そよかぜから-映画

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硫黄島からの手紙

2006年12月26日 | 人間/社会派ドラマ


2006年 アメリカ 141分
2006.12.23 TOHO緑井
■監督 クリント・イーストウッド
■出演
  渡辺謙(栗林忠道中将)  二宮和也(西郷)
  伊原剛志(バロン西)  加瀬亮(清水)
  松崎悠希 、中村獅童(伊藤中尉)
  裕木奈江(花子)

《story》

「世界が忘れてはいけない島がある」

『父親たちの星条旗』と2部作。こちらは硫黄島における日本側からの視点で制作。
2006年、硫黄島の地下司令部の土の中から、何百通もの手紙が発見される。それは硫黄島で玉砕した兵士たちが家族にあてたものだった。
1944年6月、栗林中将が赴任する。彼は、島の様子をしらべ、戦況を踏まえ、今までの作戦を変更し、地下要塞を築こうとした。また、部下への態度も改めさせた。二宮たちは、しんどいながらも生きる希望を持つことができた。そして、アメリカ軍が上陸してきた。

大竹市の入山市長-米空母艦載機の移転容認
えーっ、ということは広島の空を怪しげなジェット機が飛ぶということだ。宮島も騒音や空の不安がふくらむということだ。他人の国だから、住民がどんなに困ろうと、アメリカには関係ないしね。なんかくやしいのは、結局お金がそこに関わっているということだ。政府はお金をちらつかせ、認めなければやらんぞ、削減するぞと脅していることだ。まさに『いじめ』だ。本当にいいのかどうなのかを考えたり、話し合ったりすることなく、まるでお代官様みたいに、わしの言うこと聞け、お金をちらつかせることが許せない。こうして、戦争に近づいていくんだと思う。
財政難のことだって、勝手に税金の無駄遣いして借金を作って、そのしわよせを住民にまわしているだけ。だれかがどこかで懐にお金を入れている光景が目に浮かぶ。国の借金だって、消費税で返すんじゃなくて、どうして大企業や銀行から取ろうとしないのか不思議だ。大企業からは反対に減税しようとしているんだって。変な国。だれかがどこかでお金もうけができるとき、それは戦争ができるとき。教育基本法も改正されたし、いずれ憲法9条も改正され、徴兵制もひかれて、堂々と戦争ができる国になるんだろうな。

やっぱり戦争にかかわるすべてのものがイヤ
ヒロシマ生まれのヒロシマ育ち、それはある意味で誇れること。いつも戦争の恐怖と隣り合わせだから。平和公園や資料館には何度も足を運ぶ。新聞には、原爆に関することがよく載せられる。近親者に被爆者がたくさんいる。北朝鮮から攻められたらどうする? と聞かれたら、何もしない。武器そのものがいやだ。けんかそのものがいやだ。人を殺すことがいやだ。どうしようもなくなる前に、何か戦争を避ける方法があるはずだ。遠くの出来事のように、戦争するしかないなんて言えない。殺すのも、殺されるのもいやだ。自分が銃を持って、硫黄島の洞窟から誰かをねらっている。その自分を、だれかがまたねらっている。そんなことを想像したら、だれがなんと言おうと戦争はいやだ。

クリント・イーストウッドってすごい人なんだな
あらためて感じた。この間、「ダーティー・ハリー」や「ミリオンダラー・ベビー」を見た。ただおもしろくではなく、どこかに思いがかくされている。伝えたい何かがある。硫黄島に目をつけたところがすばらしい。視点を変えれば、どちらも主人公。どちらも加害者だし、どちらも被害者だ。それが戦争だ。正義も悪もない。恐怖と悲しみが渦巻いているだけ。そして、遠く離れたところで、駒をすすめる者がいる。
日本語がわからない中で、日本語ばかりの台詞で、よく映画が撮れたものだと思う。言葉の端に出る感情の微妙なちがいなどわからないだろうけど、映画を見る限りはそれほど違和感はなかった。西郷の現代的な言い方が少し気になった。昔の若者にもあんなしゃべり方をする人がいたんだろうか。

結局生き残ったのは
西郷とあの伊藤中尉なのかな。爆弾抱えて死のうとして死ねなかった彼はあわれかな。生きようとして生き残ることができた西郷と対照的だ。

公式サイト「硫黄島からの手紙」