昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

銀座・天龍に行ってきた

2011-05-28 06:42:00 | グルメ

ウィーンから帰国翌日。まだ、時差ぼけが抜けきれていなくて、体調絶不調の中、かーたんと銀座に行って来た。なんで、そんなときに銀座くんだりまで?という疑問もごもっともだが、この日、サンキョウのフルートの調整会を、銀座山野楽器で予約してあったのだ。ウィーン行きが決まる前からの予約だったのでどうしても外せなかった。

どうも低音が出しにくいと思っていたが、バランスがだいぶ狂っていたようだ。やはり年一回の調整は必要。

フルートの調整が終わって、ジャンボ餃子で名高い、『天龍』へ。10年ほど前、知人にこの店へ連れてきてもらって以来、銀座に出るとちょくちょく寄る店だ。ジャンボ餃子8個入り1,050円。広東風焼きそば13,50円。レバニラ炒め、同じく1,350円。そしてビール。いくらだったけな?(エビスです) 

味はやや大味だが、そのボリュームと具材を惜しげもなく使った太っ腹具合がなかなかいい。

また、銀座と言う土地柄にしては気軽に入れる大衆食堂風の佇まいもいい。

お腹一杯になって、かーたんに付き合ってヤマハで楽譜探し。その後、教文館へ寄って、またまた楽譜探し。

三軒茶屋へ出て、五時から教会で、教会学校の卒業生の同窓会。

いろいろ盛りだくさんで疲れた。

   梅雨寒も華やかなりし銀座かな     素閑

 

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名残惜しいウィーンを後に日本へ帰国。

2011-05-27 01:06:00 | ウィーン旅行記2011年

20119_11  いよいよウィーンを離れる日。ホテルでパッキング万端行い、チェックアウトして、スーツケースをがらがら引きずりながらリンクをウィーンミッテへ向かう。チェックインは前日、ウィーンミッテでしてあったので今日は荷物を預けるだけ。制限の20キロを3キロほどオーバーしていたが見逃してくれた。感謝感激。

ウィーンミッテからCATは次第に離れていく。懐かしいウィーンの風景が窓の外を過ぎる。妙に感傷的になってしまった。

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シュべヒャート空港ではかーたんのイヤリングをスワロフスキーで免税対象で買ったので、ツォルで免税手続き。戻ってきた税額はわずかばかりのものだった。

エミグレーションを済ませて、ビールなどを飲みながらフライトを待つ。

やがて機上の人に。帰りは不味い飯を食って、たらふく酒を飲んで、ほとんど寝てきた。席は行きと同じエコノミーの最前列。伸び伸びと足が延ばせるが、後ろで3席占有したほうが良かったかも。

20117_4予定通り成田について、NEXで新宿、小田急で下北沢。

大荷物を引きずって家まで帰り着く。

久しぶりにかーたんの顔を見てほっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蒼天の維納より帰り日本の梅雨の空   素閑


またまたまたシュパーゲルを・・・

2011-05-26 20:46:00 | ウィーン旅行記2011年

20116ウィーンの最終日。まずはケルントナー通りなどをゆっくりとぶらつき、旅の終わりを惜しむ。しかし、連日、ものすごい暑さで閉口する。

 

右はケルントナーの店のショーウィンドウ。ウィーンの最新の夏のメンズファッションといったところか・・・

 

 

 

 

 

 

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ケルントナーにある高級クリスタルの老舗、ローブマイヤー。世界中の宮殿や、邸宅、高級店舗を飾る。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ケルントナーの真ん中にあるマルテザール教会(マルタ騎士団の教会)。小さな小さな教会だがウィーンを訪れたら見逃すことは出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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思い出のホテル、シュロスホテル・レーミッシャーカイザー。二回泊まった。しかし、来るたびに予算の関係で泊まるホテルがしょぼくなっていくのはわびしい限りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ケルントナーに面した建物。ホテル・アンバッサードゥアーか?????

