亀の甲より年の功というが年の功など何もない。
あるとすれば毎年少しばかり積み重ねてきた知識で、世の中を多面的に見られるようになったことぐらいか?
これも年の功と言うか自分の成果というよりも、世の中がそれだけ進んできたことの結果のほうが大きい。
しかも多面的に見るというのは、自分の中に複数の多様な価値観や認識が混在していることになるので、なにか物事を決めるとき、懐疑的で優柔不断になりがちだ。
何もいいことはない。
こうした在り方よりも単一の価値観、単一の方向性を堅持して突き進む人のほうが人生、多くの実績を残せるし、本人も幸せだ。
なんで自分がこんなに捻くれてしまったのか、良くわからない。
しかし赤子の頃より精神的に何も成長していない、ということだけは言える。
七種や不寝の仕事おわりけり 素閑
興もなくけふの七種むかへけり 素閑
七種よ腰の痛みをなをしたも 素閑
冷え冷えとしたけふの朝薺煮る 素閑
酒肆いでし宵越しの客七種や 素閑
年を経り子と七種を調ふ日 素閑
まだ明けぬくりやに立つ母七種や 素閑
畔の道童のひとり薺粥 素閑
七種のあしたに湯あみ肌も伸ぶ 素閑
薺粥ちとをごそかになりにけり 素閑