カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

<topclass>11月号、カン・ドンウォンのインタビュー

2014-10-16 22:13:42 | ドキドキ私の人生

 韓国の雑誌<topclass>11月号に載った、カン・ドンウォンのインタビュー

 

 

内容的には、今までのインタビューのまとめみたいな感じです…





やっぱり、記者さんも感じたようです



ドンくんが変わったこと…

 

 

 

 

 

<topclass>11月号

 

 

 

 

表紙がチルボンだ~!!!




ドラマ「応答せよ1994」の役名、俳優ユ・ヨンソクwww


 

 

 

 


 

青春を享受することが出来なかったテスは実際に出てきた中で最も似ていたキャラクター

映画主人公カン・ドンウォン

http://topclass.chosun.com/board/view.asp?catecode=I&tnu=201410100001 



テス(カン・ドンウォン)はテコンドーの有望株で彼のガールフレンド ミラ(ソン・ヘギョ)は歌手を夢見る。 かれらは十七才で赤ん坊を持って、赤ん坊の名前を‘アルム’(チョ・ソンモク)とつける。 アルムを産んだ後テスは生計を、ミラアは育児を担当する。 はやく老いる先天性早老症にかかったアルムは十六才で八十才のからだを持つようになる。 (監督イ・ジェヨン)は青春を享受することが出来なかった幼い両親と老いた息子の映画だ。 キム・エランの同名小説が原作だ。

写真提供:CJ E&M

 

十七才の高校生テスと三十三才のお父さんのテスを同時に演技したカン・ドンウォン. テスと同年齢でもある彼は“今までした役の中でテスが最も似ていた”とした。 “そそっかしいのも、物心ないのも、まぬけなところがあるのも似ている”として“ゲームが好きなことすら似ている”とした。 ‘スタークラフト’と‘ウィニング イレブン’(サッカーゲーム)のようなものを楽しんだ。 “もうこれ以上一緒にする人がいなくてとてもたくさんしたためにうんざりして”彼はこの頃ゲームをほとんどしない。

テスとカン・ドンウォンの共通点を一つ加えるなら二人とも青春をまともに享受することができなかったということ。 テスは息子の治療費と生活費のためにタクシーの運転をしながら、私設警備のアルバイトをする。 カン・ドンウォンは“高等学校の時は大学入試のために生きて大学に入るやいなや何をしなければならないのか悩む前に仕事(モデル)を始めた。 その後はほとんど休まないで仕事をした”とした。 カン・ドンウォンは大学1学年(2000年)の冬休み、路上キャスティングで移動通信社のCFに出演して芸能界と縁を結んだ。 彼はまもなく各種ファッション雑誌とファッションショーの舞台を縫ったし、フランス プレタポルテ ファッションショーの舞台提案も受けた。 しかしモデルで仕事を始める時から彼の目標は演技者であった。 色々なオーディションの最後にドラマ<威風堂々な彼女>(2003)にキャスティングされた。 慎ましい慶尚道(キョンサンド)なまりを駆使したイケメン医師はすぐに視聴者の目につき、ドラマ<1%の奇跡>(2003)では主演をつかんだ。


<オオカミの誘惑>で‘美男シンドローム’

 

 

 

ドラマで認知度を高めた彼は2004年ロマンチックコメディ映画<彼女を信じないでください>の田舎薬剤師でスクリーンに第一歩を踏み入れる。 財閥2世と医師役によく似合いそうな彼は純朴な身なりで人々に合って、‘オールバック’頭をしながら青唐辛子までかんで飲み込んだ。 屈辱はすぐ終わった。 その年の夏封切りした<オオカミの誘惑>でカン・ドンウォンは一種のシンドロームを起こした。 インターネット小説が原作だったこの青春ロマンスはあまりよい評価を受けなかったが、観客は意に介さなかった。 240万人を動員して興行にも成功した。 ゆっくり上げる傘の向こう側でそっと笑うカン・ドンウォンが初めて姿を表わして“姉さん、僕テソンだ。 僕を知らない?”と言った瞬間、女性観客は大きい感嘆の声をだした。 画面の中のカン・ドンウォンに向かって手を差し出す人がいるかと思えば、スクリーンに対して写真を撮ったりした。

カン・ドンウォンは<オオカミの誘惑>を通じて形成された青春スターのイメージが消耗する前に、適用可能な‘俳優’にならなければならないというのを自ら悟ったように行動した。 これ以上‘かわいらしくて神秘的な兄さん’役は受けないでイメージの振幅を調節し始めた。

