昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

またまた『きゃんどる』でランチ

2017-05-28 22:32:52 | グルメ

日曜である。
教会に行き、礼拝にウツラウツラ出、会計を済ませてかーたんと食事に出た。
またまた、『きゃんどる』にランチに来た。
本当に、このお店のAランチ(900円・珈琲とサラダがついて1,000円)はお値打ちものです。
もちろん、かーたんと来た。
1,000円のAランチにした。
ローストポークとマトウダイのポワレがメイン。
大変美味かった。
三茶すずらん通りの『きゃんどる』は最高にいい店。


麦秋の街は赤青緑かな   素閑

 


少子高齢化と女性の社会進出

2017-05-27 22:43:08 | 社会

かーたんもエルさんも子供と深いかかわりのある仕事をしている。
だから、昨今の子供や家庭を取り巻く環境には敏感だ。
さて、少子高齢化が叫ばれて久しい。
この問題には、社会保障費の増大、労働力の不足などといった弊害が指摘されるが、少子化だから人手不足になり経済が衰退する、という理屈だったら、今の政府・行政の施策は笑止千万である。
労働力不足→女性の戦力化という図式は、少子化をますます助長することは論を待たない。
女性がフルタイムの労働力となるには、当然、女性の高学歴化が必然となり、結婚年齢が高くなる。
当然、少子化である。
また、既に問題になりすぎている保育園不足などの、子育てのためのインフラの貧困さも、夫婦が子供を作ることを躊躇わせる。
これも、当然少子化である。
さらに、賃金の上昇カーヴが緩慢になり、若い夫婦は将来のために早期から貯蓄に励まなくなる一方で、生活水準への欲求は昔よりも格段に高くなり、そこに社会保障の不安による、子作りに対する心理的抵抗が増加する。
このような循環を見ていると、社会全体で、子供を産むな!と脅しをかけているようにしか見えない。
安心して子供を産み育てる環境の条件は、男性労働者の賃金のアップと賃金の上昇の先鋭化、雇用の保障、専業主婦の優遇、子育てのためのインフラの充実が求められる。
一方で、家庭の側も、子育て時期には奢偧な生活の抑制などが求められる。
昔のように6畳一間のアパート住まいで2人も3人も子供を育てていても、将来に夢のある社会。そういうものが求められている。
早急に「男女共同参画」など止めるべきである。女性が輝く社会=女性がフルタイムで働く社会、では決してない。
今日は、三茶の『お山のすぎの子』へかーたんと行った。
エルさんがお世話になった、マスターや女将さんやチーフに挨拶をかわし、大変厚いもてなしを受けた。
この『お山のすぎの子』は三茶の特筆すべき名店である。

