昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

世田谷パブリックシアター・フリーステージ2015を観てきた。

2015-04-29 22:53:36 | アート

かーたんの高校時代の同級生Nさんが出演するので『世田谷パブリックシアター・フリーステージ2015』を観に行った。
この催しは毎年、GWに三軒茶屋のキャロット・タワーのパブリック・シアターとシアター・トラムで催されている恒例の物。Nさんも10年近く連続で出演しているので、毎年4月29日には予定を入れている。
しかし、Nさんには恐縮であるが、この日のお目当ては、カンツォーネの東直彦氏。このお方の歌唱を聴かないと連休が来た気がしない。
さすが、東氏、期待を裏切らない奇抜な衣装と、迷歌唱?で観客席を湧かせてくれた。
東氏もこの催しが始まった初年から連続出場なのではないか?
Nさんはピアノ伴奏を入れたクァルテットで「マイフェアレディ」の縮小版(10分ほどだが)を名演。さすが音大のディプロマコースの修了生らしく素人芸の披露の多い中で本格的な歌唱を聴かせてくれた。
舞台が跳ねて、三茶三叉路の「ジョリ・パスタ」でディナー。
ここなら安いだろうと、メニューにある料理を片っ端から注文したら、支払いは6,000円近くになっていた。
ちなみに『ジョリ・パスタ』は悪名高い「すき家」のゼンショーグループの経営。
店内のパネルにはフェア・トレードを推進しているとPRしていたが、従業員を使い倒してフェア・トレードと言ってもねえ・・・
しかし、料理は美味く鯨飲馬食した。
パンパンのお腹を抱えて茶沢通りを歩いてご帰館。

暮れ星のまばたき天皇誕生日   素閑

        

         

         

                


目黒天空庭園に行ってきた。

2015-04-26 22:51:23 | まち歩き

目黒天空庭園に行ってきた。
前日がかーたんがコンサートで一日居なかったので、日曜の午後、お散歩と洒落込んだわけだ。
かーたんが教会から帰ってくるのを待って、家から北澤川緑道をたどる。
緑道の花壇には、それこそ百花繚乱、いろいろな花が咲き誇っている。普通に通り過ぎてしまっては、何という光景でもないのだが、注意して観ていくと、その美しさに圧倒される。そんな花々をカメラに収めながら、ゆっくりと歩を進めていく。 やがて三菱電機の工場脇、三菱東京UFJ銀行の計算センターの裏を抜けて、246の池尻大橋へ。
歩道橋に続く家具屋さんのビルのエレベーターで上階へ。歩道橋を渡り対岸へ。ここから天空庭園は始まる。この「天空庭園」というのは、首都高のジャンクションが新設されたのを機に、古いジャンクションを利用して造成された、まったく新しい発想とコンセプトの公園。お役人としてはいい仕事をしたものだ。
頂上近くのベンチに陣取って、お弁当をぱくつき、ビールを飲む。抜けるような青空のもとなかなかいい気分だ。
小一時間過ごし、帰路へ。
かーたんが甘いものが食べたいというので、大橋の「エクセルシオール・カフェ」へ。かーたんはケーキ・セットの、イチゴのクリームケーキ、オカブはノンカフェのコーヒーがあったのでノンカフェのカフェラテ。オカブのような不眠症患者にとっては、外出先にノンカフェがあるとありがたい。しかしヨーロッパのカフェやレストランでは常識なのだが。
帰りは疲れで重い足を引きずって、5時過ぎにご帰館。

花は盛り儚くも咲け春果てぬ   素閑 

        

        

        

        

        

        

   246池尻側にある歩道橋に昇るエレベータ               歩道橋から見た天空庭

        
   歩道橋を渡り高速道路の下を抜けて                  天空庭園に出た

        

        

        
    

 




ゴージャスなディナー(サイゼリヤ)

2015-04-25 23:36:42 | グルメ

かーたんがコンサートの出演で帰りが遅くなった。
夕飯が作れないから外食しようということになった。
どこに行くか??清水の舞台から飛び込んだつもりになって、下北沢の『サイゼリヤ』に行くことになった。
非常にゴージャスなディナーである。
ゴージャスなディナーであるから、前菜もとった。モッツァレラチーズとトマト、サラミ、グリーンサラダである。ゴージャスだからパスタはペペロンチーノのダブルとナポリタン。さらにゴージャスにドルチェもとった。アイスティラミスとプリンである。飲み物は2015年亀戸工場産のキリン一番搾りをジョッキで。
ゴージャスなレストランだから左隣のテーブルでは高校生がドリンクバーだけで宿題をやっていて、後半は疲れてテーブルに突っ伏して寝ている。さらに右隣のテーブルは脱ゆとりのJKがスマホを操りながら高貴な会話を交わしている。
ゴージャスな食事の支払いは二人で3953円ほど。高級レストランだからお釣りに細かい端数がついてくる。良心的な経営だからチップはなし。
大変な散財をした。