超能力者(<超能力者>),南に送り込まれたスパイ(<義兄弟>),死刑囚(<私たちの幸せな時間>),チョン・ウチ(<チョン・ウチ>)を経て先月封切りした<群盗:騒動の時代>では途方もない武術の実力を持つ悪党‘チョ・ユン’役を担った。 自らも“今まで一番たくさん着たのが韓服”というほど彼は史劇で刃物を振り回す役割をたくさん引き受けた。 <デュエリスト>では言葉がなく目で話して剣で代わりに感情を伝える武士であった。 この役のために現代舞踊まで習った彼は長剣を踊るように振り回した。 <あいつの声>では誘拐犯の声でだけで出演するのを拒まなかった。 太くて低い彼の声は口調からそっと染み出る慶尚道(キョンサンド)なまりと交わって多様に活用されている。 この映画では実際の犯人の声と89.6%一致するほど似ていた。 子供の両親役を担ったソル・キョングとキム・ナムジュは“電話の脅迫があまりにも実感できて、後で撮影でない普段でもカン・ドンウォンの声を聞くと、とても憎くて怒りが込み上げた”とした。 だが、本来カン・ドンウォンは声の演技の話をする時当時を回想して“お金を置いて行け”というセリフをまたするほど調子にのった。

“人々は私に作品をたくさんしろというが、私は今まで合計18編に出演しました。 軍服務の期間を除けばデビュー後1年に1,2編はしたわけです。 私は撮影会場にいるのが最も良くて、演技することがおもしろいです。 他のことには別に関心がありません。”

 

 

 

彼が演技をしないのは軍服務期間と“自身の意志とは関係なく1年間仕事をできなかった時”だけだ。 その1年の間にカン・ドンウォンは家具作りを習った。 鏡が必要で買いに行ったが、とても高くて自ら作って使おうと始めたのだ。 やはり“始めたことはしまいまで見届けなければならない性格”のために1年の間狂ったように家具だけ作った。 先生が彼に大工をしないかと薦めたほどだ。 軍服務の時も“演技をとてもしたくて大変だった”とした。 除隊以後すぐに演技がしたかった瞬間、初めて入ってきた仕事が雑誌のグラビアえ撮影だった。 イ・ミョンセ監督にお願いして写真ではなく、動画でグラビアを撮影した。 そしてすぐに<群盗>の撮影のための武術練習に入った。 彼に“そんなに欲を出して熱心に生きて疲れないのか”と尋ねた。 彼は首を縦に振って“以前はストレスをたくさん受けたがいまやっと少し楽になろうとしています。 この頃は難しい場面とる前日は‘リラックスしなければならないから酒でも飲んで寝なければならない’というほどになりました”と答えた。

“以前は撮影して山で焚き火をしてさつまいもを焼いたことがあります。 ユ・ヘジン先輩が‘20代の時は旅行にも行って少しは遊んだか’と尋ねました。 顧みると激しく働いた記憶だけです。 少し惜しいけれど元に戻すことができないので、戻りたくもありません。 戻るならば女性にたくさん会ってみようか、はっは。 冗談です。”


始めると最後まで行く

 

 

 

“じっさいに夢がなかった”としながらこのように青春を捧げて仕事をした理由は何か。 カン・ドンウォンは“仕事を始めれば生き残って成功をしなければならないですね。 何でも始めればしまいまで見届けなければならない性格です。 勝負欲が強い方”といった。 <群盗:騒動の時代>が477万観客を動員して損益分岐点を越えたのに彼は“期待ほど興行できなくてうつ病になるほどだった。 なぜ多くの観客がこの映画を受け入れないのかしばらく悩んで反省した”とした。

テスはカン・ドンウォンが演技したキャラクターのうちで最も平凡だ。 10代でパパになり、不治の病にかかった息子を見守る役を平凡だというほど彼は今まで非現実的なキャラクターを演技してきた。 ひょろひょろなほど大きい身長と少女漫画から飛び出してきたような顔付き、そして涼しくてシャープな目元もここに一役買った。 どんな役でも今までカン・ドンウォンが演技した人物は手を伸ばしてもつかむことができないと思うくらい神秘さを大事に保管していた。 <群盗>で長い髪を仙女のように解き放した場面では一部の男性観客まで“美しい”と感心した。

カン・ドンウォンは“映画を選択する時はシナリオの完成度と監督の演出力を見る”とした。 彼は同じ年頃の俳優に比べて唯一チェ・ドンフン、チャン・フン、ユン・ジョンビン監督など大衆と評壇に均等の支持を受ける監督らと作業を共にした。 <チョン・ウチ>の場合にはシナリオを見ない状態でチェ・ドンフン監督の提案だけでキャスティングがされた。 4年の空白後初めての復帰作で<群盗:騒動の時代>を選んだのも“ユン・ジョンビン監督と話を交わしてみた後‘この人は平凡でない。 映画をよくとる’という気がした。

 

 

 

復帰作に史劇を選んだ特別な理由はない。 “監督に対する信頼が大きかった”というほどだ。 <ドキドキ私の人生>に接することになったのは相手役であるソン・ヘギョのおかげだった。 二人は去る2010年チョン・ジュナン監督の映画<ラブ フォーセール>で呼吸を合わせた後親しいよしみを維持してきた。

“ソン・ヘギョさんに次の作品は何かと尋ねたところ<ドキドキ私の人生>と話しましたよ。 子供が早老症で両親は幼いという極端な状況という話を聞いて好奇心がでました。 興味深いと思いました。 しかもイ・ジェヨン監督が久しぶりにする商業映画という話を聞いてシナリオを見ることができるかを尋ねました。”