 

 

 

 

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ケルントナーからグラーベンへ。グラーベンの奥にある建物。ウィーンにはこのようなお伽の城のような建物がいくつもあって旅人の目を楽しませてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コールマルクトに入りミヒャエル広場。ミヒャエル門には包帯?が巻かれていた。 

 

 

 

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ナーグラー小路に戻ってきた。

 

 

 

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ケルントナーに再び出て、クリューガーシュトラッセの天満屋で鮨を・・・ジャパニーズは絶対口にしないと心に誓っていたが、ついつい誘惑に負けて暖簾をくぐることに。ご想像の通りこれだけの鮨が驚くほどの値段。後悔・・・・・・

 

 

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ウィーンの裏町街角。

 

 

 

 

 

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ウィーンの裏通りの街角。こういう何の変哲のない場所がたまらなく旅愁をそそる。

 

 

 

 

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ホテル・パレ・コーブルク遠景。コーブルク公爵の宮殿を改装して2004年にオープンしたウィーンの最高級ホテル。白い列中を見てウィーンっ子は「白いアスパラガス」と命名した。

 

 

 

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ケルントナーに面した建物。

 

 

 

 

 

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ウィーンの最後の夕食はやはりナーグラー小路で・・・またまたアルト・シュタット・ブロイのお世話になることにした。

 

 

 

 

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なんと言っても自家製ビール。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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生牛肉と卵の前菜。なかなかいいお味。

 

 

 

 

 

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思い出の味はシュパーゲル(白アスパラガス)で。やはりこの季節にウィーンを訪れるのは貴重な体験なので、白アスパラガスを都合4食食べることになった。

 

 

 

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思い出の食卓の締めくくりはシュナップスで。暮れなずむウィーンの古き良き裏通りの風景を眺めながら、杯を傾けるのは、また格別。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

露店にて旅の愁いや火酎呷る   素閑   


フンデルトヴァッサー・ハウス・・・シュトラウスは二位だった

2011-05-25 20:32:00 | ウィーン旅行記2011年

20119_8今日は、1区を出てフンデルトヴァッサーハウスから・・・なんというモニュメントでもないのだが、大時代な建物ばかり見ていると、こういう近代的、アヴァンギャルドな対象に惹かれるのも自然な心理かもしれない。

このフンデルトヴァッサー・ハウスはいまや大阪のごみ焼却場で名高い、フンデルトヴァッサーが直線、平面を廃し、できるだけ自然に近い曲面で構成した集合住宅である。住宅であるから人が今でも住んでいる。だから、なかには入れない。中には入れないが、外には夥しい数の観光客がひしめいている。中の住民はさぞや迷惑であろう。

 

 

 

 

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建物の前の舗道も曲面でうねっている。

 

 

 

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うねる。

 

 

 

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フンデルトヴァッサーハウス。いみじくも「まことちゃんハウス」を思い出してしまった。

 

 

 

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まあ、奇抜といえば奇抜で、見て退屈するものではないが、そんなに取り立てて騒ぐものでもないのではないか?

 

 

 

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しかし、建物の周りには土産物やありの、カフェありので、一大観光名所となっている。

 

 

 

 

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かく言うオカブもカフェで一休みしてアイスクリームを・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ヴァッサーハウスからの帰路の街並み。

 

 

 

 

 

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リンクに面した建物。

 

 

 

 

 

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裏道の街角。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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シュタット・パークで。ちょうど、ヨハン・シュトラウスⅡ世のモニュメントが改修中で、像だけがなぜか表彰台の上に飾られていた。オカブが行ったときは、シュトラウスは二位だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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リンクに面した建物。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ラオベンホーフ。美しさで知られたシュテファン裏の中庭である。しかし、いまやまったく昔の美しい面影はない。古きよきウィーンは着々と廃れつつある。

 

 

 

 

 

 

 

 

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昼食はイエズス会教会前の「シュタット・バイスル」で。ブドヴァル製、本場物のバドワイザーで乾いた喉を潤す。ウィーンはビールが安くて美味い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ロースとビーフの前菜。これだけでもうお腹が一杯なのだが無理して詰め込んだ。もちろん美味かった。

 

 

 

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メインのグラーシュ。ちょっと本格的な味。これも無理して詰め込んで、美味かった。牛肉をパプリカのソースで煮たウィーンの名物料理。

 

 

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「シュタット・バイスル」。イエズス会教会の外観を眺めながら食事をするのもまた乙なもの。

 

 

 

 

 

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ウィーンの裏通り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ウィーンの裏通り。

 

 

 

 

 

