一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
悲しみの光
感情の爆発。それは理想の自分と現実の自分のギャップからうまれます。どうして自分はこうなのだろう。こんな自分はいやだ。
思っていることやっていることが本来自分のもとめているものとちがっていて、まるで自分でない自分がそこにいるみたい。
あの頃はもっと輝いていた。そうこんなふうになる前は何も考えずに普通に生きれたのに・・・。戻りたい。
過去の自分と今の自分。それは同じ線上につながっているものであって離れているものではありません。過去をつなぎとめるのも自分だし、また自分自身のこれからおこるであろう未来も今の自分からはじまるのです。
いやいや生きるのはこりごりだと思っても、人の人生は本来苦だとお釈迦様が断言しているようにそうはすんなりとは生きられないのが現実です。
こんな自分でもまだやれるのではないか。人間は苦しみから這い上がろうとする時に光を放ちます。それは悠々自適の生活の中では生まれない光です。そしてその光だからこそ他の人をあたたく照らせます。ギザギザとまぶしい光にはその悲しみを包み込む力がありません。
私はそんな光をもった人こそ仏様に近い存在だと思うのです。
思っていることやっていることが本来自分のもとめているものとちがっていて、まるで自分でない自分がそこにいるみたい。
あの頃はもっと輝いていた。そうこんなふうになる前は何も考えずに普通に生きれたのに・・・。戻りたい。
過去の自分と今の自分。それは同じ線上につながっているものであって離れているものではありません。過去をつなぎとめるのも自分だし、また自分自身のこれからおこるであろう未来も今の自分からはじまるのです。
いやいや生きるのはこりごりだと思っても、人の人生は本来苦だとお釈迦様が断言しているようにそうはすんなりとは生きられないのが現実です。
こんな自分でもまだやれるのではないか。人間は苦しみから這い上がろうとする時に光を放ちます。それは悠々自適の生活の中では生まれない光です。そしてその光だからこそ他の人をあたたく照らせます。ギザギザとまぶしい光にはその悲しみを包み込む力がありません。
私はそんな光をもった人こそ仏様に近い存在だと思うのです。
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