昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

教会のピクニックに行ってきました。

2009-04-26 06:27:00 | 日記・エッセイ・コラム

Dscf0089_edited 昨日までの雨が上がり、晩春の明るい陽光が照りつける絶好の行楽日和。教会学校の生徒と引率の父兄、先生で、羽根木公園にピクニックに行ってきた。午前中は教会学校と礼拝。午後に生徒達は教会に集合して、世田谷線三軒茶屋から山下まで。そこから烏山川緑道を歩いて羽根木公園まで来た。オカブたちは自転車組で、環七の宮前橋までいって、梅ヶ丘の駅前から羽根木公園まで。みんな集まったところで、早速お昼のお弁当。バラエティに富んだメニューでみんなそれぞれ昼食

 

羽根木公園はツツDscf0090_editedジが真っ盛り。薄紅と白のツツジが雨上がりの好天に映えて鮮やかだ。この公園は、オカブの自宅から歩いて20分ほどの場所に位置するので、折に触れて訪れている。とくにエルさんがソフトボールを始めてからは、キャッチボールのトレーニング場所として、よく来る。勝手知ったる公園だ。しかし、不思議と今の時季に来たことはない。新しい様相を見た思いだ。

教会学校のピクニックといっても、食前のお祈りがあるだけで、特別、キリスト教めいたことはしない。いいのだか悪いのだかは分からないが・・・


 

 

 

 

 

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羽根木公園には世田谷区民であった中村汀女さんの句碑がある。句は

  外にも出よ触るるばかりに春の月 汀女

堂々たる骨の太い、しかも女性らしい細やかな感性も併せ持った名句である。春の晩の燦然たる月の光を詠んだ様が、昼の陽の光をテーマにするよりも春の「明るさ」を強烈に伝えている。ただ、ストレートに訴えかけるのではなく、あくまでも雅の心を忘れないのが良い。中村汀女は1900年熊本県出身。1988年没。昭和9年(1934年)ホトトギス同人となり、最初の句集『春雪』を発表。戦後の昭和22年(1947年年)には俳誌『風花』を創刊した。1980年文化功労者、84年日本芸術院賞受賞。

オカブなどは足元にも及ばない句界の大家である。

 

 

 

 

 

 

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お弁当のあとは、みんなで大縄跳びや、リレーなどをして遊ぶ。大人も童心に帰って、参加する。オカブは翌日筋肉痛になってしまったが・・・

3時に店をたたんで、三軒茶屋の教会に着き、アイスキャンデーの配給があって、4時前に解散。その後、やったーうーまん、ねずみ男らと、三軒茶屋の『ごはんや』でご苦労さん会。5時開店だというのを、無理やり4時半に入れさせてもらった。盛り上がって、さらにすずらん通りの『魚待夢』になだれ込む。よく遊びよく飲んだ一日だった。

 

     


    ゆく春に子らと遊びつ時忘る     素閑


ウィンナ・シュニッツェル

2009-04-23 12:08:00 | グルメ

今日はエルさんの学校で体育祭があった。会場は千駄ヶ谷の国立競技場体育館。かーたんが参観に行った。優勝を期しての参加だったが、エルさんのチームはどの競技でもビリッカス。最下位という結果になった。残念。

