半農半漁、自給自足生活への挑戦
自給自足生活をめざす釣り、家庭菜園、養蜂の話です。
趣味のギターや三線のことも少しづつ。
 






名古屋城は徳川家康が九男義直のために天下普請(全国諸大名に命じ、作らせる)によって築城したとされています。徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用されました。

姫路城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、『尾張名古屋は城でもつ』と詠われています。
天守閣の金のシャチホコはつと有名です。
金の鯱は慶長大判1940枚分を鋳潰して作られたとされますが、藩の財政難の度にその純度を下げて作り替えられています。









天守台石垣は築城の名人と誉れ高い加藤清正です。清正流三日月石垣と言われる美しいラインの勾配、これが名古屋城で一番見所ではないでしょうか?。

というのも名古屋城は1945年まで天守閣や本丸御殿が現存(当時国宝)していましたが、空襲により全焼、貴重な建築物、障壁画が失われました。







大天守は層塔型で5層5階、地下1階、その高さは55.6メートルで江戸期の大阪城、江戸城には及ばないものの現在では高さ日本一です。
現在の復興天守閣は鉄筋コンクリート製でエレベーターもあり、いわば資料館として見るしかなく、城マニアには残念な想いがあります。

ただ、本丸御殿の忠実な復興が現在進められており、その作業現場を見学することができました。
総工費150億円、こちらは素晴らしいものができそうです。







尾張徳川家のお宝を見るならば名古屋城より市内の徳川美術館への訪問を強くおすすめします。
ここの美術品は、なんでも鑑定団の中島先生や安河内先生が唸るであろう素晴らしい品々ばかりです。

35年前、とある少年が東京の有楽町よみうりホールに故徳川美術館館長・徳川義宣氏の講演会に電車を乗り継ぎ神奈川県から聴きに行ったのでありました。
少年のもとに徳川美術館から館への招待状が届いていたのですが遠く名古屋まで行くことは叶わず、それっきりとなっていたのでした。
少年の夢は35年の時を越えて・・・・。





城の入場券売り場横でスタンプゲットです。
あくまで天守閣には期待しないでください。








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夏休みを利用して東海・中部の城郭を巡る旅を企画しました。
その始めとして江戸幕府初代将軍、徳川家康ゆかりの地を選びました。

岡崎城は愛知県岡崎市にある中世・近世の城です。
15世紀に西郷氏が築城、その後、徳川家康の祖父の松平清康が奪い取り、整備したと伝えられています。







城内には家康出産時の胞衣塚(胎盤、卵膜、羊膜を納めた塚)や家康産湯の井戸があります。
家康は父の広忠が家臣に暗殺された(祖父清康も家臣に暗殺されている)のち今川義元の下へ人質として差し出されます。
家康が岡崎城に戻ることができたのは織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦いの後です。
岡崎城は今川家の城代が入っていましたが、今川義元討死の報に遠江に逃走したところを家康が入城したことになっています。









城壁は野面積みです。15世紀の時代の石積みも見られます。







平成19年、マンション建設に伴う発掘調査によって石垣が見つかり、日本国内で4番目の規模の城であることが判明しました。
徳川初代将軍家康の生まれた聖地として岡崎城は一目置かれる大城郭として明治初期まで現存していたのです。
現在はそれほどの大きさを全く感じることはできません。

城内には観光ボランティアさんがたくさんいますのでわからないことがあったら聞いてみましょう。
併設の三河武士のやかた家康館では甲冑を着ることができて写真撮影できますよ。
天守閣内受付にて6個目のスタンプゲットです。






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