昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

悲しみを乗り越えて発表会

2010-06-27 09:13:00 | アート・文化

かーたんの主宰する音楽教室の発表会があった。

ジロの死からまだ2日。悲しみを癒えないが、ジロの思いを胸に秘めながら、悲しみを乗り越えてかーたんと発表会に臨んだ。幸い梅雨の合間の雨のない高曇りの天気。8時過ぎに、発表会で使う機材やらピアノの椅子やら、ギブアウェイやらをタクシーに詰め込んで、上野毛の『中町ふれあいホール』に向かった。午前中、会場の設営を終えて、子供の生徒さんがリハーサルに集まってくる。『中町ふれあいホール』は交通の便は悪いが、手ごろな広さと、希望した日に必ず予約が取れるのと、広い和室が、休憩室兼食事どころとして使えるのと、そして何より料金が安いので、毎年ここを発表会場に使っている。以前は、下北沢の『北沢タウンホール』を会場に使ったこともあったが、交通至便という点のほかは、上記に掲げた条件にことごとく反するので、5年前に会場の候補からはずした。

13時半から本番。司会はいつもお馴染みのかーたんの高校時代の同級生のDさん。あどけない幼稚園生からスタートだ。ピアノと歌の演奏。とても可愛い。そして、前半のトリを二人で勤めたのが小3の期待の星のお二人さん。一人はドビュッシーの『ゴリウォーグのケーク・ウォーク』とラベルの『マ・メール・ロワ』。もう一人の子は新調の燕尾服で登場。モーツァルトの『6つのウィーン・ソナチネ』。二人ともとても子供とは思えない聴き応えのある高度な演奏だった。

オカブもフルートで出演。今年は難曲は避けてグルックの『精霊の踊り』。演奏中にジロの好奇心旺盛な人の顔を覗き込むようなしぐさが頭をよぎる。

かーたんの講師演奏は2曲ともヘンデルの曲でオペラ『セルセ』より『オンブラ・マイ・フ』とオラトリオ『メサイア』より『リジョイス・グレートリー・ドウター・オブ・シオン』久々にバロックのソプラノ独唱だった。集合写真の後スタッフの皆さんが手伝っていただいて会場の撤収。タクシーで帰宅したのは18時前だった。ジロもかーたんの発表会の成功を喜んでくれたことだろう。

                 ピアノ弾く子に花束の百合の香よ     素閑

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猫の死

2010-06-25 18:50:18 | 悩み

今日、飼い猫のジロが死んだ。

あまりに急なことなので、ただただ、目の前の事実に泣きくれるばかりで、心の整理ができないままにいる。

かーたんとエルさんの話によると、いつもの猫缶とカリカリの朝食をとらせた直後、餌を吐いて、昏倒したという。すぐに近くの獣医に駆け込んで心臓マッサージ等できうる限りの処置をとってもらったが助からなかった。獣医から遺体を引き取ってきたかーたんからそのことを聞かされ、思わず号泣した。思えば、2006年のクリスマスの日、天涯の孤児のムギとジロの姉弟を猫の里親ボランティアの建具屋さんから引き取って、家族同然に育ててきた。ジロは楽しいやつだった。ひょうきんなやつだった。猫はもとよりツンデレだが、本当にジロとムギは私たち家族のうちで愛情が通い合っていた。ジロを囲んで家族には笑いが絶えなかった。もらわれてきてから今までの数々のジロの思い出が尽きない。花を買ってきて遺体を覆ってやり、涙にまみれるかーたんとエルさんとオカブでお弔いをしてやった。それぞれが追悼の祈りを捧げ、みんなで讃美歌を歌った。まだクリスチャンではないエルさんも、思いのたけをぶつけて神様に祈った。たかが猫のことぐらいでと言うなかれ。かーたんとオカブにとってはジロは息子、エルさんにとっては可愛い弟だったのだから。そしてジョットの『小鳥に説教するサン・フランチェスコ』の画もあるではないか。この際、愛するものの人間と動物との違いはないに等しい。2時過ぎに区役所の人が遺体を引き取りに来た。お別れである。棺代わりの段ボール箱を花で埋め、エルさんの描いたジロの画と、聖句カードを入れてやった。われわれは、ジロのことを天に召されたと、ためらいもなく語った。そして神の祝福を祈った。ただ一匹残されたムギのこれからの守りを祈った。人間の逝去のときとなんら変わりはない。人間中心的なキリスト教的に教義に適って正しいかはわからない。たぶん、正しくないのであろう。しかし、このとき私たち家族の中で、根源的な信仰へ向かう心が一つになって、究極的に素朴な、本当に素朴な恩寵を希求する意思が生まれたことは確かである。

大学で児童教育を専攻するエルさんにとっては、死生観を学ぶよい機会になったとは思うが、今はそんなことをあれこれ考える余裕などはない。ただただ、ジロが主の御許に還り、祝福を享け天に在ることを願うばかりであった。

何を書いているか意を尽くせない。いまはただただ猫のことで悲しみの中にある。

 

ジロ。享年5歳。

 

    猫逝きぬ梅雨の晴れ間の讃美歌や     素閑

 

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決算と鮎

2010-06-15 11:45:00 | 日記・エッセイ・コラム

オカブ商会の会計年度は、5月が年度末。したがってこの6月は決算でてんてこ舞いの月である。特に昨年、株式会社化したので、法定で作らなければならない帳簿や、決算書、申告書の類のボリュームは個人商店のときと比べ物にならない。ようやく昨日、帳簿を整理して、数字の帳尻を合わせ、BS、P/L、そして株主資本等変動計算書を作った。といっても、基本的にオカブ商会はモノとしての商品(棚卸資産)を仕入れているわけでもないし、銀行から借金しているわけでもないし(もっともこんな会社に金を貸してくれる金融機関があればこその話だが)、従業員がたくさんいるわけでもないし、商売繁盛で取引件数が鰻上りというわけでもないし、土地、建物も機械ももっているわけでもないので、なんつーか会計処理はいたって単純である。だから、決算といってもしっかりした元帳が出来上がればそれで8割がたは終わったようなものだ。結論から言うと、前年度はちょっとした赤字。黒字にならないのは痛いが、税金を払わなくて済むのでありがたい。青色申告法人だから赤字分は今年度に繰り越せるし、なんやかんやで特典があって、非常にありがたい。こんなに優遇されていていいのかと疑問に思うくらいである。しかしオカブ商会は社会的インフラを大規模に利用させてもらっているわけでもないし、まあこれくらいは当然と納得。あとは申告書を書くだけである。これも赤字で所得がなく法人税は無税だから、いたって単純。しかしこんな状態に安穏とはしていられない。会社というものがどんなに儲からなくても、給料をくれて、いつまでも存続してくれるものなら、貧乏暮らしも我慢できるのだが・・・・今年度は前年度と違って初期投資もなく、有利な条件でのスタートだし、飛躍の年としたい。決算が終われば、新しい事業計画の立案である。決算に目処が付いたので、打ち上げにご馳走を食おうと、かーたんがオオゼキで4匹500円の鮎を買ってきてくれた。今年の初鮎である。かーたんが料理してくれた。美味かった。しかし、本来経営者たるものこういうものは築地あたりの料亭で食うべきものであろう。そうできるように頑張るぞ~。

 

   雨空を見上げて鮎に古妻や     素閑

 

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