土曜日の半そでシャツの心地よき   素閑




日曜日かーたんと『きゃんどる』で・・・・

2017-05-21 16:39:10 | 社会

日曜日。
当然、教会に行く。
礼拝を済ませ、会計処理を済ませ、かーたんと、いつもの三茶・すずらん通りの『きゃんどる』にランチに行く。
エルさんは、昨日の土曜日は土曜授業で深夜残業。今日は後で聞くと昼近くまで寝ていたということだが、その後、学校の書類作成、テストの丸付けなど。
この子は、見ていると丸々一日休みの日は、夏期休暇、冬期休暇の間の年にほんの数日だ。
本当によく働く。
ところで、『アゴラ』に中沢良一という元小学校教諭の人がちきりんさんも見誤る学校教育がダメなほんとうの理由。と題して小論考を載せているので読んでみた。
結論は、まさに学校とは「効率」の悪いところであり、逆に学校とは「効率」の悪いことに耐えるためにあるということにある、というふうにオカブは読んだ。
ここでは、「効率の阻害」は学校運営上での課題か?学力教育・学力向上の上での課題か?そもそも「効率の重要性」を児童に教育することを阻害しているという意味での課題か?言い換えれば、書類作業などの教育以外の公務分掌が効率を阻害している・あるいは教員の事務能力の低さが効率を阻害している?今の授業方法では学力の向上のために効率的ではない。児童に、いかに効率が重要であるかということを教えることを避けているという点に関して混同がみられるが、取り敢えずは、三者が同じく、学校現場での効率を阻害しているととらえることができる。
「効率」を「生産性」という言葉に置き換えると一般の方にも分かり易い。
オカブも数年前、エルさんが初任の頃、今と同じく、早朝から深夜まで、休日もなく働いているのを見て、なんでこんなことまでしなくてはならないのか?と学校の無理・無駄を目の当たりにしてきた。
だから、中沢氏の学校は「生産性」を損ねている、という論考には肯けるところがある。
しかし、一方で、一般営利企業における旧来の「生産性」の概念への疑問も古くから投げかけられている。
言うまでもなく「生産性」とは、インプットを極小に、かつアウトプットを極大にすることが、生産を営む組織目標を最適にするプロセスであるとする概念である。しかし、近来のテクノロジーの高度化と、右肩上がりの成長の鈍化、日本的経営においてルーティンなブルーワーカーとクリエイティブな知的労働者との垣根が低くなりつつあること、さらにはあらゆる新規参入と参入手段の多様化などによる競争の激化により、「インプットを極小化」して競争に勝てるか、疑問が呈され、それが一般化している。それが、社会全般において健全かどうかはさておき、「インプットを極小化しては、アウトプットを極大化できない」というのが、今日の一般的経営上の通念である。
さらには、公教育という現場に「生産性」という運用原理を持ち込んでいいかも疑問だ。小学生の子供は、いうまでもなく多様な将来がある。その中には、生産性に馴染まない職業に就く子もいるだろう。では、そういう子は「ムダ」な子なのか?言うまでもなく、そうではない。
また、エルさんを見ているとわかるが、現在の初等教育現場は、一律に画一的な授業をこなしていれば事足りるものではなく、一人一人の教師が一コマ一コマの授業を、創意工夫し知恵を絞って、学習指導要領に付加価値をつけていくことを要求される。こうした努力は、教員の労働条件を悪化させ、長時間労働や休日出勤を余儀なくさせている一面もあるが、意欲ある教員は、そこに自らの「働き甲斐」を見出して積極的に取り組み、それによって学校現場が支えられている一面もある。
もちろん、学校現場にはびこっている官僚的・繁文縟礼的な因習に起因する無理・無駄は徹底的に排除しなければならないが、もはや経営理論としても陳腐な「生産性」の概念を公教育現場に持ち込もうということが誤りなのであり、中沢氏の論考は皮相的との誹りを免れ得ないであろう。
今の学校の現状を肯定することはできないが、中沢氏は、かつて自らが勤務していた職場の労働環境の悪さに目が行くあまり、公教育の問題の本質を見誤っているように思える。
それと、教員の労働条件の改善、適正な教育予算の確保は、また別の問題である。
こんなことを考え、かーたんと語りながら、『きゃんどる』のご馳走を食べた。


化粧落ち薄暑の妻の愚痴あまた   素閑




朝ビール

2017-05-20 07:05:14 | お酒

徹夜明けである。
7時過ぎまで頑張った。
これから床に入るのだが、眠れそうにない。
アルコールがほしい。ただ、それほど強いものは駄目である。
ビールにした。
麒麟一番搾りスタウトである。要は黒ビール。
これは、麦芽の焙煎味が薄くて、黒ビールを飲んでいるような気がしない。
黒ビールではドイツのデュンケル『ケーニッヒ・ルードヴィッヒ』というのが、一番好きだ。
朝ビールを一気に飲み干し、これから寝ます。
お休みなさい。

