磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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215あれから五年

2006年10月19日 | Ra.
ラヂオアクティヴィティ[Ra.]
第二部・国境なき恐怖

エピローグ

215あれから五年



あれから、何年たったのだろう。
もう五年たったのか。長いような短いような気がする。
あの年に日産の社長に就任したゴーン氏は見事、日産を復活させた。

しかし、日本自体は不況のどん底であることに変わりがないような気がする。
日本の総資産は当時の半分になったという報道されていたようにも思える。
バブルの資産がそのままあり続けるわけがない、そう考えるのが正しいだろう。

ダイエーのカリスマ社長は退陣し、ダイエーは球団も売った。
今ではソフトバンクなどという冠をつけている。

世界一の金持ちと言われたこともある西武鉄道の社長、堤は逮捕され退陣した。
ソニーの社長は外国人になり、パソコンはどこのメーカーのを買っても中国製などといわれている。

脱国家、「国家の黄昏」といわれ、グローバル化が進む時代に、各国の政治家はそれについていけず、復古主義になっているのではないか?

世の中、よい方向には、むかっていないだろう。
しかし、徐々にではあるが、変化はあらわれているようだ。

風力発電が日本でも生まれている。
風力発電はクリーンなものであることは書くまでもない。

そして、マスコミが伝えることが何でも真実だと思う人は少なくなっていることだろう。

イラク戦争によって、フセインという独裁者はいなくなった。

そして、イラクは核兵器を持っているとマスコミが伝えていたことは嘘だったと今ではわかっている。

あの虚報はどこから伝えられたのだろうか?

インターネットは発達し、マスコミを非難する電子掲示板。

今では平和運動といいながら、自分たちの私服を肥やし、彼らの政治団体のために活動にしかすぎない人たちが、余計に戦争への道を進めているように思える。

差別の究極の姿、それが戦争という人たちの理論では、戦争を進めているといってもいいのではないか?

啓蒙主義者=野蛮な教養主義者という人たちがいる。
つまり、彼らは教養なき者を教養ある者たちが支配するのが理想社会と思っている人たちである。この差別主義者と人道主義を色分けする必要があるように思える。

そういう野蛮なマスコミが存在することに不快感を覚える毎日である。

言論が、マスコミの人たちのゲームであって、その人たちの出世のために存在していたとしたら、どんなにオゾマシイものだろうか?

『それでも地球はまわっている』といったガリレオのように事実を伝えることが大切なことだと私は思う。

しかし、マスコミだけではなく、欲望にとりつかれた者たちが、今も多くの人たちの生命を軽んじている。政治も命があっての物なのに、生命を軽んじている人たちがほとんどである……。

放射能の恐怖はそして、今も去ったわけではない……。
一九九九年九月三十日、茨城県東海村の核燃料加工会社で、臨海状態になり、中性子線が放出され、作業員が十二月と翌年の四月に死亡した。住民ら六百六十三人も被曝し、国内原子力史上最悪の事故となった。

我が国では原発推進者が多く、原発は安全だと宣伝していた。一度おこれば、チェルノブイリのようになるにも関わらず、問題点をすり替えるようとして、交通事故より起きる確率は少ないなどと話している人もいた。

プルサーマルも終っていない。危険きわまりないという“もんじゅ”もまだ終わったわけではない。たとえ終えると決めたとしても、様々な問題は今の人類の知恵では解決しない。

原発の方が、お金がかかることも、推進派の人でさえも認めるようになった。それも、どんぶり勘定でしかない、粗雑な計算であるから、もっともっと原発は金がかかるとしか言えない。

そんななか市民運動が活発なドイツでは、原発を廃止しようとしている。この運動は正しい道だろうと思うが、この困難な道を歩きはじめたドイツに敬意を払いたい。だが、終わったところで、核廃棄物の管理は続けねばならないし、そのためにもエネルギーも税金も使い続けられることだろう。

多くの人たちに考えてもらいたい。家庭においては、どんな家に住むかでも環境の影響が大きかったり、小さかったりするだろう。住む家が広いか狭いかでも違うし、高気密、高断熱であるかなどによっても、環境に及ぼす影響は変わる。

どんな自動車に購入するかでも、その影響を考えてもらいたい。普通車か小型車か、燃費はよいか。エネルギー消費や環境排出に大きく影響するだろう。燃料電池の自動車も各国の自動車会社や大学などで研究されている。また、燃料電池の利用を軸として、水素・天然ガス・メタノール・燃料電池用ガソリンなど各種の新燃料が検討されているという。

悪いほうでは、この間に大きくかわったことの方が多いだろう。

最大の転機は、9.11アメリカ同時多発テロ事件であろう。9.11とは二〇〇一年九月十一日にアメリカで起きた同時多発テロ事件。ハイジャックされた四機の大型ジェット旅客機が凶器にかえられたものである。予想外のことなどではなかったはずである。テロ攻撃に対して万全の防衛していたはずではなかったのではないか?