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通りに面した建物。

 

 

 

 

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晩はゲッサー・ビア・クリニックで、ビールを堪能することに。

 

 

 

 

 

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ヴァイツェン・ビール。

 

 

 

 

 

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これはデュンケル。黒ビール。

ビールは美味いのだが連日、昼夜とビールの飲みすぎで腹がパンパンになってきた。ここは2杯で収めて、ホテルへ帰ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古都歩き中庭に迷い夏独り  素閑


カフェ・ラントマンにてターフェル・シュピッツを

2011-05-24 11:45:00 | ウィーン旅行記2011年

201114今日はシュテファンの裏手から出発。ベッカー街の有名な壁画。バックギャモン(ゲーム)に興じる牛と狼を見守る皮なめし職人。往時のカトリックとプロテスタントの確執を皮肉ったものだ。

 

 

 

 

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シェーンラテルン小路。文字通り「美しいランタンの小路」という意味。ただ、レプリカとして飾られていた名前の由来となったランタンは写真右手のアームから取り去られていた。本物はウィーン市立歴史博物館にある。ランタンはなくともウィーンで最も美しい小路であることには間違いない。

 

 

 

 

 

 

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シェーンラテルン小路に面したバジリスケン・ハウス。昔妖怪がすんでいた屋敷という。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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リンクに出てブルク劇場。ドイツ語の演劇が上演される。入って正面のクリムトの装飾画は圧巻というが残念ながら、内部に入ったことはない。

 

 

 

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ブルク劇場の並びにあるカフェ・ラントマン。日本にも表参道に出店がある。ただ、さすがに本場は堂々とした造り。ここで昼食。

 

 

 

 

 

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ターフェル・シュピッツ。ボイルしたビーフに一緒に茹でた野菜が添えてある。そのシンプルさゆえに質実剛健を旨としたカイーザー・フランツ・ヨーゼフ一世に愛されたという。やはり日本で食べるのとはボリュームが違い、この一皿でお腹一杯。

 

 

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ターフェル・シュピッツにつけるソース。数種あるが、リンゴのソースをつけて食べるのがウィーン流。

 

 

 

 

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フランチィスカーナー教会の前に出た。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ウィーンの街角。

 

 

 

 

 

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これまたウィーンの街角。

 

 

 

 

 

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これまたまたウィーンの街角。リンク沿いの建物かもしれない。

 

 

 

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建物。旗が立っているので歴史的建造物か教会かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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夕食はホテルに帰って、一風呂浴びて、グラーベンから入ったLOHMANで・・・この前来た時も入ったが、「古きよきウィーン」という看板の宣伝文句に誘われてついついまたいてしまった。

 

まずはビールから。

 

 

 

 

 

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サーモンの前菜。2008年に食べたのと同じ献立。でも美味かった。

 

 

 

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ツヴィーベルローストブラーテン。これも前と同じ。ウィーンの定番料理。牛肉サーロインをおろし玉ねぎと白ワインに漬け、ソテーして、カリカリに揚げた玉ねぎを載せたもの。これも大変美味い。

 

 

 

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もうお腹は一杯なのだが、無理してデザートを。「カイザー・シュマーレン」。レーズン入りのパンケーキを一口大にちぎって、粉砂糖をかけ、アプリコットジャムを添えて食べる。これもカイザー・フランツ・ヨーゼフⅠ世がお気に入りだったとか。この皇帝はやたらとシンプルな食べ物を好むようだ。現代のB級グルメ・コンテストの審査員など適役かも。

ぱちんぱちんのお腹を抱えてホテルに帰りすぐにバタンキューだ。

 

 

 

 

 

一人旅し維納のビールほろ苦し    素閑

 

 

 


ブリューメンシュトックで夕食

2011-05-23 11:08:00 | ウィーン旅行記2011年

 

201113_2 今日の出だしはカフェ・ディグラスから。アインシュ・ペナーで朝のひと時を。普通は午後のヤウゼ(「粉」の意味からお菓子を指す。ウィーンのお菓子とお茶のティータイムのこと)が普通なんだけれどもね。ビールを飲まなかったのはお利口お利口。

 

 

                                                                                                                      

