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半農半漁、自給自足生活への挑戦

自給自足生活をめざす釣り、家庭菜園、養蜂の話です。
趣味のギターや三線のことも少しづつ。

犬山城(日本100名城43番)

2012年08月17日 | 日本100名城スタンプラリー



旅行2日目の朝は犬山城からです。
この日も開城前から並び、気合十分。

犬山城は木曽川沿いの小高い丘の上に建てられた平山城です。
築城年は1537年、織田信長の叔父の織田信康が改修築城したといわれています。
別名を白帝城。江戸期に建てられた望楼型・三層四階地下二階・複合式天守は高さ19メートル、国内に12個存在する現存天守閣で、姫路、松本、彦根、犬山と並び、国宝に指定されています。
国宝四城の中では最も古い城です。









天守閣内の造作、小さいながらも圧倒される存在感です。現存天守閣ゆえのものでしょうか。
平成16年3月時点で日本で唯一の個人所有(成瀬家)の城であったが、同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管されています。
個人で現状維持していくには維持費、税金、大変だったでしょうね。









木曽川の流れと遠くの山々がとても清清しい気持ちにさせてくれます。
かつては小牧長久手の戦いで豊臣秀吉が12万の軍勢をこの犬山城に引き入れ、小牧山に陣を敷いた家康と戦いました。
犬山城は木曽川を背にした城で、尾張国と美濃国の境にあるため、歴史上も重要な拠点として存在していくのです。





スタンプは本丸横の犬山城管理事務所で押すことができます。
新聞紙を切ったものですが、スタンプがスタンプ帳に変に転写しないように合紙を置いてくれてるのがとても優しいですね。
これで通算8城目のスタンプゲットです。




名古屋城(日本100名城44番)

2012年08月16日 | 日本100名城スタンプラリー



名古屋城は徳川家康が九男義直のために天下普請(全国諸大名に命じ、作らせる)によって築城したとされています。徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用されました。

姫路城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、『尾張名古屋は城でもつ』と詠われています。
天守閣の金のシャチホコはつと有名です。
金の鯱は慶長大判1940枚分を鋳潰して作られたとされますが、藩の財政難の度にその純度を下げて作り替えられています。









天守台石垣は築城の名人と誉れ高い加藤清正です。清正流三日月石垣と言われる美しいラインの勾配、これが名古屋城で一番見所ではないでしょうか?。

というのも名古屋城は1945年まで天守閣や本丸御殿が現存(当時国宝)していましたが、空襲により全焼、貴重な建築物、障壁画が失われました。







大天守は層塔型で5層5階、地下1階、その高さは55.6メートルで江戸期の大阪城、江戸城には及ばないものの現在では高さ日本一です。
現在の復興天守閣は鉄筋コンクリート製でエレベーターもあり、いわば資料館として見るしかなく、城マニアには残念な想いがあります。

ただ、本丸御殿の忠実な復興が現在進められており、その作業現場を見学することができました。
総工費150億円、こちらは素晴らしいものができそうです。







尾張徳川家のお宝を見るならば名古屋城より市内の徳川美術館への訪問を強くおすすめします。
ここの美術品は、なんでも鑑定団の中島先生や安河内先生が唸るであろう素晴らしい品々ばかりです。

35年前、とある少年が東京の有楽町よみうりホールに故徳川美術館館長・徳川義宣氏の講演会に電車を乗り継ぎ神奈川県から聴きに行ったのでありました。
少年のもとに徳川美術館から館への招待状が届いていたのですが遠く名古屋まで行くことは叶わず、それっきりとなっていたのでした。
少年の夢は35年の時を越えて・・・・。





城の入場券売り場横でスタンプゲットです。
あくまで天守閣には期待しないでください。







岡崎城(日本100名城45番)

2012年08月16日 | 日本100名城スタンプラリー



夏休みを利用して東海・中部の城郭を巡る旅を企画しました。
その始めとして江戸幕府初代将軍、徳川家康ゆかりの地を選びました。

岡崎城は愛知県岡崎市にある中世・近世の城です。
15世紀に西郷氏が築城、その後、徳川家康の祖父の松平清康が奪い取り、整備したと伝えられています。







城内には家康出産時の胞衣塚(胎盤、卵膜、羊膜を納めた塚)や家康産湯の井戸があります。
家康は父の広忠が家臣に暗殺された(祖父清康も家臣に暗殺されている)のち今川義元の下へ人質として差し出されます。
家康が岡崎城に戻ることができたのは織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦いの後です。
岡崎城は今川家の城代が入っていましたが、今川義元討死の報に遠江に逃走したところを家康が入城したことになっています。









