「ジュリアス・シーザー」はシェイクスピアの戯曲で広く知られている。
”ブルータス、お前もか!”の名言は人口に膾炙。
(ガイウス・ユリウス・カエサル) 原語名
ジュリアス・シーザー 英語表記
(マルクス・ユニウス・ブルトゥス)
マーカス・ブルータス
筋書きは、ローマの独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルに対する陰謀・暗殺とその死の余波が描かれている。
最も信頼していたマルクス・ユニウス・ブルトゥスもその陰謀の一員だったのでカエサルの最後の一言がこの名言になった。
一説には”息子よ、お前もか!”でブルトゥスはカエサルの隠し子だったとの事。
小学生の時に兄がこの言葉を説明して「人間は他人を(特に主君)を裏切っては人道に反する行為だと」教えてくれた。
そこで、考えた「シーザーは何故主君すらも裏切るような臣下ブルータスを信頼したのか?偉人としては人を見る眼が無かった」のではと応えた。
兄は「・・・・そんな見方をするのか!お前は偉い!」と言わせた。
最近”シーザー”が物語の中で出てきたので思い出した.
国内政局(中央・地方を問わず)”** よお前もか”現象は起きているのでは?
”生きるべきか、死すべきか。それが疑問だ” も良く使われる。
(これも、シェイクスピアの戯曲での台詞)
(To be, or not to be : that is the question)
日本の古代歴史でも「本能寺の変」があった。
織田信長と明智光秀の物語だ。
乱世の世に信長は戦闘指揮で移動中、少ない護衛で本能寺(京都市内)で宿泊中に配下の臣=光秀が謀反を起こし主君=信長を攻撃し、死に至らせした。
今に至るまで、光秀は主君殺しの悪逆な謀判者として悪者の印を負っている。
信長も不用心に行動し、光秀を忠臣と見なしていたことは歴史上余り責められない。一方的に光秀が悪る者だ。
地方により、明智光秀は名君と評されている!
歴史にIFは無いが「信長が天下統一をしていたなら!」 また、
「光秀が羽柴秀吉にかっていたなら?」 日本の歴史も変わっていただろう!
豊臣・徳川の両雄は、あまり日本人の好みのタイプではないようだが!
信長は死に臨み
「人間50年、下天のうちにくらぶれば夢、幻の如くなり。
一度生を享け滅せぬもののあるべきか」(人の一生は50年だというが、下天に比べたら、ほんの一瞬にすぎない」という意味である)
と愛用の謡の一節を口ずさんだ、とある。これも名句だ。