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肉体は借り物

この身体を乗り物と考えるならば「生きろ、生きろ、もっと生きろ」と唱えるべきです。何故なら物体は生気を吹き込むことによって活性化して乗り手である私達とより一体化して思い通りに動くからです。

スポーツ選手も何度も練習を重ねて本番に臨む時にまるで自然に身体が次のリアクションをしっているかのように動くようになります。まさに無の境地です。伝達する側とされる側が感応して無碍の状態になるのです。

もちろん普段の私達の日常でもこの姿勢は大切です。身体に「ダメだ。怠い。つらい。無理だ」と発信してばかりいればもともとそれほどでなくても急激に悪化してしまいます。反対にどう考えてもそんな身体では無理なことも精神の力で医師がおどろくような生命力を発揮することが可能なのです。

靴を新しく買って、今までもう少しはけるだろうと思って我慢して使っていたものと交換すると古い方の靴は急激にボロくなるような気がします。家もどんなあばら家でも人が住んでいればなんとかなりますが、住まなくなればよくこんな家に住んでいたと思うばかりの痛みの激しい屋敷に様変わりするのです。

この肉体も望んで生かそうと使っているかぎりはそうはへこたれないでしょう。しかしまるでどうでもいいように扱えばとたんに具合が悪くなってしまいます。

肉体が自分だと勘違いしているから甘えがおきてしまうのです。自分という魂が今世の修行の為に貸してもらっていると思えばより大切に愛おしく扱うようになるに違いありません。
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存在の証

今日、お仏壇を掃除していたらあることを忘れていたのに気づきました。それはこの世に出ることができなかった娘にひな人形を飾ることです。
去年は幼稚園に行っている娘のひな人形ばかりに気をとられて直前になって思い出しました。今年も少し遅くなってしまいました。

結婚してすぐに自然流産したので性別もわからなかったのですが、嫁の夢に出てきて女の子とわかりました。そして名前も「綾代」と脳裏にうかんできたそうです。
実は私は結婚する前から自分のそばにおかっぱで黒髪、色白で目がぱっちりした女の子がいるようでなりませんでした。だからもし結婚して子供が授かるようなことがあればこの子が下りてきてくれるのだろうと思っていたのです。しかし嫁のお腹の中で成長することなくこの世をさりました。
私たちは悦びと悲しみをほぼ同時に味わい悲嘆にくれました。つらいものです。それでも自分たちの子としてこの世にわずかな間でも存在したのは事実です。
旅立った日を命日としてお菓子を備えたり、こうしてなんかの行事の時はささやかなお飾りをしたりしてきました。綾代ちゃんは意志が強い子みたいでよく私の脳裏にその容姿や表情がうかんできます。あまり最近気持ちを向けていなかったのでさみしかったかもしれません。

私たちにはその後、もう一人子供授かり失いました。この子も自然流産でした。この時はある程度形もしっかりしてきて大丈夫なような雰囲気もあったのでさすがに再び同じ経験をしたときはすごくこたえました。なんとなく男の子のような気がしたので私が「裕法」と名付けました。天眼通のある先生に聞いたらとても魂が清らかだからこの世の修行をせずに旅立ったということでした。宇宙に行ってしまったそうです。名前もユーホーだからと先生は微笑みました。

私の印象ではあまり自己顕示欲がなくおとなしく思えたのでそれを存在感がないみたいに言ったら嫁にすごく怒られました。それでこの世で会うことも出来なかったのでなおさら後悔しています。私の方が魂的には相当子供なのだと思います。裕法君はいつも私の脳裏ではニコリと微笑んでいます。

ふとあまり他人には話さないことをブログに書きました。二人の存在の証を遺したかったのだと思います。
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天知る。地知る。我知る。

一生懸命努力している人はとても好きです。それはその人の気持ちが伝わってくるから。

ただ人がどれだけ頑張って苦労しているかなんてそうは他人はわからないもの。それなので

「あの人はこうだ。あーだからダメなんだ」

なんて簡単には言ってはいけないような気がします。人は自分と相反する人を批判しがちです。それは反面、自分を肯定したいからに他なりません。相手を批判して自分を上げる。

批判しないで上げられればそれはそれで一番いいのだけれど、そこまでのことを出来ていないからとりあえず人を踏み台にして自分を上げておこうというような感覚です。

それは芸能人に対するスキャンダルや批判にも言えます。もともとその人がどうだとかはあまり関係ないのです。深く知りたいとも思いません。批判できる事実さえ知れればそれでいいのです。

「あいつはあんなことやるのだから最低だ」

そしてそれよりも多少マシな自分がいることで安心を得ています。容姿や収入、すべてに私の方が劣っているかもしれないが最低なことをしたんだからこっちの方が上!みたいに。

