半農半漁、自給自足生活への挑戦
自給自足生活をめざす釣り、家庭菜園、養蜂の話です。
趣味のギターや三線のことも少しづつ。
 








長篠城を見学することができて、時間が余ったので次の城を攻めることにしました。
距離50キロあまり、新東名ができたおかげで掛川城までスイスイ移動です。

掛川城は山内一豊の城でした。徳川家康の上杉討伐に従い、その時に石田三成が挙兵します。
関ヶ原戦前の小山評定と呼ばれる軍議で山内一豊は自らの居城の掛川城を東軍に差し出すことを提案します。
関ヶ原の戦いではさしたる軍功もない一豊ですが、この時の働きが認められ土佐一国の太守となるのです。
















掛川城の見所は二の丸御殿です。お城といえば天守閣ですが居住空間ではありません。
天守閣だけ残されて御殿が無い城がいかに多いことか。
御殿が残されてるのは高知城、二条城、川越城など。
山内一豊の関わる城が高知城、掛川城と二つとも御殿が現存しているのは面白いですね。
掛川城の二の丸御殿は1854年の安政東海地震で倒壊、1861年までに再建されたものです。





掛川城の天守閣は江戸時代に倒壊していまして、現在の天守閣は平成になってから再建したものです。
しかし木造で再建されており、日本初の木造再建天守閣になります。
天守閣のデザインは山内一豊が高知城を造らせた時に『天守閣は掛川城を模すこと』と言っていることから現存天守閣である高知城を模して建造されています。
よく見ると似てますね。







8月11日~15日にかけて9つの城をめぐり日本100名城スタンプラリーで観光してきました。
大々的なお城観光はまた来年になるかと思いますがコツコツと積み上げていきたいと思います。
現在14城クリアです。


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