アメリカの国防とはそのくらいのものだったのだろうか?
単なる油断だったのだろうか?
今も疑問だらけである。

テロ事件としては史上最大の被害となった。あの日のことを勉も忘れない。仕事が終り、風呂あがりテレビを見ていると、ニューヨークの世界貿易センタービルの北棟にボーイング767のロサンゼルス行きアメリカン航空11便が飛び込んでいくのが映されていた。それはニュースというよりも、映画の一場面のようであった。だが、それは映画ではなく、何千人もの人が殺されたのである。

ニューヨークの中心部に、それも旅客機を使ってのテロ攻撃ときいて、そんなことができるのかと大きな疑問を持った。相手は世界最強のアメリカだろうと思った。だが、それは現実であった。唖然としていると、もう一機、ロサンゼルス行きユナイテッド航空175便が突入するのが見えた。ほぼリアル・タイムでそれを見た。

日記を見てみれば、
「十時すぎ、NHKテレビをみていたら、アメリカでテロ事件があった。ツインタワーにハイジャックされた飛行機が神風のように突っ込んでいったのである。はじめアナウンサーは十八分後にまた事故なんて、起こるのでしょうかと呑気なことを話していた」
と書いてある。

テレビに関係するエリートたちは、世界最強、唯一の超大国といわれるアメリカでこんなことがあるとは思ってもいなかったのであろうか?

アメリカの朝の番組で、ニューヨークの景色を映す、その番組を狙ってのテロ攻撃でもあったのだろう。

瞬く間に、世界にこの凶行は伝えられた。間もなくユナイテッド航空の757は米国国防総省(ペンタゴン)本庁舎に意図的に衝突したというニュースに驚いた。それから、サンフランシスコ行きユナイテッド航空93便もハイジャックされ、乗客が前のニューヨークの惨状のニュースを携帯電話などで知っており、テロリストに立ち向かった。そして、ペンシルバニア州に墜落した。その飛行機はキャンプ・デービッドか、ホワイトハウスを攻撃しようとしていたらしい。

ブッシュ大統領は予定を変更して、その居場所さえも教えない時間もあったほど、緊迫していた。9.11事件は世界を変えたといってもいいだろう。アメリカ国内の世論は急速に過激に保守化した。そしてアフガニスタンとの戦争、イラク戦争へと繋がっていったのである。

そして、多くの人たちは、地球規模での環境破壊についての危機を忘れ去ったようなものになってしまった。戦争やテロ攻撃が日本さえ狙っている時代になってしまったのである。イラク復興にはあのベクテル社が活躍しているという。

無視できない環境問題に目を移せば、それ以前にも、悲惨な出来事を予測できないアメリカ政府は愚かな発表をしたという。アメリカはブッシュ大統領になり、京都議定書も科学的ではないといい、それを批准するどころか、二○○一年三月のブッシュ大統領による「京都議定書からの離脱」宣言は世界中に大きな反響をもたらした。

ブッシュ大統領の後ろ盾には、石油会社があるという。父親のブッシュ元大統領から、関係したという。ブッシュは環境に対する最大のテロリストと非難されてもいた。

二○三○年までに原発が十基建設された場合、京議定書の数値は克服できるという記事を読んだとき、京都議定書を利用して増設しようとしているのかと思った。アメリカの狂牛病のために、牛肉が輸入できず、多くの牛丼屋さんが、多種のメニューをつくったのを思いだした。他のメニューで、やりくりしている民間企業を模範にしてもらいたいものだが、一端決まった公共事業を辞められない体質は直っていないと思うのは私だけではないだろうか。