急く仕事三社祭の徹夜明け   素閑

                           『ケーニッヒ・ルードヴィッヒ』ウィーンのビア・カフェ『クラークラー』にて・・・


三茶『きゃんどる』で、かーたんと語り合った。

2017-05-14 15:22:47 | グルメ

日曜日、当然のことのように教会へ行く。
会計処理を済ませて、教会学校の教師会に出ていたかーたんと、三茶のすずらん通りの『きゃんどる』にランチに行く。
オーダーはいつものAランチ、サラダ・珈琲セット。オカブは生ビールをジョッキで。
メインはチキンの小悪魔風と、スズキのポワレ。
このAランチセットがなんと1,000円!
ほんとにいい店です。
食後の珈琲を飲んでいると、ママさんからサーヴィスのプチフールをもらった。
ますますいい店です!
5月末がオカブ商会の決算なので、ここで、かーたんと決算内容のことなどについて報告した。溜息!
また、激務に耐えて、教職を自分の天職と思い、頑張っているエルさんのこと。
教会の今後と当面の課題など。
すべてが、心躍るような内容ではないが、かーたんにしか話せないような事柄もある。
また愚痴めいたことは、かーたんにぶつけられる。
かーたんがいつも言うのに、私はゴミダメなの?というのがあるが、そうです、あなたは愚痴、ボヤキのはけ口のゴミダメです。
西友で、晩のおかずを買って帰宅した。

教会で葵祭の様話し   素閑

 

 

 





初鮎。

2017-05-13 22:08:59 | お惣菜

かーたんが、晩のおかずのことを考えると憂鬱になるという。
オカブにしてみれば、今日の晩は何を作って食おうか、などと考えるだけでワクワクしてくると思うのだが不思議だ。
午後、かーたんは西友に買い物に行って、初物の鮎を買ってきた。
安かったからとのことだった。
オカブとしては、鮎はまだ早いのではないかと思ったが、どうせ養殖ものである。
オカブが仕事をしている間に、鮎は焼き上がり食卓に。
鮎は、養殖ものにしては美味かった。
亡き先代の辻留主人、辻嘉一翁に言わせると、鮎を上品ぶって食ってはその真髄が味わえないのであって、本当の美味求真の喰い方は、尾と鰭を折り取って、尾から口に丸ごとくわえて、歯で身と骨とをしごき取って食うのがいいそうだ。これは豪快で美味そうな食い方だ。
しかし、オカブはその上を行っている。
頭からガリガリと骨も鰭も丸ごと齧って食ってしまう。これが一番美味い食い方だと思っている。
ちょっと時期の早い鮎だったが、食事には至極満足だった。

鮎の宿妻と二人の留守番や   素閑


饂飩供養

2017-05-12 14:30:44 | お惣菜

毎回、食い物ネタで済みません。
昼食に何を食うかで思案した。
昨日の晩はダイエットの目的で軽いものしか食べていない。
そもそも、昼食はダイエットのために食わないのが、オカブのポリシーだった。
しかし、そのダイエットの果ての小食ゆえに腹が減って腹が減って仕方がない。
特に、炭水化物に飢えている。
そこで、饂飩でも茹でて食おうということになった。
饂飩も、この腹の減り具合では半端な量では、腹が収まらない。
そこで、今日は「饂飩供養」にすることにする。
「饂飩供養」って、なんのことじゃい?と怪訝に思われる読者の方も多いと思うが、これは禅家で催される行事で、なにかの節目に、饂飩を修行僧に振舞って、彼らを供養するというもの。今日は、オカブが自分を供養することになる。
「饂飩供養」の日は、饂飩が食い放題になるので、普段、粗食、しかも命をつなぐだけの量の食事で耐えてきた修行僧は、目の色を変えて、饂飩を貪り食うそうだ。
道元の「典座教訓」に、中国に渡った道元が、阿育王山の典座(調理係)の僧と面談する場面が出てくる。僧は、端午の節句に大衆の僧を接待するために、麺汁(饂飩)を作ろうと思ったのだが、生憎、椎茸を切らせてしまった。寧波に日本の椎茸船が着いたというのを聞いたので、はるばるやってきたという。道元はこの僧の学識と気高さに感銘を受け、もっと禅について語り明かしたいと思ったが、僧は用事を済ませると、荷物をまとめ、さっさと帰ろうとする。道元は、食事の世話など雑事は置いておいて、禅の本道について問答しないかと、僧に留まることを乞う。そこで、僧は日本からの若い留学生よ。あなたは弁道(禅の本質)のなんたるかを理解していないと、呵々大笑して去る。道元は冷や水三斗を浴びせられたように、僧の言ったことを心に刻むというくだりである。
饂飩のことで道がそれたが、このように由緒正しい饂飩であるが、オカブは生活良品の「讃岐うどん」(1パック158円)を4束茹で、ヤマサの昆布汁に浸して、豚のように食らった。
ちなみに道元の頃の饂飩は、今のような細長いものではなく、ワンタンのようなものであったという。
饂飩は美味かった。