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建物の中庭。ウィーンにはこんな空間がたくさんあって、中世の昔に引き戻されたような気分にさせてくれる。昔読んだ、グスタフ・ヤヌホの本にカフカとプラハの一隅を訪れそこを「光の痰壷」と呼び習わしたと言う記述に出会ったが、ウィーンにもそんな神秘的なイマジネーションをそそる場所はたくさんある。

 

 

 

 

 

 

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ドミニカ教会の入り口。バシリカ風のこの教会の外観は、ウィーンの教会の中でも異彩を放っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

郵便貯金局。ユーゲントシュティールの傑作にして、オットー・ワーグナーの代表作。地震がない国とはいえ、こういった歴史的な傑作の建造物が、まだまだ現役で使用されているのは羨ましい限りだ。

 

 

 

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郵便貯金局の内部。天井から自然光を採り入れ、独特の雰囲気をかもし出している。観光シーズンを当て込んだデコレーションは正直言ってウザイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ルプレヒト教会の内部。まえにもあったかな?重複してもいいから掲載しておく。この教会の内部を見られるのは貴重な体験である。塩の聖人である聖ルプレヒトに捧げられたウィーンで最も古い教会である。

 

 

 

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ホーア・マルクト広場。

 

 

 

 

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フッランチィスカーナー広場にて。奥に、ウィーンの名物カフェにして、映画「恋人との距離」にも登場した「クライネス・カフェ」が見える。

 

 

 

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夕暮れのバル小路に出てきた。

 

 

 

 

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バル小路6番地にある老舗居酒屋「ブルーメンシュトック」。今晩はここで腰を落ち着けて夕食をとろう。この店はかつて、ベートーヴェンやシューベルトが通ったことでも有名な歴史ある名店である。日本にも永井荷風御用達の店とか池波正太郎が常連だった店とかいうのはあるが、ウィーンに来てみるとちょっと歴史の格が違うことに気づかされる。

 

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ローストポークにダンプリング、ソースをかけた料理。この一皿でお腹一杯。大変、美味しかったです。

 

 

 

 

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ブルーメンシュトックで飲むビール。歴史ある居酒屋ということと、周囲の佇まいがあまりにもウィーンの古都としてのイメージにぴったりだったので、ついつい酒盃を重ね、半リットルのクリューゲルを4杯ほど空けた。そりゃ飲み過ぎだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

夏日暮れ小路の迷路彷徨いて   素閑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ウィーン旅行記2011年・ウィーンでビール漬けの毎日

2011-05-22 07:47:00 | ウィーン旅行記2011年

20118ウィーンに来て、はや5日目。なにか、ひどく体重が増えたような気がする。お腹の周りが弛んだような感じがしてならない。

これは、 ウィーン料理の高脂肪、高カロリーに加えて、ビールの飲みすぎによるものと思われる。

なにせ、昼間から、1?ものビールを毎日飲んでいるのである。腹の周りも弛もうと言うもの。

もっとも、こちらウィーンでは、男も女もビア

20119 樽のような体型が珍しくない。そんなビア樽さんが巷を闊歩している町。それがウィーンだ。

右はロース・ハウス。19世紀末の建築家、アドルフ・ロースの設計。窓になんの装飾もないことから、当時「眉毛のない」家として、揶揄された。評価が定まったのは、20世紀に入ってから。ウィーンは古色蒼然とした伝統と、革新的な新しさが渾然一体として混在している。

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右はミヒャエル門の天蓋。オカブがウィーンで最も好きな場所のひとつである。日も落ちた暗い夜、ここに佇むと、なんとも神秘的な気分に浸れる。

 

 

 

 

 

 

 

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フィアカー二題。ウィーンの街はこの「フィアカー」と称する辻馬車だらけ。もちろん観光客を乗せて、街を案内するためのものである。御者は英語でガイドもするというから、なかなかの優れものである。

 

 

 

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ミヒャエル門の脇の彫刻、「地の力」。もう一つの、「海の力」は、工事中のため見ることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「カフェ・ツェントラル」の外観。ウィーンで最も美しいカフェと言われている。フェルステル宮の一角にある。すっかり観光名所と化し、観光客に席巻されているが、それに混じって、地元民も新聞を広げて、朝食などを摂っている。しかし、観光経済の直接の恩恵に与れない地元民にとっては、観光客の存在はさぞや、うざいことであろう。

