ラヂオアクティヴィティ[Ra.] 第二部・国境なき恐怖 214イベントは終わった ![]() 会は終わった。その後も“大海原”に書き込みが少年少女からあった。子どもたちが日本は唯一の被爆国というくせに、核に対して何とルーズなことだろうかと、不満を示していた。あの広島のおばあさんの気持ちを政府は何も考えたことがない、と。政治家は、ただ式典に出て恥かしくいないのか! と罵声に近いものばかりだった。 それは仕方のないことだろう。日本は被爆国で、その日本が使うのなら、他国は安全だろうとも思っていた。国民だけを裏切ったのではない。政府の大事な仕事のうちに、外交というものがある。世界の人たちさえも裏切ったのである。 また「欧米では、ジャーナリストも、テレビ・キャスターも、ハリウッド・スターも、休暇をとってデモに参加するそうです。政治家、財界人、警察官、軍人もデモに参加するという。つまり、必要と思えば、彼らは一個人に戻る。自由な国家とは、そのように個人が組織に優先する社会である」と書き込む人もいた。 しかし日本の政府は、核兵器にさえ反対しないのである。これがどうして民主主義国の政府と言えるのだろうか……。 そして政府は“もんじゅ”は廃止しないと言っている。この地球で、唯一の高速増殖炉を開発しようとしている核先進国である。多くの国は撤退したのにも関わらず。電気代が世界一高い、その国でさらに費用のかかる高速増殖炉を作ろうとしている。事故がおきたら、お金だけでは取り返しがつかないことも、子どもたちも訴えていた。 もう、背負いきれないリスクで、試行錯誤して、科学を発展させることはできない所に来ているのだ……。まったく、虚しくなる……。こんな指導者たちに未来をたくしている……。そこにわれわれは住んでいる。 一週間後にソーシアも、ベルーシアに帰った。 その十日後に彼女は亡くなった。 幸福にと……、書きたかったが、それでは嘘になる。 聞くところによると、やはり苦痛に呻いたそうである。 それが現実なのだ。しかし彼女の思い入れは伝わったと想う。 力強い、そして短い人生をしっかりと生き通したといっていいだろう。 勉はあの後、子どもたちに手紙を書いた。 だけど、輝代には投函することすらできなかった。 パソコンお宅の勉は、データベースを使って調べたけれど……。 結局みつからなかったのだ。 それに輝代のデータが全て消去されていたのだ。 VTRにも輝代は映っていなかったのだ。 輝代が話したと思っていたことも、VTRでは他の人間が話しているのだ。 そして、机の上に置かれた本が勝手に動いた。 まるで、生き物のようだった。 その本は長崎で被爆した女学生たちが書いた本であった。 その中に輝代と同姓同名の少女の文章が載っていた。 勉は何度もそのページを読んだ。 まさか……。輝代は……。でも、それで、いいような気がした。いい気分がした。お化けだって、元は人間だったのだ……。そして、未来は僕も……。 パソコンが動きだした。画面に文字がでる。 『あなたにパソコンの使い方を習いましたね。秋葉原で会ったでしょう。輝代』 『私のために涙するより、私のような人を一人でも救ってあげて……。できるだけでいいから……。お願い。ソーシア』 今は亡き、二人の笑顔がディスプレイ(画面)に写っていた。 ケロイドのままで微笑む輝代……。醜くはないさ。醜いのは……。あ・い・つ・ら……で……、君じゃない……。
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