卯の花や功徳のあらむ施主となり   素閑


今日の晩御飯

2017-05-10 22:18:44 | お惣菜

人間美味しいものは食いたいものである。
しかし、美味しいものは金がかかる。
でも美味しいものは食いたい。
そうしたせめぎ合いの中で、人間は妥協し、あるいは背伸びし、少しでも美味しいものの食卓にあずかっているのである。
今日のご飯は、刺身ブツ(西友で1パック480円)、がんもどきと厚揚げを煮たの、ほうれん草を茹でたの・・・以上である。
まあ、我が家の普段の晩餐としては、かなりなご馳走の部類に入る。
従って、非常に美味かった。
こういうものを食っていれば、別に高級料亭など行かなくても良い。
足るを知る・・・は人間の経済政策の原点である。

虫干しや見れば弊衣ばかりなり   素閑


還暦の祝いをシェ松尾青山サロンで

2017-05-06 23:35:01 | グルメ

今日で60になった。誕生日である。
還暦である。
なにか、キツネにつままれたような感じだ。
まだ、おつむの中は、小学生くらいにつもりでいる。
精神が発達しないまま、肉体だけが老いて、馬齢を重ねたというところか?
まあ、そうは言っても、世間的にはめでたいのだろう。
かーたんと娘も祝いをしてくれるという。
そこで、オカブの希望として、『シェ松尾青山サロン』にて、ということになった。
よくも、飽きもせずだが、手近で手頃なレストランと言ったらここくらいしかない。
5時過ぎにかーたんと家を出、渋谷へバスで。
バスでフレンチレストランに出かけるというのがオカブ一家らしいところだ。
エルさんは、昼間、友達とカラオケで、店で合流することになっている。
ところが、大幅に遅刻しそうだというメールが・・・
仕方がない。
バーで飲んで待つことにする。
今日は、赤いちゃんちゃんこならぬ、赤いネクタイを締めてきた。そんなにしなくてもと思ったが、縁起物だから、まあいいか、と妥協する。
やがて、エルさんも来て食卓へ。
まずは、オカブはキールロワイヤル。飲めないかーたんとエルさんはソフトドリンクを。乾杯して、かーたんとエルさんに感謝!
今日のメニューは以下の通り。

                   アミューズ・グール
         アンディーブの魚介ソーセージ巻き、温かいサラダ
            炒り卵とキャビア、シェ松尾スタイル
       白身魚の混合薬味付け焼き、ベルモット酒のソース
                     グラニテ
         ブレス産のピジョンのロティ、ジビエソース、温野菜添え
                  デセール盛り合わせ
                   プチフール、珈琲

なかなかのご馳走である。
メインも野禽であることだし、ワインはサンセールで行く。
キャビアは最高に美味かった。ポワソンはいつもながら火入れの具合が結構。鳩というのは初めて食ったが、ブレス産ということもあり、銘柄物の高級品なのだろう。
食卓での話題は、オカブのことではなく、もっぱらエルさんのこと。
この子も、今、一年生の担任で、運動会を控えて奮闘中。毎日、深夜の帰宅で、休日も自主出勤。本当に精勤ぶりに頭が下がる。
デセールを終わっても、まだまだ話は尽きなかった。
支払いを終えて、レストランを後に。
帰りは、青学の脇を通って渋谷に出た。
これで60の誕生日が過ぎた。
なにか一仕事終わったような感じがした。

還暦や皐月に男子と生まれたり   素閑


等々力渓谷にかーたんと行ってきた。

2017-05-05 22:27:23 | お出かけ

連休も終盤だ。
端午の節句、こどもの日に、かーたんと等々力渓谷に行ってきた。
今日は暑そうであるが、冷房で冷えるといけないので、長袖のシャツを着る。
三茶からバスで等々力へ。
等々力のバス停から等々力渓谷は歩いてすぐである。
ゴルフ橋のたもとから、渓谷に降りる。なぜ「ゴルフ橋」なる名前がついたかは分からない。
渓谷は凄い人賑わいである。
5月の連休、新緑の季節に、都会の人にとって、等々力渓谷は絶好の行楽地なのだろう。
上流は、水が淀んでいたが、川を下るにつれて、だんだん清い流れになっていく。
これは、渓谷の脇から湧き出す湧水のためだという。
新緑に囲まれ、ひんやりした、深い谷は誠に心地よかった。