せめて、晩餐の献立くらい、勝利の味わいをかみ締めようと、オーストリア風トンカツ、ウィンナ・シュニッツェルを作った。この料理は、ウィーンなどでは定番の名物料理になっており、大方のレストランを始め、カフェなどでも食べられる。高級品は仔牛の肉を使うが、大衆店では、豚肉で作ったものが多い。鶏肉や七面鳥のシュニッツェルもある。日本の家庭で作る場合は、仔牛の肉は手に入りにくいので、ステーキ用の牛肉で代用するか、豚肉のソテー用ロース肉を使うのがいいと思う。HP上のオカブ日記ではお馴染みの料理だが、初めての方のために、作り方を記しておくと、肉を肉たたき(無ければビール瓶などで代用する)で、薄く薄く、向こうが透けるくらいに延ばす。塩、胡椒を振り、あとはトンカツの要領で、ベーキングパウダーを混ぜた小麦粉、卵をつけ、センメル粉をまぶすのだが、このセンメル粉がシュニッツェルを作るの際のポイント。普通のパン粉ではシュニッツェルの味わいは出せない。このセンメル粉はカイザー・センメルというオーストリア独特の固パンを普通のパン粉よりもずっと細かい粉にした独特のもの。アンカー社のセンメル・ブレーセルという商品がオーストリアではポピュラーだが、日本では手に入りにくい。もしかしたら「紀伊国屋」なんかには売っているかもしれない。これを揚げるのだが、本場モノは薄くフライパンに引いたラードで揚げ焼きにするらしいが、我が家では、普通の揚げもののように、たっぷりのサラダ油で揚げる。付け合せはジャガイモ。レタスやトマトを添える場合もある。揚げたての熱々にレモンをきゅっと絞って食べるのはなんともいえない。有楽町の「ホイリゲン・ハウス」があった頃は、東京のレストランでも気軽に食べられたのだが、閉店してしまった今では家庭で作るしかないようだ。

      春の宵夢馳せ維納の森の景     素閑


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行者ニンニク

2009-04-19 23:00:26 | 日記・エッセイ・コラム

からりと晴れた日曜日。久しぶりに休日の早起きをする。というか、早く起きざるを得なかった。日曜は、格別のことが無ければ教会に行くことにしているのだが、特にかーたんは9時からの教会学校でオルガンの当番がある。しかし、かーたんは先週の月曜に下北沢でちょっと自転車を停めた間、違法駐輪で、自転車を持っていかれてしまった。そこで、教会へは徒歩で行かざるを得ない。そこへもってきて、この前膝を痛めて、のたのた歩きしかできない。ただでさえ、かーたんは丑年だからかどうか知らんが、よく言えばのんびりしている。そこで、オカブが早起きをしてかーたんの朝食を作って、楽譜その他の大荷物を持ってやって、教会までエスコートしてやった次第。

教会の帰りに、今夜の晩御飯の買い物にと八百屋をのぞいてみたら、店先に行者ニンニクが並べてあった。これは珍しい。思わず一パック買ってかえる。180円という安さもあったが。行者ニンニクは高山などの寒冷地の湿地に群生する一種の山菜である。昔は一部の山屋か余程の山菜好きにしか知られていなかったが、今では北海道の名産として札幌の市場などで売っているらしい。しかし、これは北海道特産というわけではなく、本州の高地でも採れる。深田久弥さんが著書『瀟洒なる自然』で行者ニンニクについて一項を設けて、解説しているので、少し長いが引用してみよう。「尾瀬ヶ原で長蔵小屋を手伝っている奥川雪江さんが、原で採ったギョウジャニンニク(行者葫)を届けてくれた。私の大好物だから、生で味噌をつけてかじり、味噌和えにし、味噌汁の実にした。ニラ、ニンニクの類だから臭気が強く、食後は人前を憚らねばならぬほどだが、何しろうまい。ニンニクは精力をつけると言われているが、わけてもギョウジャニンニクは、行者がそれを一本食べただけで一日保つというので、その名がある。ニンニクは葫あるいは忍辱と書く。忍辱は耐え忍ぶということで、坊さんがこの劇臭のある植物を意に介せず食うことから来たのだそうである。葫は、この植物が西域から渡来したことを示している。古い昔、中国では遥か西方の辺境から来たものには皆「胡」という字をつけて呼んだ。「君聞カズヤ胡歌の声」「笑ッテ入ル胡姫酒肆ノ中」など、唐詩選には胡の字のついたものが頻りに出てくる。胡瓜、胡麻、胡椒などもそうである。その中で胡の字に草カンムリをつけた葫こそ、西域から伝わった草類食物の代表だったのかもしれない。いにしえの長安の都を出発して、雲煙万里、沙漠を渡り、草原を通って、所謂西域の果てまで辿り着くと、そこに難関の氷雪を頂いた山脈が立ちはだかっていた。それを越えなければ、ペルシャ、あるいはインドへ達することができない。中国ではそれを葱嶺と呼んだ。玄奘三蔵法師はその葱嶺についてこう書いている。「東西南北各数千里、崖嶺数百里、幽谷険峻、恒ニ氷雪を積ミ、寒風勁烈、地ニ多ク葱ヲ出ダス。故ニ葱嶺ト謂フ」この葱はギョウジャニンニクであろうと言われている。そういう高地に産する野生の葱類は、ほかにないからである。(略)」

