■2006年 イタリア 121分
■原題「LA SCONOSCIUTA/THE UNKNOWN WOMAN」
■2008.12.14 DVD
■監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
■出演
クセニア・ラパポルト(イレーナ)
ミケーレ・プラチド(ムッファ“黒カビ”)
クラウディア・ジェリーニ(ヴァレリア・アダケル)
ピエラ・デッリ・エスポスティ(ジーナ)
アレッサンドロ・ヘイベル(マッテオ)
クララ・ドッセーナ(テア・アダルケ)
アンヘラ・モリーナ(ルクレッツァ)
マルゲリータ・ブイ(弁護士)
ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ
(ドナート・アダルケ)
《story》
「女は哀しみを食べて生きている」
「母の愛は、いつどんなときも 強く揺るぎのないものなのです」
イタリアのトリエステ。長距離バスから降り立ったイレーナ。高級レジデンスの管理人に、ここで仕事がないか尋ねる。「ないね」とそっけなく答えたものの、悲哀のこもった背中に「階段の共通部分なら」と答える。イレーナは、向かいのボロアパートに部屋を借り、このレジデンスを監視し、ある家族を見つめる。貴金属商を営むアダケル夫妻と4才の娘テア。イレーナはその家庭に入り込まなければならない理由があった。イレーナは、階段を清掃中、アダケル夫妻のメイドのジーナが降りていくときに足を引っかける。ジーナは重度の障害を負い寝たきりとなる。メイドとして新しく入ったイレーナは、テアが自分の娘である証拠を捜す。そして、自己防衛本能に障害のあるテアを密かに見守り鍛えていく。厳しい練習をしながらもテアはイレーナを受け入れていく。かつてイレーナを奴隷として妊娠させ生まれた赤ん坊を売るという商売をしていた黒カビが、イレーナの前に現れる。イレーナは、黒カビを刺して逃げたのだが、彼は生きていて、イレーナが盗んだ金を要求した。そして、阻むイレーナを陥れようと、テアの母親の運転する車に細工し、殺してしまう。警察に捕まったイレーナは、黒カビを殺し埋めたことを白状する。そして今までの過酷な体験、テアを自分の娘として愛おしんできたことを告白する。しかし、テアは自分の娘ではなかった。数年が経ち、刑務所から出所するイレーナ、そこには大きく成長したテアの姿があった。
娘を必死で思う気持ち
自分のお腹をいためて生んだ子どもだから、きっとどの子も大切な存在にちがいない。男にはわからない、命のつながりがそこにある。ただの商売の道具にしか考えない黒カビのような男もいる。こんなことが現実に行われているとしたら、あの『闇の子供たち』と同じ、命の売買だ。それでも子どもを買う人間が存在する。売り手と買い手がかみ合っているのだ。しかし、母親は涙をかみ殺しながらも、やはり自分が生んだ子どもへの思いは強く深く刻まれているにちがいない。イレーナも、子どもに会いたいが一心で、多くの犯罪に手を染めてしまった。自分が生んだ子どものそばにいたいという思いから。結果的に、テアは自分の子どもではなかった。しかし、愛した。愛したという事実は、たとえ自分の子どもではなくても、子どもを愛する母親の気持ちと同じだった。自分の子どもじゃないから愛せなくなったのではないところに、人は関わることで心をつなぐのだということがわかる。それも、イレーナだからかもしれない。イレーナが、深く関わったからかもしれない。
宴会があった。口べたな私が結構話ができたことに満足。中にはすごい芸人がいるものだと思う。日頃はそれほどおもしろいことを言うわけでもないのに、密かに練習して芸を披露する。たとえ、順番が来てやらなければいけないから仕方なく準備したにすても、会場を湧かせるだけの芸達者ぶり。もし自分にやれと言われたら、きっとずっと悩み続けて、当日欠席するかも。演技力は、人生を楽しく明るくしてくれる。人を傷つけることを心配するあまり、黙り込んでしまったらおもしろくない。傷つけないように気をつけることは必要。でも、思い切ってちょっと冗談を言い、少し羽目を外して何かをしてみれば・・・・あとで後悔するかな。