緑濃し妻と辿れる谷川や   素閑

 

途中に弘法大師像があった。
そう。ここは真言密教の不動修行の地でもあるのだ。渓谷の端には、滝行の修行場が設けられ、不動明王が祀られている。

川の上に昇り返す道を上がると、そこは庭園になっている。
広い芝生があり、家族連れが日光浴をしたり、弁当を広げている。

 ここのご本尊、不動尊明王院も賑わっていた。
本堂には参拝の人の、長い列ができていた。

 

明王院を出て、環八を渡り、尾山台の街に向かう。
尾山台の商店街にある、お蕎麦屋さん『尾山台 更科』がお目当てだ。
ここは、等々力渓谷に来ると必ず寄るお蕎麦屋さんで、ここの蕎麦は非常に美味いと思っている。
また、前来た時、この店は美人ばかりで切り盛りしてるな、と見たのだが、今回はそう美人ではなかった。しかし、女で店を回している奇特なお蕎麦屋さんである。
店は、連休の昼食の客でてんやわんやであった。頼んだものがすぐ出てこないと踏んで、オカブはまずビール。汗をかいた後の一杯は格別。
しばらくして、かーたんは特上天麩羅蕎麦、オカブは熱燗に、盛り蕎麦二枚。
ここの蕎麦はよく茹でてあるが腰が強く、非常に美味い。
丼物や定食もあるいわゆる町のお蕎麦屋さんだが、蕎麦の出来は上々である。
蕎麦を肴に、熱燗を舐める。
かーたんは、等々力渓谷で、オカブが足を急ぐのでご機嫌斜め。そこで機嫌を取るため大奮発して特上天麩羅蕎麦を奢った次第。
すっかり出来上がったところで、店を出る。

 

尾山台を抜けて、九品仏浄真寺に向かう。
山門に着くと、なんと今日は、有名な行事、お面かぶり(二十五菩薩来迎会)をやっている!これは、寺の檀家が、仏面をかぶって境内を練り歩く、世田谷では知らない人のいない4年に一度の有名な祭り。
次の行列は4時からだという。
かーたんにぜひ見ていこうというが、興味がない、とつれない返事。諦めた。
阿弥陀堂を見る。空いているのは下品の堂。人間の往生の仕方には、上品上生から、下品下生まで9通りあって、最上級の上品上生になると、臨終の床に阿弥陀如来が直々に迎えに来るという。

風薫るやさしくおわす阿弥陀仏   素閑

 

浄真寺を出て、自由が丘に向かう。
かーたんとエルさんの母校、玉聖を過ぎて、自由が丘の街に出ると、連休のさなか、祭りをやっている。
商店街に様々な出店が並んでいる。
ケバブ、インドカレー、道にいすを並べたビアホール。
音楽イベントも行われている。
かーたんが、どうしても甘いものが食べたいというので、駅前の『DALLOYAU』のというパティセリーに入る。
ここは本店はパリにあるらしい。
お菓子は、何を頼んでも小さいマカロンがつく。
オカブはハイネケン。かーたんはケーキセット。
ビールは美味いか?と、かーたんが聞くから、パリのカフェに行くと、フランスのビール、『クローノンブール』があまりにも不味いから、『ハイネケン』や『アムステル』など、オランダビールしか(あとベルギーのステラ・アルトワが少々)生ビールは置いていないんだよ、と蘊蓄話を少々。しかし、オカブとしてはハイネケンもそんなに美味いビールとは思えない。
そしてお代わりに、オカブはビールをもう一本、かーたんはアイスクリーム。
満足、満足。
自由が丘から、渋谷行のバスで、三茶に出、歩いて帰宅した。

こどもの日明るき街の市民祭   素閑