かしたいと思ったが、僧は用事を済ませると、荷物をまとめ、さっさと帰ろうとする。道元は、食事の世話など雑事は置いておいて、禅の本道について問答しないかと、僧に留まることを乞う。そこで、僧は日本からの若い留学生よ。あなたは弁道(禅の本質)のなんたるかを理解していないと、呵々大笑して去る。道元は冷や水三斗を浴びせられたように、僧の言ったことを心に刻むというくだりである。
饂飩のことで道がそれたが、このように由緒正しい饂飩であるが、オカブは生活良品の「讃岐うどん」(1パック158円)を4束茹で、ヤマサの昆布汁に浸して、豚のように食らった。
ちなみに道元の頃の饂飩は、今のような細長いものではなく、ワンタンのようなものであったという。
饂飩は美味かった。

卯の花や功徳のあらむ施主となり   素閑