goo blog サービス終了のお知らせ 

半農半漁、自給自足生活への挑戦

自給自足生活をめざす釣り、家庭菜園、養蜂の話です。
趣味のギターや三線のことも少しづつ。

武田氏館【躑躅ヶ崎館】(日本100名城24番)

2012年06月17日 | 日本100名城スタンプラリー



山梨県甲府市に武田信虎・信玄・勝頼3代にわたる武田氏の居館があります。
現在は武田信玄を祭る武田神社として参拝客を迎えますが、中世の武家の居館であります。
朝8時半に家を出発、相模湖インターから中央高速に乗り2時間半、一気に走って到着しました。
道のりはアップダウン、カーブが多くて疲れます。







「人は城、人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」

と武田信玄作の和歌で伝えられる通り、武田信玄は城を作らなかったことで知られています。
躑躅ヶ崎館も水掘りに土塁のみ、石垣(正面のは後世のもの)も天守閣もありません。
本当に城ではなく居館というのが似合っています。
城を作る替わりに「人は石垣、人は城、人は堀」の言葉、それは武田二十四将という結束の固い家臣団を作り上げたのです。

信玄は城にかけるお金を使わず、民のために治水工事を行い、信玄堤を完成させました。
統治する領地に住む民の心を掌握することも「人は城・・・」の心から来るものです。






日本100名城スタンプラリーのスタンプは宝物殿の受付にあります。
おそらく宝物殿(有料)に入館しなくても押せると思いますが、館内には信玄の功績を江戸時代にまとめた書物の甲陽軍鑑、そしてあの有名な風林火山の旗印も展示してあります。実物の旗印は想像以上に大きかったです。
信玄公の墓碑の拓本などもあり、興味のある方は入った方が良いかと思います。
武田氏館の3キロ隣には日本100名城25番、甲府城があります。

小田原城(日本100名城23番)

2012年06月11日 | 日本100名城スタンプラリー



小田原城は北条早雲を祖とする後北条氏の居城として有名です。
二代氏綱、三代氏康、四代氏政が拡張した関東の領土は最大期240万石とも言われてます。

豊臣秀吉による小田原征討は秀吉の天下統一最後の大仕事になりました。
北条氏を滅ぼしたことにより北条氏以東の関東大名、東北大名が秀吉に従順を示したからです。
秀吉は小田原城を兵糧攻めにすると共に、秀吉に帰順していない大名に戦陣に馳せ参じるように命令して秀吉に忠誠を誓うことをさせています。
それは馳せ参じない大名は滅ぼすの意であったとのことです。






北条氏滅亡後、関八州を与えられた徳川家康は江戸に城を築き、小田原城は家臣の大久保氏が守り、のちに箱根の関所を管理する重要な藩として幕末期まで存続します。
秀吉にとって最大の敵は家康であったため、京、大阪から家康を遠ざける必要があったからです。
家康としても配置換えは本位でなく、家康の人生の中で苦難の一時として考えられています。
今日、東京が日本の首都として機能しているのは、秀吉のこの施策があったからなのです。






小田原城天守閣は昭和35年に再建されたコンクリート製ですが、外観は1706年製の雛形に酷似しており、当時の様子をうかがい知ることはできます。
城内は武家社会を知る上での展示品が豊富で見て損は無いと思います。

現在、小田原市では、城の中心部を江戸末期の姿に復元することを計画しており、天守の復興を手始めに(昭和46年)には常盤木門(ときわぎもん)(外観復元)、(平成9年)には銅門(あかがねもん)、(平成21年)には馬出門を復元しました。
幕末期、明治初期の古写真による復元は全国各地で行われているものです。

発掘にもとづいても研究が進み、昨年、大発見といわれる弓が発掘されました。

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1102150019/


平成18年、日本100名城(23番)に選定され、初期の大阪城より巨大とされた近世の大城郭としてこれからも名を残していくことでしょう。





ゴールデンウィークに訪れた千葉県の佐倉城に続き、2個目のスタンプをゲットしました。
千葉県と神奈川県は100名城の指定が1つづつですので千葉県と神奈川県は終わりです。

日本100名城スタンプラリーを佐倉城から

2012年05月06日 | 日本100名城スタンプラリー



日本100名城というのが数年前に選定されました。
かつていろんな基準でいろんな人が勝手に選定してきたのですが、財団法人日本城郭協会が平成19年に正式に選定したのです。
選定方法はいわゆるファン投票もまじえ、専門家が歴史的に重要な居城、建築物として芸術的な城、様々な観点から選定したものです。
また各都道府県から最低一つは選定されています。

この選定に伴い、スタンプラリーが始まり、本を買うと専用のスタンプ帳がついてくるのです。





千葉県の佐倉市にある佐倉城は近世の城で、江戸幕府が開かれて間もなく、北の備えとして築かれた城です。
おそらく伊達氏対策として築城されたものでしょう。
入居していたのは徳川恩顧の譜代大名で堀田氏、土井氏、松平氏が治めていました。
堀田氏や土井氏は大老や老中も務めた幕閣の中心人物です。

佐倉城は100名城への推薦票数は少なかったようで、二次選考で馬出の遺構の復元、城跡保存状況が評価され選定されました。
千葉県では唯一の選定となっています。









佐倉城址公園管理センターは公園のはずれのプレハブの中にありました。
私にとって第1号のスタンプをしっかりと押しました。
ここからスタンプラリーがスタートしたのです。

ところで、私は城が好きで数々めぐっておりますが、このスタンプラリーを今までやってきませんでした。
100名城のうち津和野城、備中松山城、水戸城、小田原城、小諸城、姫路城、松江城、津山城、岡山城、萩城、丸亀城、松山城、首里城、足利氏館、江戸城、松本城、赤穂城、広島城、高松城、大阪城の20城を再び行かなければなりません。
特に去年訪れた丸亀城、備中松山城は二度と行きたくないほど坂登りがきついので泣けてきます。
気を取り直して今夏は中部地方の城を攻めようと思っています。