家へ帰り夕飯時、酒の肴に味噌をつけて生でがりがりかじる。ニンニクとエシャロットを合わせたような味で、わずかに甘味がある。深田さんには悪いがそう美味い物とも思えない。臭いは強烈である。禅寺の門前に「不許葷酒入山門」と書いた石柱が立っていることがままある。酒とは文字通り酒であり、葷とは臭いのついた野菜、すなわちニンニクのことであると何かの本で見たことがある。禅寺では、修行の邪魔となる酒とニンニクを出入り禁止にしていたというわけだ。これは、一見、坊さんが特にニンニクを食ったという先の深田さんの記述と矛盾する。しかし、もちろん禅坊主がニンニクをご法度にしたというのは形式上のことだけである。オカブの今日の夕食はこの行者ニンニクと素うどんだけ。貧乏人はニンニンである。

    日曜の店に白シャツかげろうや     素閑

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花の季節です。

2009-04-18 21:59:00 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の金曜は、春の初めに戻ったかのような肌寒さだったが、今日は陽も差して、暖かな陽気。三寒四温とは、いまどきの気候のことだろうか。桜は散ったが、まだまだ春の様々な花が百花繚乱である。我が家の猫の額ほどの庭にも、何種類かの花が咲いている。シャガ、三色菫のほかは、無学なオカブには名前が分からない。しかし、陽春の陽を浴びて咲き誇る花を見ていると、心も和む。そこで花を題にした三首。

  花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春をみせばや

  ぬばたまの光のどけき春の日にしず心無く花の散るらむ

  花の色はうつりにけりないたずらに我が身世にふるながめせしまに                

  二重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき

一首目は藤原定家の作だったろうか。千利休が茶の心はいかにと人に問われ、ただこの歌を一回詠じたことで有名である。爛漫の花の春そのものよりも、わずかな、かすかな春の兆しにこそ茶の心は似たりと言いたげだ。

二首目は紀友則の作。この歌の花は桜だそうである。春の盛りに、儚く散りいく花の運命的な本質を鋭く突いて詠んでいる。

三首目。小倉百人一首でお馴染みの小野小町の作といわれている一首。紀友則の作と同様に、花の儚さを憂い、それに女人の容色の移ろいをかけている。

四首目。後拾遺和歌集の中務卿兼明親王の歌だが、太田道灌の人となりを伝える歌としてつとに名高い。ある日、巻狩に出かけた道灌一行が、突然雨に遭い、蓑を借りようと立ち寄った一軒の家の娘が山吹の花の枝を差し出しただけで、後は何も語らない。そのとき、道灌は何のことか分からず、怪訝に思ったが、後にこの歌の「実の」と「蓑」をかけた意味と知り、自らの不調法を恥じた。それから道灌は和歌の道に精進したという。明日の命をも知れない戦国武将の嗜みの深さと、道灌の奥ゆかしい度量の広さを示している。どこぞの国の漢字を読めない宰相なども大いに恥じて、自らを省み道灌を見習って欲しい。