繁華街人並み流れ夏近し   素閑

            


                

               

                            

 


あるブログを見て。

2015-04-23 21:05:14 | 日記・エッセイ・コラム

ある調べごとをしていたら、下のようなブログに行き当たった。

 <40代独女のブスログ・・・でも謙虚で笑顔で前向きに>

まさに目から鱗である。
いままでほとんど他人様のブログなど読んだことがなかった。読んでも政治・時事問題ブログを数本ほど。
こんなに、簡潔で、しかも「面白い」ブログなど読んだことはなかった。
なるほど、ごちゃごちゃ小難しいことを書いても誰も読んでくれないわけである。
行間を空けて、簡潔に、面白くである。
もとより、当ブログは他人様に読んでいただけることを眼目にしていなかった。HPの日記を出発点としていたから。
しかし、広告がうざいのでNTTにオプション料金を払ったら、読者履歴の解析も自動的についてきたので、その日どれだけアクセスがあったかも一目でわかる。これは気になる。
そこで当ブログも若干の方針転換をして少しは笑ネタを取るようにしたいなあ、などと考える。 

さて、冒頭に挙げたブログの管理人様についてであるが、ハイミスでブスで貧乏で仕事に無能なことを自己韜晦しておられる。
しかし、オカブはブスは大好きである。美人は観ているだけでよろしい。大抵そういう美人は退屈な人物である場合が多い。それよりも趣のあるブスの方が数段良いことか。かーたんもどちらかというと「ブス」の部類に入るが「趣のある」ブスであるから、毎日、顔を合わせていても楽しい。
しかし、ブスが高貴で気高く生きることは難しい。オカブも昔、思春期の頃は、女はウン〇をしない生き物であると思っていた。レストランのランチしか食わず、丼飯など食わないものかと思っていた。しかし、やがて時が経ち世の中を知るに従って、かなり現実的で、面倒臭い存在であることを知ることになる。ましてや、ブスをやはである。ブス諸子はブスであることをなんら恥じることはないが、珍重されるなるブスになるよう努力しなければならん。
昔、マーク・トゥエインが言った。 「女を擁護することはたやすい。しかしおちょくっていた方が数倍楽しい」けだし至言である。ブス諸子も心して噛みしめるべき言葉である。

一方、自分についてであるが、ハゲでデブで醜男で臭くって甲斐性なし、との罵倒を浴びることをもとより覚悟している。

藤の花春爛れたり陽はたかし   素閑

     
 





浄化されたドストエフスキー『罪と罰』

2015-04-22 12:09:59 | アート・文化

『罪と罰』というドストエフスキーの小説のタイトルを知らない人は少ないだろう。
しかし、それを完読したという人も、また少ないだろう。
オカブも冒頭と終わりの部分しか読んでいない。
一体、ドストエフスキーという作家の作品は極めて昏い上に文章が晦渋を極めているので、名作の名をほしいままにしていながら、読者に敬遠されている。
しかし、数十年前に読んだ記憶をたどれば、冒頭の、暑さの坩堝の底の夏のサンクト・ペテルブルグの描写や、主人公、ラスコーリニコフの殺人を犯さねばならないという偏執狂的な妄想に駆られる場面ががまざまざと思い起こされる。この冒頭はカミユも影響を受けたことであろう。ペテルブルグの夏とオランの夏を比べてみると両者の呪われた主人公の背景を成す舞台装置の共通性が見られる。
ラスコーリニコフには全くの人間的な希望から突き放された、ただ観念の上での自己の指向するところのものを成し遂げようとする、「孤独者」の姿がある。
ラスコーリニコフは自己の偏執を実行し、金貸しの老婆を殺害する。しかし、その行為とラスコーリニコフには逃れえない「罪」が覆いかぶさってくる。
カフカなら、彼は絶望的な虚無の中で死ぬか、不条理のただ中に埋没する小説の最後を用意するのであろうが、ドストエフスキーは作品を絶望では終わらせなかった。
この膨大な小説の進行を語ることはできないが、小説の最後の部分でラスコーリニコフが犯行を自供し自首して、判決を受けシベリアに徒刑に出発しようとするところ・・・・これまでラスコーリニコフの支えとなってきた貧しい娼婦のソーニャとの別れと新生への誓いがこの小説の結論を象徴している。
ここには、絶対的な何者かによる救済の手が差し伸べられており、作品の最後に希望の兆しを垣間見ることが出来る。それは神ともいえるし神以外の何かともいえる。
読者である私たちはこの結末を読んで何がしかの救いを得るのである。
ドストエフスキーがこの小説を絶望によって終わらせなかったところに、彼の「希望」に賭ける想いと、「救済」への信頼、そして、それらのものがあるが故に、作品をシニカルな日常の中に置くのではなく、昏い暗鬱とした空気の非日常性に包ませて、わずかな光明に縋る「希望」と「救済」の偉大さを浮き彫りにしていると言えよう。
ここにドストエフスキーがもたらす魂の浄化がある。