なんだか悲しい現実です。批判したところで何も変わりはしません。ただ少しだけ今の自分が安心できるだけで向上はしていないのだから。

ただ最終的にはやったもん勝ち。努力したもん勝ちなのです。天知る。地知る。我知るです。

本当に自分に自信が持ちたいのであれば他人を批判しているひまなのなく、目の前のすべきことに没頭しなくてはいけないのです。
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雛人形

私の住む町はこの時期、ひな人形がお店や公共の施設にたくさん飾られます。赤い段に飾られた人形たちをながめるとどうしてだか心が安らぐような気がします。
もともとは子供の厄落としの身代わりみたいな風習からきているひな人形たちが子供が成長して役割りを終えたあとに再び季節を彩るのはとてもいいことだと思います。どこか仏像のように静かに私たちを見つめている雰囲気もただの飾り物でないように感じてなりません。

我が家のひな人形は一段飾りですがとても品のあるもので義理の母が娘のために与えてくださいました。お内裏様が娘の小さかった頃にそっくりで家族はとても気に入ってます。娘の成長を支えてくれているような気がしてなりません。

私には妹がいたので実家には立派なひな人形がありました。私はよくオルゴールになっている台車のねじをまわしながら甘酒をのんだことを憶えています。甘酒といえば最近まではまっていてパックで買ってきて牛乳や水で薄めて飲んでいました。どうもなんとも言えない甘さがとても好きみたいです。そして飲む点滴と言われるほど栄養価が高いみたいでなのでちょうほしています。疲れているときはもってこいです。

そういえばあまりお酒を飲むのが好きでない私でも日本酒の白い原酒であるどぶろくは大好きです。大学合格のお祝いのときに飲み過ぎて酔っぱらったのを憶えています。甘酒にしろどぶろくにしろ、なぜかあの麹が好きでたまらないみたいです。お正月によく実家で食べた酒粕と鮭の切り身のお汁がなんだか食べたくなってきました。

私はおかまではないですがよく子供の頃からままごとや人形遊びが好きでした。もしかしたら前世は女性だったのではないかと思うこともあります。そのころの記憶なんかはリセットされていてのこっていませんが晩年は苦労していたのではないかとある人に言われたことがあります。

今世は男として大器晩成な生涯を目指していますがもう少し自分勝手さを直さなければいけないように思えます。
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私達の国の進化

ふと車を運転していると梅の花が咲きだしたのが分かります。まだ寒さがのこっているのに景色から春の訪れの悦びが感じられます。ようやく暖かい日が戻ってくると思うとなんだか気分も明るくなってきます。

最近は法事やお葬儀が重なってお休みが取れませんでしたがようやく明日休めます。やはり人間は適度にゆっくりした方がいいみたいです。

テレビをつければ金正男氏殺害のニュースばかりが取りざたされています。権力争いに巻き込まれての暗殺だとは思いますがもう報道は十分だと感じているのは私だけでしょうか。かわいそうだなとか無念だろうなと思いお悔みさせてもらいますが連日ニュースで細かく知らなくてはいけないようには思えません。あくまでも強い殺意をもった人物の指示によって殺されてしまったのです。それはかの国の中のさまざまなしがらみによるものであるのだから、もうその国だけで終わらせてほしいものです。私達の国は私達の国のやらなくてはいけないことがあるからです。

あのように誰かの人権を無視しなければ成り立たない国なんてなんだか哀れにも感じます。それはそれで国としてかかえている事情はさまざまでしょうが人としてのおおらかさや優しさ、そして笑顔が欠けてしまっていては何の為の誰の為の国なのかが分からなくなってしまうからです。

ある国で大型旅客船が沈没するときに乗客ではなくてまっさきに逃げようとした船長がいました。彼は恥よりも自分の命が助かることを第一に選んだのです。しかしどうでしょう。わが子を失った親御さんたちはどうしても彼の存在が納得できないはずです。
「責任者である船長が生き延びてどうして私の大切な子供が死ななくてはならないのかと」

潔く最後まで船とともに沈んだ方がどれだけ罪をつぐなえたかわかりません。
厳しいようですが国の代表者は船の船長であり、国民一人一人の生活を豊かに導く役割をもっています。沈没するときは一番に自分が犠牲になると覚悟をもってほしいものです。

私利私欲がなくて国の為、国民の為と国のトップが頑張っている国はとても幸せです。どこか命をかけているような雰囲気が伝わってきます。今私達の国はそうした政治家でなければ国民が納得しなくなってきているように感じます。

国と統治者、そして国民の思いが円でつながった時に日本は世界で一番理想な国として進化を遂げることでしょう。
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