江戸初期の怪僧というか傑僧というか、家康から三代の将軍に仕えた南光坊天海僧正が、徳川家光に春になり種々の花が咲き誇っているのお、と声をかけられ、「お国に文学が栄えたので、花の色も豊かになりました」と応えたという。天海は、言い伝えでは、この時とうに九十歳を越えていたと言うが、その機知の鮮やかさは彼の茶坊主としての天賦の才が遺憾なく発揮されている。しかし、天海が一介の茶坊主ではなかったことは言うまでもない。彼は、増上寺の開基となったのを始め位階人臣を極め、また金地院崇伝と並んで当代の政略家として権勢を振るった。ただ、崇伝がコワモテだったのに対し、天海は将軍の勘気を被った者を執り成すなど、若干、旨い処取りの役回りを演じている。

 

  春更けて妻の化粧の長きかな     素閑

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イースターおめでとうございます。

2009-04-12 16:01:00 | ご挨拶

今年のイースターは今日、4月12日である。イースターと言うのは毎年日付が変わる、祝祭日なのだが、日付の決め方は、春分の日から数えて、最初の満月の直後の日曜日ということになっている。

イースターはクリスマスと異なり、純粋にキリスト教の祝祭だから、教会ではイースターのための礼拝がある。オカブは礼拝の前奏「イースター・オラトリオ」でテーマをフルートで吹いた。しかし、途中でテンポが狂い、とちってしまったのはご愛嬌。前日まで多忙でほとんど練習する時間が取れなかった。まあ、こんなこともある。

礼拝後、祝いの食事会があったのだが、オカブは仕事があるため、お先に失礼する。教会ではイースターの礼拝と並んで、「永眠者・召天者記念礼拝」というのも兼ねていて、いわば日本のお彼岸のような形にしているのだが、オカブはこのやりかたには疑問を持っている。イースターのキリストの復活と、物故者の復活をかけているのだろうが、この結び付けには無理がある。実際、イースターに召天者のための礼拝を全くやらない教会も多い。普通、物故者のための行事は、万聖節の前後、10月の末から11月にかけて行う教会が多数だろう。イースターの召天者礼拝は日本独特の風習である。イースターは純粋に祝うべきだ。

家に帰って、書類仕事。やってもやっても終わらない仕事の山だ。

 

      

   復活祭反故に埋もれて過ごしけり     素閑

 

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仕事が終わらなーい!

2009-04-11 15:43:00 | 日記・エッセイ・コラム

今、仕掛かり中のプロジェクトの製品日本語化作業が終わらない。一定フェーズが完了しても、微修正や、時にはメジャーな変更が入るからデスマッチのスパイラルになる。オカブは基本的にプログラムは組めない。だから日本語化といってもテキストの翻訳が中心なのだが、製品のメッセージやダイアログボックスの翻訳は、そのコンテキストを完璧に読み取って訳さないとちんぷんかんぷんな訳になるから、製品を起動して、製品の稼動状況と英文のメッセージを確認しては訳し、それから再び製品を起動しては訳しの繰り返しである。しかし、それとて完璧ではないので修正が入る。一つの製品のメッセージファイルのバージョンが10以上になることもある。朝の8時から始めて、この日の昼の作業は午後2時まで。それから、明日のイースターの準備のために教会へ行く。

かーたんもエルさんもが出かけているので、夕飯はオカブ一人で寂しく取る。手をかけるのが面倒なので蕎麦を茹でて食うことにする。今日は、永谷園の『噛んで食う蕎麦、太麺』という銘柄で行く。13分茹でろと説明に書いてあるから、説明よりも多く15分茹でたが、まだ硬い。そして蕎麦の麺は太く強張っている。キャッチフレーズ通りだ。ちょっとマニアックな蕎麦である。ちなみに、オカブは外食ではほとんど蕎麦を食いに行かない。乾麺と蕎麦汁がレベルアップしてきたので、家庭でも十分、本格的に近い蕎麦を味わえるようになったからだ。久しぶりの蕎麦は美味かった。

夕飯後、また日本語化作業。翌午前2時までかかった。

 

