エッセイともコラムともつかぬ駄文と、駄句を並べて書いている。
しかし散文と韻文を同時に書くというのは頭の切り替えが難しい。
ちょっと、この二つは異なる思考回路を必要とする。
ただ、共通するのはオカブの書くエッセイと俳句はどちらも取るに足らぬ詰まらんものと言うだけである。
せめて俳句は歴代の名匠の足下くらいには及びたいものだが、これもままならぬ。
フランスの貧乏詩人のように、ただ悶々とシラブルを数えているのみである。
冬の闇もちづきうつす芥川 素閑
冬川やあしたに雀飛びわたる 素閑
冬川やよどめる工場街なりき 素閑
労働旗冬川わたる人の群れ 素閑
冬川や八百八橋水たいら 素閑
冬川やもやえる舟の底浅し 素閑
柴焼ける堤の広き冬の川 素閑
山路来て水のほそまる冬の川 素閑
冬川や遊ぶ子もなくただよどみ 素閑
けふは冬かわのみづものしづけさや 素閑