他人のご厚情

2009年08月13日 | 人物 -
人の有難さを感じる時、どのように気持ちを伝えて、どのような御礼をしたら、
良いのかと・・・考える。
今回もまた、心にしみわたる“他人のご厚情”を耳にした。



今朝、親戚の叔母(父の姉)から聞いたことである。
四国にある実家(広い敷地にある古い旧式の家である)の敷地(玄関先や庭)を
隣のおじさんが「お盆」のためだろうか・・・草むしりをしてくださっていたと
いうことらしい。
むしろを敷いて、地べたに座り込んで、ゆっくりと雑草を取り除いて・・・
我が実家の玄関先と庭を、とても綺麗にしてくださっていたというのである。
隣家のおじさんは、父と同い年だから、もうかなりご高齢だ。

このおじさんご夫婦には、お世話になりっぱなしである。

ただ、隣家というだけで・・・ただ、父と同級生というだけで・・・
そこまでやってくださるものだろうか・・・・

年を経るごとに、隣家のご夫婦の「心遣い」が胸にしみるようになった。
本当に、心から有難い。
今回のことも、今年に限ったことではない。


父を亡くしてからは、私が一人で帰ると、顔を見るなり、泣き出すおばさん。
「私も、もういつまでか、わからんけんどな、元気なうちはなぁ・・・」
そう言って、何度か同じような昔話につきあってくれる。


今年も、すでに親戚がお墓参りをしたときには、新しい花が我が墓地に飾られ、
毎日のように、隣のおじさんやおばさんがお水を替えてくれていると・・・いう。
「遠くの親戚よりも、近くの他人!」とは、よく言ったもので・・・
まさに、その言葉のとおりである。



父を介護するために当地につれてきた最初の数年は、3ヶ月に一度は四国に
父と一緒に帰省していたので、そのたびに会っていた隣家のご夫婦である。

おじさんは、いつも言う。
「運動のためじゃけんなぁ。わしが好きでやっとるんじゃけんな、気にせんで!」
「いつまで、できでるかわからんけんど、まあ、できるうちはな・・・」



生前、母を亡くしてからの父が、数年間、四国で一人暮らしをした。
父は、余った時間は畑仕事を趣味として、大根や人参などの野菜が出来ると
隣のおじさん宅に届け、そして、植木鉢造りをおじさんから教わったりして・・・
(時間つぶしのように)頻繁に一緒に遊んでいた。



時間は、もどりはしないが・・・生前の両親がどのような「お付き合い」を
してきたのかが偲ばれるエピソードである。

本当に、有難く、身に余る気持ちでいっぱいになる。

両親から引き継がれた「お付き合い」は、私が守っていくことになる。
遠く離れていて、思うようにままならない「お付き合い」ではあるが・・・
今は、ただ単なる御礼の言葉を連ねるだけでも、いつか必ず、このご恩には
あらゆるカタチをもって報いるつもりである。
思っていることは、言葉にしないと、相手には伝わらない。
有難い気持ちは、伝え続けながら、「御礼」を言わなければ意味がない。
受けた実際のご恩は、同じように返さないと、人間として恥かしいことである。


また、今年中には、ゆっくりと帰省するつもりだが・・・
とても有難くて、またご夫婦に会うと、懐かしさもあり、泣いてしまいそうだ。



我が故郷には、この数日間「阿波踊り」のお囃子が、鳴り響いていることだろう。
           <8月12日~15日>