そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

武士の一分(いちぶん)

2006年12月23日 | 人間/社会派ドラマ

2006年 日本 121分
2006.12.15 TOHOシネマズ緑井
■監督 山田洋次
■出演
  木村拓哉(三村新之丞)  檀れい(三村加世)
  笹野高史(徳平)  小林稔侍(樋口作之助)
  赤塚真人(山崎兵太)  綾田俊樹(滝川勘十郎)
  近藤公園(加賀山嘉右衛門)
  岡本信人(波多野東吾)  左時枝(滝川つね)
  大地康雄(玄斎)  緒形拳(木部孫八郎)
  桃井かおり(波多野以寧)
  坂東三津五郎[10代目] (島田藤弥)

《story》

「譲らない心。譲れない愛」

「命をかけて守りたい愛がある」

海坂藩で下級武士である三村新之丞は毒味役を務めていた。ある日、貝の毒にあたり意識不明になってしまう。命は取り留めたものの、三日後に目を覚ました新之丞は目が見えなくなっていた。武士として生きて行くことどころか衣食住もままならない新之丞は命を絶とうとするが、彼を思う妻の加代が死ぬのをとどまらせた。しかし、このままでは暮らしが成り立たず、加代は番頭、島田藤弥に相談に行く。その後、新之丞は禄はそのまま、生涯養生せよとの達しが下る。それから加代の不審な行動に疑念を持ち始めた新之丞は、源助に加代をつけさせ、島田との密会をつきとめる。新之丞は加代を離縁する。新之丞は剣を持ち、武士の一分かけた戦いを決意する。

いい映画だと思うけど
木村拓哉の縁起がいいとかどうとか言われているけど、私はこれでいいと思う。よほど下手だと見る気をなくすけど、一生懸命にがんばってることはよくわかった。それだけでいい。彼特有の息を抜いて笑うシーンが数度あった。物干しに頭をぶつけるシ-ンでジョークを言うシーンもあった。それもいいんじゃないかな。新しい木村拓哉を感じさせるものもたくさんあった。見た目のかっこよさではなく、貧しさの中の一生懸命さが感じられた。私は映画は好きだけど、細かいところはよくわからないし、専門的なこともわからない。心に響けばそれでいい。そしてよほどまずくなければ、たいがいOKだ。この作品も保存しておきたい一つだ。

許せないのは・・・
やっぱり信じていた妻の加代に対して、怒りか悔しさか、どうしようもないいらだたしさがふくれあがってくる。その事情がわからないからかもしれないけど、きっと自分の今の状態とつながっていることは、何となくわかっていて、自分への怒りもあったと思う。武士だけに限らず、愛する心を砕く者は、どうしようもなく自分の心を落ち着かすことができない。武士はいつもは冷静で、武士としての威厳を保っている。切腹のシーンもあったが、たとえ自分の腹を切らなければならなくとも、逃げ出すことなく、向かっていかなければいけない。しかし、人を愛する心だけは人に踏みにじられたくないと言いたいのだと思う。特に貧しい下級武士ほど、武士としての誇りと唯一大切に思う家族だから。権力を振りかざし、自分の欲望を満足させる人間には怒りがこみ上げてくる。それは昔も今も同じだ。それに、自分の愛する家族が傷つけられたら、許せないと思って当然だよ。

目が見えないということ
映画が好きでよく見るけど、実は今のうちにたくさん見ておこうと思って、見たい映画は無理して見ている。視力が落ちているような感じを受けるから。眼科に行っても、何でもなく、視力は落ちていないと言われる。でも、見えにくく感じる。精神的なものなのか。年のせいなのか。遠くも近くも見えなくなって不安が広がる。学生時代も、ノーtに記録するほど映画を見ていた。でも、結婚して見なくなった。ここ数年、また見始めた。半分いやなことからの逃避のように、それでもスクリーンの中に入り込んで、満足感に浸れるから。また、ブログを通して記録を残す。今の自分の影も付け加えながら。もし視力を失ったら、映画はもちろん、好きな本も読めない。好きな写真も撮れない。生きる希望なんてなくなるだろう。私には、加代のように支えてくれる人もいない。どこかでのたれ死ぬだけ。どっちみち先はない。今、好きなことをしたい。

公式サイト「武士の一分」