 

 

 

 

 

 

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カフェ・ツェントラルの内部。アーチ型の天井が美しい。ウィーンで一番美しいカフェとも言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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カフェ・ツェントラルでマリア・テレジアを・・・・。メランジェ(ミルク・コーヒー)に生クリームを乗せ、オレンジ・リキュールをたらしたもの。ウィーン名物のコーヒー。

 

 

 

 

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カフェ・ツェントラルのあるフェルステル宮の中庭。ウィーンの代表的な風景の一つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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アム・ホーフに戻って、キンスキー宮。よく、観光客向けのコンサートをやっている会場。

 

 

 

 

 

 

 

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ウィーンの街角点景。

 

 

 

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ウィーンの街角点景。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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リンクに沿ってウィーン大学。フロイトをはじめ、世界の碩学、頭脳が集った。

 

 

 

 

 

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ベルス。証券取引所。ウィーンの有価証券の売買高はそんなに多くはないと思うが、びっくりするほど大きく立派な建物である。

 

 

 

 

 

ウィーンの街角点景。

 

 

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マリア・アム・ゲシュターデ教会(岸辺のマリア教会)。昔はドナウ川が、この教会のほとりにまで流れていた。

 

 

 

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ウィーンの街角点景。オーストリア国旗がかかっているところは必ず、歴史的なモニュメントなのだが、とてもフォローしきれないほど歴史的モニュメントが多い。

 

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ウィーンの街角点景。

 

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ギリシャ正教の教会。レストラン『グリーヒェン・バイスル』の向かいにある。

 

 

 

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官庁の合同庁舎だったっけな?

 

 

 

 

 

 

アンカー時計。アンカー保険会社の二つのビルをつなぐ仕掛け時計。時間になると、歴史の登場人物が、時報とともに列を作って現れる。

 

 

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ウィーンの街点景。

 

 

 

 

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ウィーンの街点景。アム・ホーフに近い広場。レッシング像。『賢人ナータン』はオカブの大学時代に読んだ。

 

 

 

 

 

 

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またまた、ナーグラー小路のレストランで夕食。

 

 

 

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食卓に欠かせないビール。これがなくてはね^^・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・また体重が増えるのを厭わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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カワカマスのロースト。ウィーンの数少ない魚料理の名物。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

炎暑なり維納の舗道の青白き   素閑


ウィーン旅行記2011年・バーミューダー・トライアングルに行く

2011-05-21 14:11:00 | ウィーン旅行記2011年

 

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ウィーン3.5日目。少々だらけてきた。暑さに参ったということもあるのだが。

そうした想いとは裏腹に、だらだらとした街歩きを中心とするウィーン見物は続く。

足はドナウ川運河のほうへ向かう。日差しは相変わらず強く暑い。愛用のレイバンのサングラスをつける。ところで今、ウィーンではレイバンの旧式モデルのサングラスが流行のようで、多くの人がオカブと似たようなサングラスをしていた。

イエズス会教会の前の広場に出た。教会に参詣する。

イエズス会教会の前の広場は、ちょっとした市民の憩いの場で、2軒のカフェ・レストランが店を広げ、広場にシャニガルテンのテラス席を出している。

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さて、イズス会教会の内部は絵に描いたようなバロック様式。見事な装飾だ。この装飾の煩わしさや、バロックのモチーフの裏側に潜む、デモーニッシュ、グロテスクな要素を嗅ぎ取って毛嫌いする人もあるようだが、オカブはこのバロックの放つ天国と地獄が並存する二元論的な美的迫力が好きだ。またバロック芸術・建築のないウィーンは本質を剥ぎ取られたようなものだ。

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右は、たぶんシュヴァーデン・プラッツの建物。なんせ、ウィーンの旧市街は狭い。外周約4キロのリンクに囲まれた一画が旧市街、ウィーン一区、インネレシュタットだ。すっと見て歩くだけなら、一日で廻ることができる。それを何日も掛けて、なにか新しい小さな発見がないかと、胸をわくわくさせながら、同じところをぐるぐると何回も通り過ぎ、巡り歩くと言うのも、ウィーンの楽しみ方の一つだろう。

