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制限

今日、お葬儀をした方からすごいですね。何でもテキパキとこなして。安心感があります。
と言われました。同時に少し事務的だというニュアンスのことも言われてしまいました。

これはこの世界に入ってからの大きな課題かもしれません。気付かないうちにまるで病院のドクターや看護師みたいな感情移入をあまりしないように制限を加えるようになってしまったのかも。

自分の中では当家にとってとても満足いくように頑張っているつもりなのですがお坊さん一本の頃のようにはなれないのが事実です。

早着替えでスーツから衣、衣からスーツへとまるで役割をどんどん変えていく。

ちょっと慣れ過ぎてしまったのだろうか。

少し心にひっかかってしまうご指摘でした。
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俯瞰

護摩焚きの太鼓の音と法螺貝。
境内に鳴り響く中、お参りをしました。
気がつけばもう2月です。

見えない力は心身をリフレッシュしてくれるみたいです。
まるでシャワーを浴びたみたいにすっきりしました。

そこなんだと思います。なんでも自分の努力で乗り越えるには限界があるのです。
素直にありがたいと思うことも大切かもしれません、

あの世が真実の世界。
この世は仮の世界。

この世は真面目に生きれば報われてますがどこか俯瞰して仕方ない、仮の世界、仮の身体だからと割り切ることも間違っていないような気がします。
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ウズウズ

もう年なのに自分よりも30歳も若い駅伝の知り合いが頑張っているのを見るとウズウズします。もう一度頑張れないだろうか。
そう思ってしまうのです。

どうも毎日10キロ走っていてもパフォーマンス力は格段と落ちました。一回、大会に出てみればわかります。
何度も長い距離ではなく短い距離でスピードを出せるように頑張ると自分を励ましてきましたがなんだかいまいちです。

あのスピード感で走る感覚。心臓がはち切れそうになる快感。

気持ちの高まりと限界への挑戦。負けたくないというギリギリの精神力。

もう一度戻りたいな。知り合いのランナーは60歳で10キロ、38分くらいで走ったと言っていたけど頑張れば自分にもできるのだろうか。

飽きっぽくないのだけれどどうもそこまでいけない自分がいます。

コロナのせいにしているのだろうか。

汗だくになって走っていた頃はつい2年前です。今年は一歩踏み出してみたい、そう思います。
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良心

小学校の時、遠足であるお城を訪れました。お土産を買うのにいろいろと見ていたら岩をもした模型にその城の名前が刻まれたものをしぶいと思って手に取るとするりと落としてしまったのです。

まさか、少し傷つけてしまいました。そのまま置いて立ち去ることもできたのですが良心がゆるさず買うことにしました。
そんなしぶいものを買いたくもなかった。でも買わなくては後悔すると思いました。

案の定、家に帰ってきたら母親になんでこんなもの買ってきたのと言われました。
大切にするはずもなくどこかにいってしまいました。でも時々思い出すのです。

どうしよう。お小遣いこれしかないのに。あー他の物、買いたいよ。
もう諦めた。あーあー買っちゃった。

こんな心情が。
こんなことで似たようなことは人生で幾度かあったと思います。あの時、強引に自分を通していればもっと違っていたかもと。
でもどこか自分の良心がまるで自分の行こうとする心にブレーキをかけるように制限装置として機能していました。

いったい。何が正解だったのか。

今となってはあまりこだわりがない自分がいます。

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本当の悩み

霊苑がすぎっぱだらけなのに雪が積もっていて掃除ができません。

すごくストレスです。雪が溶けるのを待つのみです。それにしてもどうしてこんなにこだわってしまうのだろう。
仕方ないことなのに。奇麗でなくては気持ちが悪いのは私の自己満足なのか。

ただ人は不思議なものでまるっきり違う空間に身をおくとそのことは頭から離れてしまいます。

つまり自分にとって重大なことは本当に重大なこととはかぎらないということです。

よくいじめを受けて不登校になり自ら命を絶とうとする若者がいます。
でも環境をかえればそこまで悩まなくてはいけないことともかぎらないのです。

小さな空間、小さな人間関係、小さな社会。

人はその小さな世界に身をおき、生きなければいけないのですが、それも生活のため、家族の為、自分自身のため。

ただ本当に悩まなくてはいけないことはそれではないとどこか頭の片隅みにおきながら生活してもいいかもしれません。

本当の悩みは本当の自分に直結します。
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