 

 

 

彼はバンコク行きの飛行機の中でシナリオを読んで五回程嗚咽した。 涙は出ても見られるのは恥ずかしくて最大限頭を下げた。 彼が涙ぐむ声を聞いた乗務員が“風邪をひどくひかれたようです”とおしぼりを渡した。 飛行機からおりた後監督から“シナリオを読んだか”というメールを受けた。 “一時間ほど悩んだ後に出演の有無を伝える”とした。 一時間悩んだ理由は“この作品は良いが私がこの作品をよく消化できるか悩む時間が必要だったため”だ。 結局6時間半後に出演を決めたわけだ。 彼は“シナリオが新作でないので良かったし、悲しい話なのに過去と現在を行き来するファンタジー的な要素もあった。 監督が表現しようと思うことがシナリオににじみ出ていた。 その上監督の前作である<スキャンダル:朝鮮男女相悦之詞>も<情事>も好きな作品だった。 断る理由がなかった”とした。

“原作小説は見ませんでした。 私はシナリオ外であれこれ探すよりシナリオ自体に集中する方です。 映画をたくさん見る方でもないよ。 情報が多ければかえって良くないようなので。”

<群盗:騒動の時代>でチョ・ユン役を担って素早い剣さばきを披露したカン・ドンウォンは当時鋭い悪人キャラクターを描くために体重を64kgまで減らした。 しかし<ドキドキ私の人生>では生計を立てるために努める平凡なお父さんキャラクターのために10kgほど体重を増やした。 作品に入って本来目標にした体重は76kg. しかしイ・ジェヨン監督と周辺スタッフの引き止めのために74kgで肥ることを止めなければならなかった。 (現在のカン・ドンウォンの体重は68kg)彼は“久しぶりに現実的なキャラクターを引き受けて気楽に演技した。 カメラアングルのようなことに神経を使わないので良かったよ”とした。 難しいことがあったとすれば“一度も経験したことがない両親の感情を引き出すこと”だった。 “お父さん(SPP重工業カン・チョルウ副社長)とは確実に気立てが優しいことも、遠くもない、ぴったり平凡な父子関係”といったが、撮影会場で息子役を担ったチョ・ソンモクともぴったりそのような関係であった。 カン・ドンウォンとチョ・ソンモクが二人一緒にいれば話す言葉がなかった。 “学校は行ってきたの?” “はい” “明日も行くの?” “明日土曜日です” “ア”、その後沈黙.


“父性演技難しくて私のお父さんを考えた”

 

 

 

“映画を撮ってお父さんになるとしたら、仮になるならどうかと思ったが想像が容易ではありませんでした。 ロールモデルに私のお父さんを考えて演技しました。 お父さんになるという考えはまだしたことはないが、実際に劇中のテスと似ていないでしょうか? 分別がないお父さんのことですよ。”

彼は“息子として33年生きたが両親としては一度も暮らしてみてなかった。 頭では理解できるのに心からにじみでないので時間がかかった”とした。 息子役を担った子役俳優チョ・ソンモクの‘パパ’という呼称にもびっくりした。 初めての出会いで“パパ”というので、やめてくれと言ったんだ。 彼はチョ・ソンモクに“演技は演技で、現実では兄と呼んでほしい”とお願いした。 息子を持つお父さんよりは息子としてお父さんに会う場面を易しく撮影した。 劇中でテスは息子から詩を受けて、しばらく縁を切っていたお父さん(キム・ガプス)を訪ねて行く。 その詩の内容はこうだ.

お父さん、私はお父さんになりたいです。
お父さんが尋ねる。
より良いことが多いが、なぜなのかと。
私は慎ましく小さく話す。
お父さん、私はお父さんに生まれて、再び私を産んだ後にお父さんの心を知りたいです。
お父さんが泣く。

お父さんに会う場面をリハーサルしながら彼は“感情が込み上げて、涙をこらえるのが難しくてとうていできないといった。 子供を育てる女優が子供が病気の場面をとる時に涙が出て死にそうだといったことが理解出来た。 結局リハーサルを止めてそのまますぐに撮影に入った”と話した。

カン・ドンウォンの返事はたいてい長くなかった。 映画の原作小説を見たかと尋ねれば“小説のような物は見ないです。 漫画本は見ます”と答える形だ。 不誠実というのではなく自身の返事に修飾や説明が必要ないと考えるほうにさらに近い。 それでも2007年あるインタビューで“再び韓国に生まれたら俳優をしない”とか“私にヒステリーなメンと一種の対人恐怖症のようなのがある”と言ったときに比べればとても明るくなった。 インタビューが終わる頃、好きなマンガ本に対して尋ねたところ彼は目を瞬間的に輝かせて“<<ワンピース>>と<<バガボンド>>”と答えた。 漫画に対する話はインタビュー時間が終わっても続いた。 息子にゲーム機を求めて締める三十三才のテスに、記者にこの頃は何の漫画がおもしろいのかと尋ねる三十三才のカン・ドンウォンが重なってみえる瞬間だった。

 

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