磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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小学館のノンフィクション童話10 りんごになった茂くん

2009年07月10日 | 読書日記など
『小学館のノンフィクション童話10 りんごになった茂くん』
   小林桂三郎・文/岩淵慶造・画/小学館1979年

実話のようです……。
--戦争の爪痕は戦後にも残っています……。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「●りんご並み木とともに●有安勇
 飯田東中学校の生徒たちと文通を始めてからすでに二十三年。いまや、りんご並み木は飯田の象徴となりしまた。中学生たちは、人を信ずることの美しさを実証したのです。
 私の人生も並み木を離れては語れなくなりました。」
「りんごがつなぐ美しい物語  金沢嘉市(子どもの文化研究所長)
 りんご好きな一人息子を、戦争でなくした父親も、いまは八十をこえた老人になりましたが、息子のことはいつまでも忘れられません。
 この老人と、やけ跡のまちの大通りにりんごの並み木を植えて、みんなで大切に育ててきたやさしい中学生たちとの間に通い合う心やさしい物語りです。」

有安さんは広島の尾道市に住んでいた。

一人息子の茂さんは、戦争が終わっても中国から帰ってこなかった……。下「」引用。

「てがみで しらせて くれたのは、茂のぐんたいでの ともだちでした。
「茂くんは、昭和二十一年二月五日の、朝、お気のどくにも びょうきで なくなりました。」」

りんごを食べたい、と……。下「」引用。

「「びょうきの とき、おとうさんと おかあさんは、いつもリンゴを たべさせて くれた。ああ、リンゴが、たべたい。」
 茂は、そう いいながら しんで いったのでした。」

箱だけで帰ってきた……。下「」引用。

「国から わたされた 白い 木の はこには「有安茂」とかいた 小さな かみが 一まい 入って いただけでした。」

--思い起せば……。
大学を卒業し、昭和18年10月10日、軍隊に入れと命令が届いたという。

父は、大阪で空襲にあい、尾道へ。

昭和30年10月14日朝日新聞、「やぶれた中学生のゆめ」を読む有安さん。
長野県の飯田東中学校の生徒たちが、飯田市の大通りにリンゴの並木をつくる。
しかし、泥棒がとっていったという……。

有安さんは、中学生たちを、励ます……。

昭和40年の秋には、4千7百このリンゴがとれ、有安さんのところにも送られてきたという。

リンゴ並木ができて、17年。
中学生たちは、「リンゴなみ木の碑」を建てたという。









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