城壁は野面積みです。15世紀の時代の石積みも見られます。







平成19年、マンション建設に伴う発掘調査によって石垣が見つかり、日本国内で4番目の規模の城であることが判明しました。
徳川初代将軍家康の生まれた聖地として岡崎城は一目置かれる大城郭として明治初期まで現存していたのです。
現在はそれほどの大きさを全く感じることはできません。

城内には観光ボランティアさんがたくさんいますのでわからないことがあったら聞いてみましょう。
併設の三河武士のやかた家康館では甲冑を着ることができて写真撮影できますよ。
天守閣内受付にて6個目のスタンプゲットです。





江戸城(日本100名城21番)

2012年07月04日 | 日本100名城スタンプラリー



江戸城は徳川家康が江戸幕府の政庁として15世紀に太田道灌が築いた平山城を拡張した城です。
その面積は日本最大級、現在は皇居、東宮御所のほか一般市民が入れる公園として親しまれています。
徳川家が全国の諸大名に作らせた(天下普請)だけあって物凄い構えの石垣です。
諸大名は普請に巨額の資金を使い、財力が疲弊したといいます。
徳川幕府に逆らえないように資金力を低下させる目的があったとも言いますね。

江戸城内には今回は入りませんでした。2009年のエリック・クラプトン武道館ライブの際に妻とゆっくり見学したからです。
ですので今回はスタンプゲットが目的です。
和田倉休憩所に近い部分を少し撮影してきました。

・巽櫓は関東大震災で損壊しましたが現存する櫓です。
・やはり石垣の角の部分には算木積みが採用されています。
・切り込み接きは関ヶ原以降に採用された石を加工して隙間なく積む技術です。














江戸城のスタンプは楠公休憩所、和田倉休憩所、北の丸休憩所の三 ヶ所に置いてあり自由に押すことができます。持ち去られないかと少し心配です。
私は東京駅から近い和田倉休憩所で押しました。





5個目のスタンプゲットです。
東京都ではあと日本100名城に八王子城というのがあります。こちらはハイキング気分で行かないといけない山城ですが、なんか知る人ぞ知る心霊スポットらしく躊躇しちゃいますね。
そうも言ってられないのでなるべく早く東京は制覇したいところです。

甲府城(日本100名城25番)

2012年06月17日 | 日本100名城スタンプラリー



武田氏館から直線で3キロ、甲府駅のそばに甲府城(別名:舞鶴城)があります。
甲府の中心街にあるため甲斐の武将、武田氏の居城と思うでしょうが実は全く違います。
築城したのは徳川家康です。長篠の戦いで武田氏が滅んだのち徳川家康が武田の領地の甲斐の国を治めます。
その時代に家康は甲府城を築城し、城代に家臣を住まわせたのです。

ところが豊臣秀吉による北条征伐ののち、家康が関東八州に移封されると甲府城は豊臣秀勝が城主となります。
秀吉は最大のライバルであった家康を大阪から遠ざけるとともに、甲府城に豊臣の武将を置くことによって家康を牽制したと言われています。

関ヶ原から100年間は徳川氏の城として別格扱いとされてきました。
城主、徳川綱豊は将軍の後継ぎとされ江戸に入り、改名して6代将軍家宣となりました。
その後は柳沢吉保が入り、幕領として明治維新を迎えます。







甲府城は入場料が無料です。しかも櫓や門、石垣の回収復元などに熱心です。
甲府市が甲府城にかける意気込みはすごいですね。
天守閣の再建も検討されているようですが、有無については論議があります。
城郭の古写真、古絵図等の発見には懸賞がかけられているケースが多くあります。
甲府城天守閣もそのケースらしいです。





力が一番かかる石垣の角部には「算木積み」と言いまして、石の長い方と短い方を交互に組み合わせて積んでいく方法がとられています。
こういう築城術を見て、古き時代に思いをはせると楽しいですね。







日本100名城スタンプラリーのスタンプは舞鶴城公園管理事務所か稲荷櫓にあります。
稲荷櫓は資料館も兼ねています。
管理人さんに声をかけてスタンプを貸してもらいましょう。

武田氏館、甲府城と山梨県の城を訪ねてみました。
これで山梨県の100名城を制覇、千葉、神奈川に続き山梨を制覇して4つ目のスタンプゲットです。
再来週に東京に所要あり、江戸城のスタンプをいただく予定でおります。

佐倉城、小田原城、武田氏館、甲府城