春愁や明るき陽のさす町の辺で   素閑 

          


シスレーが好きだ。

2015-04-22 10:03:17 | アート

オカブは絵画に関しては、ロマン派ではドイツロマン派を、印象派はもちろんフランス印象派を好む。
絵画でフランスロマン派が好きになれないのはそれが、表面的な「ドラマティック」を描くだけで、内面性の深い、魂のロマンとは程遠いからだ。 
それはC.Dフリードリヒとドラクロワの対比を見れば明らかだ。
その点、フランス印象派は、外面的な風景の光や、面やマッスに落ちる明るさ、人物や生物、風景の立体的公正に心を砕き、明るい近代的な、ペダンティックな表出とは全く縁がない一団のように見える。 
しかし印象派の中にも、外面的な視覚の認識の裏に、深遠な内面性をたたえた画家がいることを忘れてはならないだろう。これらの画家の範疇に入ると思われるピサロ、シスレー、サージェント、モネ、マネの中で、オカブが最も好きなのはアルフレッド・シスレーだ。シスレーは英国生まれの英国人で、画家としてパリで活躍したが晩年は恵まれず、装飾画などを描いて生活を支えたという。
ピサロは友人に送った手紙の中でシスレーに触れている。
「シスレーは病床に伏しているということです。彼は私の知る限り最も偉大な画家です。特に『洪水』は傑作です。」
ピサロの言うように『ポール・マルリーの洪水』の連作をはじめ数々の名作を残した画家はひっそりとこの世を去った。
シスレーは現代でも過小評価されている。惜しいことだと思う。

学校の娘勤めの鞦韆や   素閑 

          

 


Telemann Fantasies 12 Flute Solo #10

2015-04-22 09:59:28 | アート

6月のかーたんの音楽発表会で、親父連の飛び入り演奏として、テレマンの12のファンタジーから、10番をやろうと思う。
普段は全く笛に触っていないオカブとしてはなかなかの難曲だが、今から猛特訓である。
この曲はフルートソロ。
かーたんとの伴奏あわせがないだけ好きな時間に練習できる利点がある。
曲目としてもオカブの好きなバロックであるし、オカブにとって難曲と言っても、完璧な演奏を目指さなければ、一般的には易しい部類に入る曲だ。
といっても高音域から低音域までの吹分けや、運指なんかも、オカブにはまだまだで、今から6月までに完成させられるかどうか不安なところがある。
5月末には決算だし忙しい初夏になりそうだ。

