心が暴れる

2009年08月02日 | 仕事 -

人は、時々“心が暴れる”ときがある。

いつもの感じ(雰囲気)ではないと、周りの人間には完全に感じるのだが、
当の本人は気がついていないことが多い。
精神状態が、いつもよりはちょっとだけ“過激”になっているように感じる。
まさに、その人の「心」が、“冷たく荒れる日本海のようなもの”である。


思い通りにならない“もどかしさ”が、積もり積もったのか・・・
相当、将来に対する不安を感じているのか・・・
あるいは、個人的なトラブルを抱えているのか・・・
ただ、ただ、身体が疲れているだけなのか・・・
理由は、わからずとも、何らかの要因によって、“心は暴れている”ようだ。



心が暴れている状況を、具体的に列挙すると、
1) 愚痴を、絶え間なく言う
2) 具体的な人の悪口を言う (そして、自分が被害者として主張する)
3) 相手の話を最後まで聴かずに、さえぎる (そして、自分流に解釈する)
4) 人の話は、まずネガティブな姿勢で、聴いている (そして、否定する)
5) 自己を正当化する (自分の意見は押し通そうとする)
6) 他人のプライバシーに興味をそそぎすぎる (そして、自分と比べている)
7) 人に対するデリカシーが欠落する (厳しい、気遣いのない言動になる)
8) 自分以外の他人やモノなど、すべてに対して否定する傾向が強い
9) ささいなことにも、こだわりを主張して、固執する
10)話し合いの時に、すぐ興奮して、喧嘩越しのようになる
   (とにかく、すべてに対して興奮しやすく、キレやすくなっている)



私には、心の奥底にたまっている「自分を認めてくれよ~」という、かすかな
声が聞こえてきそうな気がしてならない。

何に対しても素直な受け取り方ができず、他人の提言や進言にも耳をかさず、
ただ、自分の世界に「壁」のようなものをつくりこんでいる。

本人は、全く“心が暴れている状態”だとは認識していないし、いつものように
時間を過ごしていると感じているので、周りの人間にとってみれば、どうしても
気を遣うことになってしまう。
ミーティングや、プロジェクトの最中であれば尚のこと、相当“気を遣う”。
立場のある人であれば、殊更、周囲の人間のストレスはたまってしまうのだ。

その先に、どのような現象が待っているのかというと・・・
「もう、この人と仕事をしたくない」という感想を、周りに与えてしまう現実!
「説明しても聴いてくれないだろう」「話をするだけ無駄だろう」というような
複雑な心境に、周囲の人々がなってしまうからだろう。
(残念ながら、本人が全く気がつかないところで・・・)



これは、人間関係にかかわるすべての状況に当てはまる。

だからこそ、もしも・・・自分の「心」が暴れそうになった時は、
その予測をすばやく自分自身でキャッチし、それ相当の対処とコントロールが
必要になってくる。
「大人」としての毅然とした対応と判断をできるだけの精神力を維持するために!

それには・・・・
「感じる力」と、「相手を知る好奇心」が、より経験を高めてくれるかもしれず、
何よりも「すべてが自分の思い通りになる」という考えは捨てた方が、楽な生活
&楽な精神状態が送れるように思う。



しかし、心が完全に暴れまくっている人に対して、当方(周囲の人々)としては、
「いやぁ~、暴れていますね~」「今日はどうしたんですか?」とは言えず、
それなりの対応を迫られるのが、この人間社会なので、自分の人間力が問われる
ように、おのずと出来上がっているようである。
それが、ある意味で「社会人」としての力量という判断基準としても評される。


私の経験上、暴れている時には適切な対処をしておき、その人の心模様が少し
落ちついたら、「その時」のことを、冷静に、相手を問い詰めず、否定せず、
分析せず、評価もすることなく、ひそかに伝えてあげるのがベターだと思う。
それも、非常に“おだやかに”・・・・。
心が暴れている時は、本人の中では「何も受け容れられない状況(状態)」に、
なってしまっている場合が多いからだ。


しかし、客観的に判断させていただくと(私的には、物事の流れをとらえる時)
「反面教師」のように、そういう人からは、学ぶ要素が多いのも事実である。

昨日の経験をふまえて、一言、心が暴れていた“ある人”のことを記しておく。
自分が暴れそうになったときのために・・・。