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ウィーンの街並み。何の変哲もない、建物の一画だが、なんとも歴史の重みと趣を感じさせるのがウィーンの魅力である。そして、ウィーンに身を置いていれば当たり前になってしまうこうした風景を、こよなく愛おしくなるようになれば、ウィーンの魅力に取り憑かれたたことになるであろう。わが夢の町ウィーンである。

 

 

 

ドミニコ会教会。バシリカ風のファサードで他のウィーンの教会と少し趣を異にする。特にパリにいくつかあるルネサンス様式の教会とあい通じるものがあると感じられる。ウィーンはロマネスクからゴシック、ルネサンス、バロック、ロココ、そしてユーゲントシュティール、モダンと様々な様式が混在する街である。しかし厳然として中核をなすのはバロックである。世界の中でも最も純粋なバロック都市と言えるだろう。

 

 

 

 

 

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ドミニカ教会の内部。ルネサンスの影響を残しながらも、バロックの様式となっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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グリーヒェン・ガッセ。レストラン『グリーヒェン・バイスル』の脇の小さな通りである。映画『第三の男』にも登場した。

ウィーンを代表する風景の一つと言っても過言ではない。

ウィーンの街をうろうろしているとこんな小さな通りにも必ず出てしまうから不思議である。

 

 

 

 

 

 

 

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ルプレヒト教会。ウィーンで最古の教会である。塩商人の守護神である、聖ルプレヒトに捧げられた。

ロマネスク様式の建物は、その歴史の長さを物語っている。

そして、毎週ミサがもたれている現役の教会である。

 

 

 

 

 

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珍しくルプレヒト教会の内部が公開されていた。

その装飾の簡素さを見れば、バロックの教会との違いは歴然であろう。

最近改修されたように見受けられ、壁面なども塗り替えられたようである。

 

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いよいよ、バーミューダー・トライアングルに突入である。

知らぬ人が聞けば、「バミューダ・トライアングル」とは何か?と首を傾げるだろうが、このルプレヒト教会の周辺の三角形の一角は若者向けの酒場が集中しており、深夜、ウィーンの若者が酔いつぶれて「沈没」し、行方不明になってしまうことから、バミューダ・トライアングルと名づけられた。

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しかし、飲み屋街とはいえ、ご覧の通り、東京は新宿・歌舞伎町などと比べればいたって健全である。

老舗の酒場の一つである、『マ・ピトム』がなくなっていた。

 

 

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老舗の酒場である『カクトゥス』。この飲み屋街発祥の一軒である。

このバミューダ・トライアングルにはユダヤ教のシナゴーグがあるため、いつも軽機関銃を持った警官が警戒に当たっている。

 

 

 

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お目当てのビール酒場『クラー・クラー』。やはり、バミューダ・トライアングルの老舗中の老舗で、飲み屋街発祥の一軒である。

三羽のカラスのマークが目印。

世界のビールの豊富な種類が置いてあるので名高い酒場である。

 

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酒場と言っても午前11時から開いていて昼食も取れる。

写真は小麦団子のチーズ・グラタン。

ビールのつまみにちょうど良かった。

 

 

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なにやら分からんが、メニューで目のついたビールを片端から注文していった。これは黒ビール。

真昼間からビールをがんがんいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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これはヴァイツェン・ビール。

 

 

 

 

 

 

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何か、分からんが、とにかくビール。

『クラー・クラー』はビールも良し、つまみも良し、値段も良し、で良い店であることを再確認した。

夏はシャニガルテン、テラス席が快適である。

飲み屋だから本来は夜に来るものだろうが、やはり夜の一人歩きは怖いので、あえて昼間来た。

しかし、昼間の飲み屋も開放的で良いものだ。

 

 

 

201121 グラーベンに戻り、ペータース教会に行くと、結婚式のミサをやっていた。

ミサに与ってもよいかと、教会の係員に聞くと「いい」というから一番後ろの席に座って、結婚式を「見物」していた。

すると、観光客があとからあとからやってきて、結婚式はさながら観光イベント状態。201122_2

 

 

新婦の入場。

この時シューベルトの『ウェディング・マーチ』がオルガンで演奏されたほかは、結婚ミサの礼拝音楽はすべて、ギターの弾き語りの歌手が歌うフォーク・ミュージック。

もっと厳粛な式を期待していた向きとしてはいささか拍子抜け。

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夕食は、クレント小路の老舗レストラン『オーフェンロッホ』で。