     
     根詰めて夜半の灯りや春愁や     素閑

 

 

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満開の花見

2009-04-04 05:22:00 | グルメ

いやあ忙しいですねえ。しかしそんな中でも忙中閑あり。この季節に花見は欠かせません。昨日徹夜して仕事を片付け、かーたんと北沢緑道に花見物にいく。この旧河べりの桜並木は世田谷の花見の名所として、はるばる遠方からも花見客が押し寄せる。そういう花見客はずいぶん豪勢なことをしているグループもいて、バーベキューをしたり、七輪で焼き鳥を焼いている面々もあった。はるばる環七沿いの円乗院まで行って、それからまた来た道をはるばる戻り、北沢川を下って三宿に出る。ついこの間まで花冷えで、ちじこまっていたいたのだが、今日はいい天気の暖かな花見日和。つい気分も大きくなって、三宿の『ラ・ボエム』でランチをとることにする。この店、チェーン店で都内各所に支店があるが、どこも趣向を凝らした作りで、この世田谷店も地下は、池を囲んで客席をしつらえた南国情緒溢れるというか、面妖な様相。オカブたちは、天気もよいのでテラスに陣取る。まずはビール。ボリュームたっぷりのシーザース・サラダに、風味豊かなミラノ風カツレツ、ニンニクの効いたぺペロンチーノに、具の豊富なラ・ボエム風ピッツァ、程よい甘味のデザートにプリンとアイスクリーム、食後の苦いエスプレッソ・コーヒー。なかなか結構なお値段。お味はまあまあ。店員さんのきびきびした応対が心地よい。

昼間、ご馳走を食べたので晩はお茶漬け。まあ、貧乏生活で収支を合わせるのはこんなものだろう。

 

   

    わが町も花の装いさんざめき     素閑

 

 

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新年度入りですね

2009-04-01 04:20:00 | 日記・エッセイ・コラム

4月1日。いよいよ新年度。世間では入社式のニュースが駆け巡っている。もっとも、今年は金融危機の影響で、気の引き締まった、と言えば言葉がいいが、ちょっと辛気臭い入社式が目立ったようだ。こういう、状況で新社会人となった諸君の胸中はいかばかりか?またその将来にはどんな出来事が待ち構えているのか?もはや、爺になった身としては、人事のようにしか感じられないのだが、さりとて、こちとらサラリーマンの王道を坦々と歩んできたわけでもないので、この歳になってなお、浮世の荒波と闘って、せこせこと稼がなければならない。人事などとは言っていられない。世の中の浮沈にこちらの生活もかかっている。頑張らなくっちゃ。

オカブ商会は特に新入社員などが入るはずもないのでこの日も日常業務。ただ、今年度から新しいことを始めるのでその準備に追われる。

さて、今年のQ2のキックオフは、今年、オカブ商会の副社長になる予定のかーたんと未来の後継者、エルさんと晩のオカズを囲んでDscf0037_edited_2、ささやかにやった。ささやかといっても通り一遍の隣の晩御飯ではつまらないので、イタリアン尽くしの結構な献立をかーたんが作ってくれた。イシモチとタラのアクア・パッツァに鶏肉のカチャトーラ。それからシーザース・サラダ。アクア・パッツァにイシモチとタラというのは別にレシピにそうなっているわけではなく、経済的な問題。イシモチ一匹299円というのをオカブがスーパーで見つけてきた。このイシモチという魚ががアクア・パッツァに合うかどうかは知らんが(正直、食ってみてそんなに美味いとは思わなかった)、尾頭つきの魚がないとアクア・パッツァの気分が出ない。オヤジがトーストマスターになって今年もガンバローと激を飛ばしてなんだかんだでキックオフを滞りなく済ませた。単に家で惣菜の夕食を食ったというだけなんだけどね。ちょっとは新たな気分になって、明日から頑張ろう。

   

    気を入れてまた気も緩む四月かな     素閑

 

 

 

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