旅の3日目の城です。
関ヶ原の戦いの軍功で石田三成の領地、佐和山18万石を与えられた徳川四天王の一人、井伊直政は石田三成のことが嫌いであったため、佐和山の城を廃し、近くに新たに築城することを望んでいました。
直政自身も関ヶ原の銃創が元で破傷風に苦しみ、関ヶ原の2年後に死亡します。
その後、井伊家家臣が徳川家康に相談して直政の遺志を継いで建てられたのが彦根城です。
彦根城は徳川家譜代大名の城にもかかわらず、7か国12大名(15大名とも)が手伝いを命じられる天下普請で建てられました。
これは異例中の異例で、井伊直政に対する家康の信頼感、かつての奉公が為せたといって過言は無いでしょう。
井伊家はのちに35万石まで加増され、代々幕府を支える要職を担うことになります。
彦根城の築城はコストとスピード重視ということで近隣の観音寺、佐和山、長浜、大津城などの廃城から資材を集めたり、移築したりして建てられたといわれています。築城は最終的には20年かかりました。
彦根周辺は戦略的にもとても重要な拠点で、過去に壬申の乱、関ヶ原の戦い、姉川の戦い、賤ヶ岳の戦いなど大きな戦が起きており、また東国の入り口にあたる地を井伊家に守らせたのは西国の豊臣、毛利、島津などの大大名に備えた布陣となります。
今回は入った駐車場の関係で大手門口から登城しました。
スタンプは別の門、表門の入場券売り場にあるのですが帰りに押すことにしまして大手門から。
そのおかげで長~い坂を登る羽目になりました。暑さ厳しき体に堪えます。
彦根城では竹の杖を貸してくれるので利用しても良いでしょう。
天秤櫓は軍事上の重要な備え、コの字型の櫓は他に類を見ないものです。
門のように見えますが入口は橋のみでつながっており、有事の時は橋を落とせば敵が入ってこれない仕組みになっています。
嘉永年間の改修時に左部分だけ石垣を積み替えており、右と左の石垣の積み方が違うところが見所と言って良いでしょう。
天秤櫓は内部も見学でき、重要文化財に指定されています。
彦根城といえば、、ひこにゃんなんですが1日3回現れるようです。
今回は時間の都合で会えませんでした。
井伊の赤備えと言われる赤い鎧兜をかぶったひこにゃんに会いにいくのもいいですね。
スタンプは表門でゲットです。手押しのスタンプでした。
これで国宝4城(姫路、松本、犬山、彦根)は回ったことになります。
ただし、姫路、松本はスタンプがありません。旅は続くのです。