昼飯時、前を通りかかったとき予約しておいた。

ガイドブックには予約が必要とは書いていなかったが、結果的に観光シーズンの土曜のディナーのこの予約は正解だったようで、後から来た予約無の客は満席だからと断られていた。

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アミューズ。

 

 

 前菜。スモーク・サーモン。

                         

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ヴィーナー・シュニッツェル。ここの店のは、塩味がついていた。少々、塩辛い。

ウィーンでシュニッツェルを食って学んだことは、日本のトンカツのように下味をつけないものもあれば、塩・胡椒で下味をつけるものもあるということ。

オカブは下味をつけない素の肉の味で、レモンだけを絞って食べるほうが美味いと感じた。

20115_2デザート。アップフェル・シュトゥルーデル。

結局、今夜の結論としては、ガイド・ブックに載っているような有名レストランでなくても、ウィーンの味は堪能できると言うこと。

逆に、地元民しか行かないような(とはいえウィーンは街ごと観光対称なので、どんな店であれ観光客を排除するということは不可能なのだが・・・)大衆食堂のほうが値段も安いし、味も変わらないのでお得です。

中途半端な店だと、雰囲気だけで高い料金を取られる。

食事も終わり、勘定を済ませ、もう、一度、バミューダ・トライアングルに行きたかったが、もう9時を回っていることもあり、ホテルに帰ってバスに入りお休みなさい。

 

 

 

 

 

 

夏日落ちて独りになりし旅の果て   素閑


ウィーン旅行記2011年・ホイリゲに行く

2011-05-20 09:23:00 | ウィーン旅行記2011年

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この日はグリンツィングに行き、ホイリゲでワインを飲むことに決めた。9:30ホテル発。カールスプラッツまで歩いて、そこからショッテントーアに行こうと、トラムの1号線に乗り込むが、途中からリンクを逸れてあらぬ方向に向かう様子。あわててD号線に乗り換えて無事ショッテントーア・ウニヴェルシテェーテに。地下のトラムのロータリーで38号線を探すと、すぐにグリンツィング行きの38号線のトラムがやってきた。結構混んでいて初めは座れなかったが、徐々に空き、ウィーンの郊外の景色を眺めながら、結構な路面電車の旅。しかし、今日も20114_2 暑くてたまらん。電車の中はがんがんにエアコンがかかっている。それでも窓から射す強い日差しで暑い思いをする。

ショッテントーアから30分ほどトラムに乗り、グリンツィング駅へ。あのウィーンの市街の圧迫感から解放されて、瀟洒な田園風景の中で20116_2 伸び伸びすることができる。

しかし、グリンツィングにはお目当てのホイリゲにだけ来てワインを飲んで帰ってしまうのは勿体無い。この近辺はウィーンにない良さが随所に広がっている。

右は、グリンツィングから入り言シュタットへ向かう道にあるホイリゲ。ここに軒を並べるホイリゲを覗いて廻るだけでも楽しい。

グリンツィングからハイリゲンシュタットまでは30分ほどの道のりだ。田園と言うほどではないが、ウィーンにはない郊外の街並みの開放感が合って楽しい。

そして、途中には、小さな愛らしい教会や

ちょっとした、名もないモニュメントもあり、

散策を飽きさせない。20118_4

右は、ハイリゲンシュタットの遺書の家に向かう途中にあった、マリアの祠。こんな小さなオブジェも、異邦のエトランジェにとっては新鮮で真新しい。

他にも、沿道のゆったりした住宅を眺めたり、小公園で子供たちの遊ぶのを見るのも、孤独な一人旅の旅行者にとっては、心の潤いになる。

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炎天下を歩いてビールが欲しいところだが、もう少し歩けば、ホイリゲの冷たい白ワインが待っている。おと少しの辛抱だ。

右はベートーヴェンの夏の家。ハイリゲンシュタットの観光名所だ。ベートーヴェンは生涯で200回以上の引越しをしたという引越し魔。この家も、夏のひと時を過ごす別宅として借りて住んでいたものであろう。

