激動の幕末を生きた「天璋院篤姫」(1835~1883)の直筆とみられる短冊を、大阪府池田市の古文書収集家、東田一郎さん(57)が発見した。記されているのは、篤姫が将軍の正室となる直前の時期の和歌とみられ、徳川将軍家への結婚を前に、平和な世の中を願う思いが詠まれている。専門家は「幕末の時代背景や篤姫の人柄を知る上で価値の高い短冊」と評価している。
篤姫は、薩摩藩島津家の一門に生まれた第13代将軍徳川家定の正室。家定の死後、天璋院と名乗り、養母として第14代将軍徳川家茂を支え、幕末激動期の江戸城大奥を取り仕切った。
江戸時代の古文書を収集している東田さんは、大阪市内の骨董(こっとう)品店で、約1年半前に島津久光ら島津家一族の短冊26枚を入手。もともとは、東京にある旧家が先祖代々保管していたものだという。
東田さんが最近、あらためて短冊を確認したところ、篤姫直筆と思われる短冊を発見。古文書に詳しい愛知文教大副学長の増田孝教授が現物を確認したところ「筆跡や書かれた年代から間違いなく篤姫直筆の短冊」と鑑定した。
発見された短冊には「年をへし池の岩ほの亀も猶 うこかぬ御世に契りてやすむ」と記されている。「結婚して年月を経ても平和な世の中で過ごしたい」と幕府政治が弱体化する時代状況のなかで、徳川家の嫁として平和な世を願う結婚前の決意が詠まれている。
短冊が包まれていた畳紙(たとう)には「御台様御染筆御上り前に拝領 安政三辰年十月」と記されており、安政3(1856)年11月に篤姫が江戸城に入る直前の時期にあたる。短冊に使われている紙には、金泥と銀泥のしま模様が入り、幕末の流行もうかがえるという。
増田教授は「和歌で当時の政治状況を反映したものは珍しい。年月も記されているため、当時を知るうえでは非常に価値が高い。品格のある筆跡から、素直で賢女だったことがうかがえる」としている。
発見した東田さんは「島津久光のゆかりの品が欲しくて短冊を入手したが、話題の篤姫のものが入っているとは思わなかった」と話していた。
7月12日 産経新聞
篤姫は、薩摩藩島津家の一門に生まれた第13代将軍徳川家定の正室。家定の死後、天璋院と名乗り、養母として第14代将軍徳川家茂を支え、幕末激動期の江戸城大奥を取り仕切った。
江戸時代の古文書を収集している東田さんは、大阪市内の骨董(こっとう)品店で、約1年半前に島津久光ら島津家一族の短冊26枚を入手。もともとは、東京にある旧家が先祖代々保管していたものだという。
東田さんが最近、あらためて短冊を確認したところ、篤姫直筆と思われる短冊を発見。古文書に詳しい愛知文教大副学長の増田孝教授が現物を確認したところ「筆跡や書かれた年代から間違いなく篤姫直筆の短冊」と鑑定した。
発見された短冊には「年をへし池の岩ほの亀も猶 うこかぬ御世に契りてやすむ」と記されている。「結婚して年月を経ても平和な世の中で過ごしたい」と幕府政治が弱体化する時代状況のなかで、徳川家の嫁として平和な世を願う結婚前の決意が詠まれている。
短冊が包まれていた畳紙(たとう)には「御台様御染筆御上り前に拝領 安政三辰年十月」と記されており、安政3(1856)年11月に篤姫が江戸城に入る直前の時期にあたる。短冊に使われている紙には、金泥と銀泥のしま模様が入り、幕末の流行もうかがえるという。
増田教授は「和歌で当時の政治状況を反映したものは珍しい。年月も記されているため、当時を知るうえでは非常に価値が高い。品格のある筆跡から、素直で賢女だったことがうかがえる」としている。
発見した東田さんは「島津久光のゆかりの品が欲しくて短冊を入手したが、話題の篤姫のものが入っているとは思わなかった」と話していた。
7月12日 産経新聞