金鳳花微風に揺れてクラヴサン   素閑

  <G.P.テレマン フルートソロのための12の幻想曲 10番 嬰ヘ短調 ミナ・ゴブリアル>



サンソン・フランソワのラヴェルとユゲット・ドレイフィスの『フランス組曲』

2015-04-22 06:35:32 | アート

音楽、特にクラシック音楽が好きだ。かーたんの職業柄、門前の小僧になったのは否めない。オペラは良く観る。さすがに本公演を何回も、という訳にはいかないが、知り合いからゲネプロのチケットをもらったり、DVDなどでよく鑑賞する。
自分ではフルートを少しやる。しかし演奏歴は長いがちっともうまくならない。それでもいいと思っている。自分が演奏に苦労しているので、各奏者の演奏を聴いていると、あそこまで行くにはどれだけ大変か分かって、それなりに鑑賞できる。一方で、矛盾するようだが、粗も聞き分ける耳が出来てきた。オカブに言わせれば今のフルート奏者は皆、ヘタッピィーである。
さて、声楽でもフルートでもないがオカブが「神」として尊敬する演奏家が二人いる。ピアノのサンソン・フランソワとチェンバロのユゲット・ドレイフィスだ。オカブに言わせればこれ以外の演奏家は・・・・声楽でもフルートでも・・・カザルスでもホロヴィッツでも塵のようなものだ。
この二人はちょっと「変った」演奏家だ。
フランソワの個性の強さは昔から巷で言われているが、この人はラヴェル以外の曲を弾かせてはいけない。ショパンなどの演奏は噴飯ものだ。
しかし、ラヴェルの曲がこの人の手にかかると、作曲家の得た霊感が、何倍にも膨らんで聴衆の耳に木霊する。
『夜のガスパール』、『ソナチネ』、『水の戯れ』・・・いずれもミューズがこの演奏家に特別な賜物と霊感を与えたかのような演奏だ。
確かに「フランソワ嫌い」の聴衆もいるので何とも言えないが、オカブの中ではこれらの曲はフランソワの演奏が決定盤としたい。
もう一人のドレイフィスはアルザス出身の奏者。一応フランス人であるので、クープランやラモーを得意とするとされている。しかし彼女の演奏するクープランやラモーはいかにも平凡で常識的な演奏だ。
オカブが最も好むドレイフィスの演奏はJ.S.バッハのフランス組曲2番。これはこんなバッハの演奏があったのか、と驚かされる解釈である。しかも、それの完成度が高く、やはりフランソワと同様に、作曲家の得た霊感が何倍にも膨らまされている。
特に「メヌエット」は、ほのやかな憂愁とアンニュイを含んで、荒んだ心を慰めてくれる。何度かの傷心をドレイフィスの演奏によって慰められたことか。
オカブが『フランス組曲』の演奏を聴いたのがドレイフィスが最初だったこともあるが、その後、ヴァルヒャの演奏を聴いて、それが、なんと無機的で機械的で無味乾燥な解釈なのかと思った。
世間の注目度は低いが素晴らしい演奏家の二人だ。

庭の花数えて惜しむ行ける春   素閑 

             


ある日の土曜日

2015-04-19 14:55:00 | 日記・エッセイ・コラム

かーたんが今日どうしても郵便物を出さなければならない、というので昼前に本局である三軒茶屋の世田谷郵便局に出かけた。
太子堂から三軒茶屋は、暖かい好天の週末ということで、人で賑わっていた。
洋服屋などを冷やかす。
三茶に着いた頃、ちょうど昼時で、お腹が空いたので、すずらん通りの『南欧肴や きゃんどる』でブランチ。
1,000円也のAランチセット。 それにオカブは790円也のレーベンブロイの大ジョッキ。
『きゃんどる』の日替わりランチは手ごろなお値段と美味しいお味でいつもお世話になっている。
ランチだけだと900円だが100円増しでセットにするとアペタイザーと珈琲がつく。
今日のメニューは地鶏のロティと魚のポワレ。地鶏が柔らかく料理されソースも大変美味しかった。
オカブは昼からビールというのは人前に憚られるが、これだけが楽しみなのでやめられない。
さて、お腹が満たされ、本題の本局へ。
かーたんが途中で『しまむら』へ寄っていきたいと言ったが、ここで本格的に買い物をしだしたら時間的に泥沼になるので却下。
無事封書をだし、ご帰館。
こんな他愛もないことをオカブがブログに書いているのは自分なりの備忘録のため。
ただしお付き合いいただいて、お読みくださっている人々には大いに感謝。
春の日のひと時であった。

春更けて妻のうなじの後れ毛や   素閑 

         

               

        


下北沢『かつ良』で夕食

2015-04-17 23:08:48 | グルメ

かーたんが晩御飯を作るのが面倒臭くなった、というので外食することにする。
さて、どこへ行くか?日高屋という案も出たが、ちょっと物足りない。さりとて家計の事情により寿司という訳にもいかない。
そこで下北沢のトンカツや『かつ良』に行くことにした。
6時半頃店に行くと大分混んでいる。席に着くまで10分ほど待たされた。待った挙句、席はカウンター。混んでいるからいいことにしようか。 
まずはビール。生大ジョッキ750円也。安っ!
ここの店は、韓国料理で言うところのいわゆる「ミッバンジャン」という形に近いお通しが出る。それをつまみにビールを飲む。
注文は清水の舞台から飛び降りたつもりになって、特ヒレ定食(かーたん)と特ロース定食(オカブ)ということに相成った。後が怖いがここはけちけちせずに・・・・
料理を待っていると、芋と肉の旨煮の小鉢が出た。特別定食に付くものという。ありがたくいただいてビールを飲む。
待つこと20分。揚げたてのカツが来た。
初めはカツをつまみにビール。飲み干して大もうお一杯お代わり。
特上のカツは舌にとろけるような美味だ。
半分ほど残ったカツで赤だし味噌汁とご飯。
終盤は満腹で動けなくなるほど。
美味い物をよく食った。

薄明り巷をめぐり春の宵   素閑