ネオコンのブッシュ大統領はイラク戦争において、彼の支持者たちを太らせ、イラクの子供たちには不幸を与えつづけている。繁栄するアメリカは、イラク戦争のことも報道規制をかけている。
自由の国、アメリカは去った……と、悲しくなる思いでいっぱいである。

だが、世の中を良い方向に向かわせようとする人たちもいる。
一九九九年十一月二十七日の読売新聞には、風力発電で初の商業運転が行われたことが報道された。

電力会社に長期契約で電力を供給する日本初の商業用風力発電所で、十七年間、北海道電力に売る計画だという。
平均販売価格は一キロ・ワット時当たり十一円六十銭し伝えられる。
百ヘクタールの敷地内に最大出力千キロ・ワットの風車が二十基設置されており、総事業費は四十五億円という大きな事業がはじまったという。

今では役立たないといわれていた風力発電は東京のお台場でさえ運営されている。そこが、ひそかに観光スポットにもなっているという。

あの時には見落としていたが、驚いたことに、こんなことまで起きている。一九九九年七月九日の読売新聞では、「自家発電余りは売却太陽光利用ガスいらず」と見出しをつけている。

電力を電気会社に売っている人が増えているという。
曇り空がうらめしいと書いてある。
もし晴れていれば、発電がなされ、その電気を買ってもらうことにより、収入を得ているという。

売電している家の屋根には濃紺の太陽光パネルが設置されているという。家の側面には二つのメーターがついているという。一つは雨や曇り空の日には太陽光発電はできないために、電気会社から電気を買うときの使用料のメーターでる。もう一つは天気のいい日に売る電気量を計るメーターでる。その家庭ではガスは最初からひいていないという。

一九九二年四月から、通産大臣の諮問機関である電気事業審議会の提言で、東京電力など全国の十電力会社が、一般会社からも電気を買うようになった。

太陽光の「売電」は九二年度には、わずか十三件に過ぎなかった。それが九八年度には、法人を含めて一万四千五百二十六件と、爆発的に伸びたという。

太陽光発電は官民一体で今、行われている。新しい試みといっていいいかもしれない。この芽を大切にしていきたいと思っている人たちは多い。クリーンであり、二酸化炭素をださない。

そんな研究開発には賛成できるが、原発の増設にはどうも危険を感じて、たとえ二百年に一度でも、もし起きたらとしたら、その時、取り返しがつかないのではないかと思う。

そして、彼らの事故予想では未だにチェルノブイリ事故もスリーマイル島事故も起っていないという信用できないものでもある。

だけど、日本国はこれに対しても原発を増設するという。読売新聞の五月十一日朝刊で伝えてくれている。『二〇三〇年度までの原発増設目標、十基程度に抑制』と。

経済成長の鈍化や人口減少予測で、二○二○年度までに十六基の建設を目指した民間電力会社の従来計画を下方修正した試算を示している。

ドイツのように廃炉とまでいかにしても、増設しようとしているという人たちがいることが驚きの一言である。

スリーマイル島のように、事故が起きても、その処理に莫大な費用がかかり、その費用でも儲ける企業もあるという。

廃炉となっても、さまざまな問題があり、まだ人類の知恵では解決できる問題でもないという。廃炉と決まっても、莫大な費用がかかるという。そのことで儲ける企業も出るのだろうと考えても不思議はないと思う。

ドイツの試みは偉大なことであると思う。
人は環境の内に生きている。あの悪魔とは共存できないのだから……。

日本もドイツに負けていない分野もある。環境ビジネスが日本でも活発に行われるようにもなってきているという。京都議定書をうけて、改正省エネ法(エネルギー使用の合理化に関する法律)が、一九九九年四月から施行され、また新たな法律として地球温暖化対策推進法が一九九九年四月から施行され、二○○○年六月に循環型社会形成推進基本法が施行された。








閑話休題

この五年、
アメリカはひどくなりましたね。

アメリカの政権がどのような
ベースなのか。

そのようなことを知っていたら、
彼らに希望を持つ人は少ないでしょう。

アメリカの政治体制の古さもありますね。

日本政府の無責任体制も、
徐々にではありますが、露見しています。
さらに、加速して全部出してもらいたいものです。

政府に関わる人物、学者でも、
信用できない人がいるということも、
お知りになられたとも思います。

ドイツのように意味ある
迷走をおこなうなら、まだしも。
意味あることを避けて迷走する
日米にはあきれはてるばかりです。






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