夏の家から左に折れて、道標に導かれていくと、遺書の家がある。ここはベートーヴェンが有名なハイリゲンシュタットの遺書を書いた家とされている。20119_2

中庭にまでは自由に入れるが、家の中

はちょっとした展示室になっているようで、入館

料を払わないと入れない。そんな余裕はないので外から眺めて写真に収めるだけにしておく。まあ、ベートーヴェンが住んだというだけで記念的な価値はあるだろうが、建築的にはなんの変哲もない田舎家なので、そんなにじっくり見ても、なんの感慨も沸かない。201110

ただ楽聖が、この家で絶望の淵の縁で、絶

唱とも言える遺書を書いたと思うと、なんとなく昔の思いも伝わってくる。しかし、今日は異様に明るい。この明るさの下、悲劇の物語を想像すると言うのはちょっと無理が

あるというものだ。

右はメイヤーの家。ベートーヴェンが1817年5月から2ヶ月間住んだといわれる。

現在はホイリゲとして使われているという。201111_2

さて、ベートーヴェンが交響曲『田園』の

構想を練ったという、ベートーヴェンの散歩道に来た。小川が流れ、そのほとりの小路は『ベートーヴェン・ガッセ』と名づけられている。小川のせせらぎは清冽で心を洗われる心地がする。そしてなによりも明るい木漏れ日が、ここでの印象を光に輝いたすがすがしいものとしてくれる。古典派のベートーヴェンが印象派を思わせる明るさと色彩感を持った『田園』を作曲したのには、こんなモチーフの背景があったのかと納得してしまう。201112_2

 

小川のほとりの道は整えられていて歩きやすい。右の沿道には瀟洒な住宅が建っており、それを眺めて歩くのもまた楽しい。水のせせらぎの音だけが、しじまを破る静やかな散策だ。201113_2

 

 

 

 

小川の対岸の草むらにはこんな路も。あるいはベートーヴェンが歩いたのはこちらの路だったのかもしれない。圧迫感のあるウィーンの町を離れ、せせらぎと緑の郊外で、ベートーヴェンもさぞや、心身を爽快にリフレッシュしたことであろう。

 

 

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グリンツィングに戻ってホイリゲの一軒。こんなホイリゲがグリンツィングには20軒足らずもあろうか?

 

 

 

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ホイリゲの一軒。『グリンツィンガー・ブロイ』という名の店で、ワインのほかにビールも飲ませるホイリゲとして知られる。

 

 

 

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ホイリゲ。

 

 

 

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ホイリゲ。

 

 

 

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グリンツィングの小公園。

 

 

 

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お目当てのホイリゲツム・マルティン・セップ。11:00開店とガイドブックにはあったが、11:30からだそうだ。暇つぶしに、上手にある公園の日陰のベンチに座って涼をとる。「ホイリゲ」と言うのは、葡萄酒の新酒のことを指し、ウィーン周辺の葡萄農家が、新酒の時期だけ、葡萄酒を客に飲ませても良いという皇帝の勅許を得て、始められたのが、ウィーン郊外の居酒屋、ホイリゲ。今ではグリンツィングだけでも20軒ほどのホイリゲが営業している。

 

 

 

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陽光まぶしい気持ちの良い中庭。

客は、オカブが入ったときには一組が、テラスの隅でチビチビやっていただけだったが、昼時となると、大勢の地元民やら観光客がなだれ込んできて大賑わい。陽気な夜のホイリゲを彷彿とさせるのであった。

 

 

 

 

 

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ホイリゲといっても、初めてで勝手が分からんから、メニューにある適当なワインの銘柄を言ったら、これを持ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そうじゃない、ジョッキに入ったワインをもってこいと言うとやっと、ホイリゲらしいワインを持ってきた。

 

 

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ホイリゲの料理はセルフサービスというから、その積もりでいたら、この店の料理はテーブルで注文する一品料理が中心。で、料金一律のブッフェとういうのがある。ホイリゲらしさを楽しみたいからブッフェにした。 どうも、客が食べたい料理を指で指して、とり、その合計金額をカウンターで精算して支払うというシステムではないようだ。支払いはこのとり放題のブッフェとグラスワイン一杯、ジョッキワイン一杯で17.3ユーロ。お値段もなかなか優しいホイリゲではあった。

 

 

    

 

 

 

楽聖の影ふみせせらぐ聖五月   素閑